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4. 昭和8年(1933)の秩父銘仙の値段 (昔の新聞から2)

(1)艶やかなる銘仙
(2)あやしい着物
(3)銘仙雑考
1. 京都古布保存会主催
「銘仙講演会」
2. 足利市立美術館
「足利銘仙の黄金時代」展
3. 銘仙の良し悪しの見わけ方
(昔の新聞から1)
4. 昭和8年の秩父銘仙の値段
(昔の新聞から2)
(4)ちょっとあやしいきもの論

明手元に、昭和8年(1933)12月に松坂屋が催した「新柄 秩父銘仙宣伝会」の新聞広告があります(『読売新聞』昭和8年12月1日朝刊)。

写真1
松坂屋が催した「新柄 秩父銘仙宣伝会」の新聞広告
(『読売新聞』昭和8年12月1日朝刊)

昭和初期に銀座・日本橋に成立するデパート(三越、松坂屋、松屋、白木屋etc)は、伊勢崎や秩父などの銘仙産地と提携して、大規模な展示即売会を年に何度も催し、春物、夏物、秋冬物それぞれに、今年の「流行」を競いました。今ならさしずめ「〇〇〇(ブランド名)春物コレクション」といった感じでしょう。
 
新興の商業施設であるデパートが、ターゲット(顧客)にしたのは、当時、ようやく台頭しはじめた都市中産階層でした。安価で大衆的な絹織物である銘仙は、中産階層の女性たちの足をデパートに向けさせる絶好の客寄せ商品だったのです。
 
ところで、この広告には、「模様銘仙 5円80銭〜6円50銭」とあります。昭和8年当時の物価は、天丼40銭、封書3銭、山手線5銭、公務員(高等官)初任給75円、小学校教諭初任給50円だったので、現在との比較は約3500〜4000倍程度だと推定されます。それで換算すると、当時の6円は、現代の21000〜24000円ほどになります。
 
現在、絹の反物は、とてもじゃないですけど、この値段では買えません。正規のルートなら、どんなに安くても、この5倍程度はします。このことからも、当時の銘仙が絹織物としていかに安価であったことがわかります。
 
数年前、某銘仙産地で、復刻銘仙に10数万円の値段をつけて発売しようとしました。現代の絹織物の価格常識に沿った値段付けです。その話を聞いて、私は「それは違いますよ。銘仙って、そもそもそういう値段のものではないですから、その値段では銘仙ファンは買いませんよ」とアドバイスしたことがありました。案の定、その値段では売れませんでした。

 
現代とは比較にならないほどの大量生産と安い人件費で大幅なコストダウンが可能だった当時と、少量生産の現代とでは条件がまったく違うことを承知の上で、私の感覚を言えば、復刻銘仙のお値段は、ちゃんとした技法で復元したものでも6〜8万円がいいところでしょう。
 
銘仙とは、そもそもそういう織物(大衆的絹織物)なのですから。

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