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3. 「もう一人の私」論

(1)艶やかなる銘仙
(2)あやしい着物
(3)銘仙雑考
(4)ちょっとあやしいきもの論
1. 着物の昭和史
  - 銘仙の時代 -
2. 着物マイノリティ論
3. 「もう一人の私」論
4. 『季刊きもの』167号
  
掲載インタビュー記事
5. 現代きもの事情
6. 順子の好きな着物エッセイ

世間では(とりわけ男性たちは)、着物を着た女性に対して、日本の伝統的女性像を投影して、しとやかで、女らしいイメージを抱きます。実際、外見だけなら、艶やかで色っぽく美しい「いい女」を探すのは、着物世界ではそれほど難しいことではないでしょう。「いい女」率は、かなり高いと思います。でも、中身は・・・・。
 
私の着物友達や知り合いの女性たちには、「いい女」風の外観と違って、中身がけっこう男っぽい人が多いように思います。外観は女っぽく色っぽいお姐さんが、ジムでがんがん筋肉を鍛えていたり、ばりばりのライダーだったり、思春期まで少年のつもりで育っていたり・・・・。私でさえ、外見と中身の落差に驚くことがしばしばあります。
 
たとえて言えば、少年がきれいな着物姐さんの着ぐるみをすっぽり着ているような感じの人が多いのです。ときどき背中のファスナーが半開きで、中から少年やオヤジがはみ出していることすらあります。もちろん、着物好きの女性が皆、そうというわけではなく、「類は友を呼ぶ」現象で、私の周囲にそういうタイプの女性が集まっているだけかもしれませんが。
 
こうした見かけと中身の落差に接する時、これはやっぱり意図的に、もともとの自分とはまったく方向性が違う「もう一人の自分」のイメージを作っているのではないかと思えてきました。つまり、もともとの自分と違うイメージの自分になりたがり、そのイメージを作り込むことにとても熱心で、努力惜しまないタイプということです。
 
「もう一人の自分」を作り上げる過程を楽しみ、できあがったイメージに「うん、けっこう『いい女』じゃない」という満足感を覚えるという営みは、実は、私のような男性から女性へのトランスジェンダーと、とてもよく似ています。違いは、目指すイメージがもともとの性別を越えているか、いないかというだけではないでしょうか。異装と異性装の違いと言ってもいいでしょう。
 
では、なぜもともとの自分とは違う「もう一人の自分」を作りたがるのでしょうか。もともとの自分に満足していたら、わざわざ手間暇かけて別のイメージを作ろうなんてしないはずです。やはり、どこか自分のイメージに満足していないというか、微妙な違和感があるからなのではないでしょうか。
 
このタイプの姐さんの一人が「何回生まれ変わっても女、というタイプの女性は、こんな(着物で作り込む)ことしない」と言いました。至言です。たぶん、成長の過程で女であることになんの違和感も疑いも抱かず、ごくすんなり女になった人は、こういうパターンにはならないと思います。女になること、女であることになにか引っ掛かりがあった女性が「もう一人の自分」を作りだそうとするのでしょう。男としての自分に強い違和感があった私が、女としてのもう「一人の自分」を作り上げていったように。
 
私が仲良くしてもらったある着物姐さんは、「自分の中にいるオヤジの視線で見て『いい女』と思える女に自分を作り込む」と語っていました。自分の中の男の部分が「いい女」を作り出す源泉になっているという精神的構造は、私のようなトランスジェンダーと、瓜二つと言っていいほどそっくりです。
 
心のどこかに男を持っているような、たとえて言えば「前世は男」というタイプの女性の方が、どうも「もう一人の自分」を、女っぽく作り込むのが上手のようです。女優さんや銀座クラブのママに、外見とは裏腹に、中身は男、という人がけっこう多いと聞きます。中身が男っぽい着物女性に「いい女」率が高いのと同じ現象でしょう。
 
着物男性の場合もたぶん同じで、男っぽく、いなせな着物兄さんを巧みに演じている人が、以外とナルシストで女性的というパターンもけっこうあるのではないでしょうか。
 
どうも人間は、もともとの自分とは反対の「もう一人の自分」のイメージを作り上げることで、総体的なバランスをとっているのではないかと思います。そして「内なる異性」を強く抱えている人の方が、「もう一人の自分」のイメージを作り上げることが巧みなようです。
 
ところで、「もう一人の自分」が、どんどん実体化していくと、いつの間にか「もともとの自分」と、どっちが本体なのかわからなくなってきます。そして気がつくと両者の関係が逆転している・・・・。「もう一人の自分」だったはずの順子が、いつの間にか本体化してしまった私のように、着物を着ている自分が本当の私で、洋服を着ている私は世を忍ぶ仮の姿というようになりかねません(もう、なってます?)。まあ、それでもいいのではないでしょうか。裏から見れば表が裏、所詮、虚実皮膜の世界ですから。
 
『Kimono人 2005』には、私が見る限り4人のトランスジェンダーが掲載されていました。トランスジェンダーの比率は一般的に言えば、1万人に1人くらいですから、220人で4人という比率は明らかに「訳有り」の数値です。その「訳」とは、「もう一人の自分」を作り込むという着物人とトランスジェンダーとの精神的・行為的な共通性にあると思います。さて、『Kimono人 2006』ではどうでしょうか。

写真1
私の「もう一人の自分」は、人気のないお宮の境内にたたずんでいる怪しいお姐さんのイメージ。着物は滝縞の会津木綿です。
(撮影:2005年10月、川越 薬師神社)

【初出:『Kimono人 2006』きもの日和実行委員会 2006年11月】

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