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4. 『季刊きもの』167号掲載インタビュー記事

(1)艶やかなる銘仙
(2)あやしい着物
(3)銘仙雑考
(4)ちょっとあやしいきもの論
1. 着物の昭和史
  - 銘仙の時代 -
2. 着物マイノリティ論
3. 「もう一人の私」論
4. 『季刊きもの』167号
  掲載インタビュー記事
5. 現代きもの事情
6. 順子の好きな着物エッセイ

季刊『きもの』167号(織研新聞社 2007年2月)の特集「きものはどこに向かっているのか」に、私のインタビュー記事「ステータスの象徴ではありません。センスのある人たちにはたまらないファッションです」が掲載されました。一人のきものユーザーの立場から、現在のきもの世界を取りまく状況にコメントしたものですが、校正を十分にいれてもらえず、私が述べたかったことが十分に伝わらず、いささか不満足なものになってしまいました。
 
そこで、幻となった校正稿を、ここに掲載しておきます。
私の真意を汲み取っていただければ幸いです。

  
 
 
ステータスの象徴ではありません。センスある人たちの自己表現のファッションです

「ファッションキャリアを積んだ女性たちにとって、きものは自由自在に楽しめる絶好のファッションアイテム」という三橋順子さん。自身も銘仙やお召を中心にきものを「年間100日以上」も着ている。専門の性社会史、日本の風俗文化を研究する上で「きものと着装の文化は重要な視点」。社会の変化とともに現れたきものファンの姿を分析する。 
 
 
『自分を表現できるファッション 』
 
ファッションセンスのある人たちにとって、きものはともかくたまらなく楽しいアイテムなのです。色、柄の合わせが自由自在。きもの、帯、帯揚、帯締、襟、八掛、そして長襦袢、洋服に比べてコーディネートの要素がたくさんあるからです。それを工夫することで自分らしい装いは無限に広がっていきます。発想が自由な人、自分をもっと表現したいと考える人にはこれほど面白いファッションはほかにはないでしょう。

今の30〜40代のおしゃれなきもの好きの人には、20代のとき流行の先端にいた人たちがけっこういます。バブル全盛期の頃、ボディコンファッションでお扇子を振っていた人さえいます。でも、年齢が進んでいくと、洋装で若い人たちと張り合うのはなかなか辛い。流行のスピードも速い。若い頃とは違って、ファッションにお金もかけられない。でも、自分のセンスでおしゃれを主張したい。そんな彼女たちにとって、きものは当時のボディコンと同じくらい斬新な表現アイテムとして映ったのではないでしょうか。
 
ファッションキャリアを積んできただけに、彼女たちは既製概念にとらわれない自由な発想で、ハイセンスなきものファッションを見せてくれます。
 
 
『自己戦略としてのファッション』
 
体型などの理由で洋装に自信がない人たちにとっても、きものは有効なファッションです。なぜなら、洋装の人がほとんどの日常で、きものを着ていれば、他の人と競わなくていいからです。それどころか、着ているだけで目立てる。競うことなくファッション的に高い評価を与えられるのですから、着る側にとってこれほど楽なファッションはありません。
 
きものは、ファッショナブルな人も、ファッションに自信がない人も、自分の特徴を打ち出せる戦略的なファッションだといえると思います。また自分できものを着られるということは、他の多くの人ができないことをできるという点で、自信をもつことにつながります。主張することが苦手な人でも自分の存在を主張できるのが、きものなのです。その喜びを感じるから、どんどんきものにはまっていくわけです。洋装全盛だからこそ逆に、自己表現の戦略として、きもの有効性が高まってきているのです。
 
 
『洋服よりも自由』
  
ファッションというものは、着る側と見る側の関係で成り立っています。
 
たとえば模様銘仙を着ていると、40年前だったら「女給のきものなんか着て、みっともない」という人がいたでしょう。でも今は、銘仙=女給のきものという認識は、ほとんど失われています。今の人にとって模様銘仙は多彩で華やかなきものとしか映らない。
 
洋装に詳しい人はたくさんいても、きものを語れる人は少なくなっています。世の中のきものへの認識が薄まったことで、社会的規制力が働かなくなっている。つまり、今までのきもの世界の「縛り」(ルール)を破っても、後ろ指を差されにくくなったということです。「縛り」が解けてきてファッションとしての自由度が大きくなっているのです。
 
もちろん、伝統をまったく無視するのではありません。自由にきものを着る彼女たちも本当に良い物を見分ける眼力、きものの背景にある文化的知識を得たいと願っています。それらを理解した上で自分なりのアレンジをしたいのです。
 
昔なら呉服屋からしか入らなかった情報が、今はインターネットを通じて簡単に手に入るようになりました。自分で情報を集め、自分なりの創意工夫ができる環境が整ったのです。きものは今やステータスの象徴ではなく、新しい創造性をもった本当の意味でのファッションアイテムに近づいていると思います。

写真1
インタビューを申し込まれた日の私。
大輪の雪椿の柄の足利銘仙
(2006年12月10日:池袋)。

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