昭和初期に銀座・日本橋に成立するデパート(三越、松坂屋、松屋、白木屋etc)は、伊勢崎や秩父などの銘仙産地と提携して、大規模な展示即売会を年に何度も催し、春物、夏物、秋冬物それぞれに、今年の「流行」を競いました。今ならさしずめ「〇〇〇(ブランド名)春物コレクション」といった感じでしょう。
新興の商業施設であるデパートが、ターゲット(顧客)にしたのは、当時、ようやく台頭しはじめた都市中産階層でした。安価で大衆的な絹織物である銘仙は、中産階層の女性たちの足をデパートに向けさせる絶好の客寄せ商品だったのです。
ところで、この広告には、「模様銘仙 5円80銭〜6円50銭」とあります。昭和8年当時の物価は、天丼40銭、封書3銭、山手線5銭、公務員(高等官)初任給75円、小学校教諭初任給50円だったので、現在との比較は約3500〜4000倍程度だと推定されます。それで換算すると、当時の6円は、現代の21000〜24000円ほどになります。
現在、絹の反物は、とてもじゃないですけど、この値段では買えません。正規のルートなら、どんなに安くても、この5倍程度はします。このことからも、当時の銘仙が絹織物としていかに安価であったことがわかります。
数年前、某銘仙産地で、復刻銘仙に10数万円の値段をつけて発売しようとしました。現代の絹織物の価格常識に沿った値段付けです。その話を聞いて、私は「それは違いますよ。銘仙って、そもそもそういう値段のものではないですから、その値段では銘仙ファンは買いませんよ」とアドバイスしたことがありました。案の定、その値段では売れませんでした。
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