私のブログに「順子さんは、着物エッセイで、どなたかお薦めの著者はありますか?
もしあれば、ぜひ教えてください」というお尋ねがありました。思わず「う〜ん」とうなってしまいました。まじめに考えると、これってけっこう難問なのです。
現在の着物ブームは、着物関係書籍の出版状況から推定すると、2001年ころから始まります。ブームが熱を帯びるにつれて、おびただしい数の着物エッセイが出版されるようになりました。最初のうちは目に付く限り購入して読むようにしていたのですが、あまりの増加ぶりに、この数年ほどは、フォローをあきらめてしまいました。
これらの氾濫する着物エッセイは、いくつかに分類されます。最悪は、私はこんなにお金を使って、こんなにすごい着物を買っちゃったの、という類の自慢話系。着物好きを称する女性作家のエッセイなどにいくつか見られます。自己顕示欲にお付きあいしている暇はないし、たいていはセンスや着姿に?が付く人が多いので読みません。
最悪の類は置くとして、数的に多いのは次の二つでしょう。一つは、着物を着るようになって私の生活はこんなに豊かにハッピーになった、という類いの体験談です。私としては「それは結構なことですね」としか言いようがありません。ですからこの系統のエッセイもほとんど読みません。
もう一つは、こんなコーディネート、すてきでしょう、というコーディネート系ともいうべき類の本です。たしかにおもしろいコーディネートをするなぁ、と思うものも中にはあります。でも、そもそも着物に限らず衣類のコーディネートというものは、着る人によりけり。個性的なコーディネートは普遍性をもたず、普遍性のあるコーディネートはつまらないという宿命をもっています。だから何事も自己流の私は、この手のエッセイもあまり読みません。
ということで、最近の着物エッセイの二大潮流に背を向けている私には、残念ながらお勧めできる本があまりないのです。でも、それでは、せっかくのお尋ねに申し訳ないので、私がどんな着物エッセイが好きかというお話をしましょう。
私が好んで読むのは、着物を日常に着ている人の書いたもの、着物に関する確かな知識に裏付けられているもの、さらに、着物を通じてその女性の人生が浮かび上がるようなエッセイです。早い話、私が読んでためになると思うお話ですね。残念なことに、それだけ深みのあるエッセイは、それほど多くあるわけではありませんが、新しい本から順に紹介してみましょう。
(1) 石川あき 『昔きものに教えられたこと』 (草思社 2006年3月)
著者の石川あき(1927年生)さんは、伊勢丹服装研究室や東急きものサロンなどで活躍した着物研究家。関西の裕福な旧家に生まれ育ったお嬢さんならではの着物知識・感覚が随所にうかがえます。関東の質素な家に生まれ育った私には、まったく違う世界で、いろいろ参考になりました。
(2) 田中優子 『きもの草子』 (淡交社 2005年4月)
著者の田中優子さん(1952年生)は、江戸風の粋な着こなしがすてきな著名な近世文学・比較文化論の研究者。この本は、布でたどる12カ月という形をとっていますが、祖母・母から受け継がれた着物の実物、裏付けとなる知識、気品のある文体と三拍子がそろって、近年の着物エッセイでは出色です。田中先生は、ほぼ同世代の女性研究者ということもあって、私の密かな憧れの対象(目標)でもあります。
(3) 山下悦子 『きもの春夏秋冬』 (平凡社 2004年10月)
(3) 山下悦子 『きもの歳時記』 (TBSブリタニカ 1980年3月)
著者の山下悦子さん(1929年生)は、大塚末子さんのお弟子で着物研究家。着物の歴史をビジュアルにたどる「メモワール・シリーズ」(『美しいキモノ』連載)など資料収集に裏付けられた着物研究には定評がある方です。この本は、四季の着物に寄せて、著者の歩んだ人生が浮かんでくる好エッセイです。
また、同じ著者の『きもの歳時記』(TBSブリタニカ 1980年3月)は、エッセイを読みながら着物の基礎知識が得られます。
(4) 青木 玉 『幸田文の箪笥の引き出し』 (1995年5月 新潮社)
著者の青木玉さん(1929年生)は、明治の文豪幸田露伴の孫、作家幸田文の娘。着物を通じて小説『きもの』で知られる着物好きの母の思い出を語ったエッセイ。写真も数多く掲載され幸田文(1904-1990)
を通した昭和の着物史になっています。
(5) 鶴見和子 『きもの自在』 (晶文社 1993年12月)
(5) 鶴見和子 『日本の名随筆58 着物』 (1995年12月 作品社)
著者の鶴見和子さん(1919年生)は、柳田国男、南方熊楠の研究で知られる社会学者。今や数少なくなった1年365日、24時間着物暮らしの方ならではの、深い造詣と工夫が感じられるエッセイと対談集です。
鶴見さんには、諸家の着物随筆38本を集めた『日本の名随筆58 着物』(1995年12月 作品社)という編著もあります。
(6) 佐々木愛子 『きもの暮らし女の暦』 (淡交社 1986年9月)
著者の佐々木愛子さん(1914年生)は、染織研究家。大正・明治の激動期を生き抜いた女性の着物で綴る自叙伝。特に着物が日常着だった昭和戦前期から戦中期への記述はリアリティがあり貴重です。
(7) 木村 孝 『いろとあや −きもの覚書−』 (淡交社 1984年11月)
著者の木村 孝さん(1920年生)は、染織研究家。色と文様の解説と着物をめぐるさまざまな事柄を覚書風にまとめたもの。読めば着物の基礎知識がしっかり身につく本です。
(8) 宮尾登美子 『花のきもの』 (講談社 1983年9月 → 講談社文庫 1986年)
(8) 宮尾登美子 『きものがたり』 (世界文化社 1999年3月)
著者の宮尾登美子さん(1926年生)は、『一絃の琴』で直木賞を受賞し、『陽暉楼』『鬼龍院花子の生涯』などで知られる作家。この本は、花と着物で綴る半生記的エッセイ。著者の生い立ちから、玄人筋の着物の知識が随所に記されているのが特徴です。
また『きものがたり』(世界文化社 1999年3月)は、著者の箪笥の中身を文と写真で紹介したもので、思わずため息が出てしまいます。
(1)〜(5)(8)は、今でも手に入ると思います。(6)(7)もインターネットで古本を検索すれば、見つかると思います。
でも、以下の(9)〜(11)はちょっと難物かも。
(9) 花柳章太郎 『きもの随筆 わたしのたんす』 (三月書房 1963年6月)
(8) 宮尾登美子 『きもの』 (1941年11月 二見書房)
著者の花柳章太郎(1894年生)は、新派最後の名女形として著名な演劇人。着物や帯のデザインも手掛け、昭和戦前〜戦後の着物世界に大きな発言力があり、女形が女性のファッションリーダー的存在だった江戸時代以来の伝統を引く最後の人。戦前に出版された『きもの』(1941年11月
二見書房)は着物をテーマにした随筆では、おそらく最初のものでしょう。ともに、50年余の舞台生活で10万枚の着物を着たという著者の着物への深い造詣と愛着が語られています。
(10) 森田たま 『きもの随筆』 (文藝春秋新社 1954年9月)
著者の森田たま(1894年生)は、参議院議員にもなった随筆家。明治・大正・昭和を生きた女性の着物の体感がよくわかる随筆集です。私がエッセイ「艶やかなる銘仙」を書くときに、ずいぶん参考にさせていただきました。
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