7時起床、9時に朝食というパターンは変わらず。今夜は、Chungliに移動なので、荷物作りをしてロビーへ。今日もよいお天気。気温も少し上がった感じなので、着物は黒地に緑の大矢絣模様の単衣の銘仙。ただ、風が少し冷たい感じなので、有松絞りのショールを羽織りました。
10時半に、ホー先生とカール先生の車に分乗して市内観光へ。台北市の政庁地区を通り、建設中の超高層ビル(台北国際金融センタービル
508m 101階)などを眺めながら、北の郊外(至善路二段)の故宮博物院までドライブ。
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「台北市の行政地区」
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「世界一高層ビル(予定)」
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故宮博物院は、緑釉の瓦が美しい伝統中国様式の建物。入口に立つ蒋介石総統の銅像は、今ではあまり見られなくなったとのこと。ゆっくり見たら一日がかりの大博物館なのに、予定の見学時間は2時間足らず。全館を巡るのは最初からあきらめて、レスリー夫妻の希望を優先して陶磁器のコーナーを主に見学しました。
さすがに、中国歴代皇帝が収集した逸品を国民党政府が北京や南京からごっそり運び込んだだけあって、目を奪われるようなものばかり。ただ、レスリー夫妻はもちろん、ホー先生たちも中国美術史にはあまり明るくないようで、結局、最低限の解説は私がすることに。通訳の陳さんに「順子さん、なぜ、そんなに詳しいですか?」と驚かれてしまいました。
見たかった絵画類はまったく見られなかったので、ミュージアム・ショップで、清朝の風俗画の傑作「清明上河図」のビデオを購入して我慢しました。
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「故宮博物院」
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「蒋介石総統の像」
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「故宮博物院の前で 」
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「緑と赤の対比が美しい」
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「故宮博物院の入口」
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市内に戻り、14時30分に帰綏街の「春夫人四物醋工坊」(旧:春鳳楼茶館)に到着。なぜ故宮博物院の観光を短時間で切り上げたかというと、この旧娼館地区訪問のスケジュールが入ったからなのです。
台北市では、1997年9月にそれまで市が与えていたセックスワーカーの営業ライセンスを一方的に取り上げるという事態が起こりました。それまで合法的に働いていた128名のセックスワーカーたちは、いきなり生活手段を奪わることになり、激しい反対運動を繰り広げました。その結果、1999年1月になって、暫定的処置として転職のための2年間の猶予期間を設けるという法律が公布されましたが、猶予期間が終わった2001年3月に台北市の公娼制度は完全に廃止されました。現在でも、ライセンスの再交付を求める元セックスワーカーの運動が続いています。
「春鳳楼茶館」は、数年前まで実際に営業していた娼館で、現在は、お酢の製造販売をするとともに、娼館の実態を示す展示施設になっています。ここでデリバリーのランチボックスを食べながら、元セックスワーカーの方と支援運動の方のお話をうかがいました。
お話の後、保存公開されている営業に使われていた一室を見学しました。ここで働いていた女性の少女時代から現役時代の写真がパネル展示されていて、その生々しいリアリティと複雑な現実に言葉もありませんでした。
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「旧「春鳳楼茶館」の入口」
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「旧「春鳳楼茶館」入口」
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「現在は、お酢の製造販売」
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「娼婦の部屋で」
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「支援運動の方達と記念撮影」
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複雑な思いで「春鳳楼茶館」を後にして、支援運動事務所を目指して、帰綏街を東に向かいました。途中、道端に小さなお寺があり、お参りがてら内部を見せてもらいました。お寺というよりお堂に近い感じでしたが、香華は絶えず、ダウンタウンの人達の信仰を集めているようでした。そう言えば、「春鳳楼茶館」の入口の壁面には、仏教の護法神の絵札が貼り付けてありましたし、地蔵菩薩のお札もみかけました。ダウンタウンには庶民的な仏教信仰が根強く残っているようです。
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「お寺の内部」
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「大きなな絵ロウソク」
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「入口の壁面にあった守り神」
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「地蔵菩薩のお札」
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日本統治時代の建物が残る旧娼館地区を見学しながら支援運動事務所まで歩きました。事務所では、激しい反対闘争の様子を記録したビデオを見せていただきました。
(「春鳳楼茶館」と帰綏街の旧娼館地区の詳しい見学記は別稿にまとめる予定です)
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「帰綏街旧娼館地区で」
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「帰綏街旧娼館地区で」
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ダウンタウンの帰綏街から、中心部の中山南路にある「中正(蒋介石)記念堂」の広場に到着したのは、18時を過ぎていました。台北観光では故宮博物院と並ぶスタンダードな場所ですけども、もうあたりは真っ暗。フラッシュが届かない大きな建物は、撮影の仕様がありません。闇が広がる広場は人少なでかなり寂しい感じ。昼間に来ていたらまた違った印象だったと思いますけど・・・。
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「中正記念堂広場で」
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「旧台湾総督府の夜景」
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「さあ、これで、夕ご飯かな」と思ったら、カール先生が「食事をする場所の近くに有名なお寺があります。いきますか?」と言い出しました。かなりお腹が空いていたけれど、やっぱり探求心が勝ります。「はい、行きたいです」と答えて、行き先は台北庶民の信仰を集める古刹、広州街の龍山寺。
駐車場からお寺まで歩いた道筋には、仏具店が並び、庶民的な街の雰囲気からしても、東京の浅草界隈といった感じ。お寺の建物や仏像は新しいものなので特にどうということはありませんが、興味深かったのは、台湾の人達の参拝の仕方。本堂の前には、たくさんのお花や供物が具えられた拝礼台があり、膝を着いた姿勢で長い線香を捧げて叩頭する人が数多く見られます。また、日本のように本堂の前で手を合わせて済ませるのではなく、いくつもあるお堂のひとつひとつの仏像を丁寧に巡拝していきます。いずれも、日本では廃れてしまった仏教本来の拝礼作法です。
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「古刹龍山寺で」
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「龍山寺で」
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「お花が具えられた拝礼台」
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明日の帰国の無事を祈った龍山寺を後に、華西街の観光夜市へ。こういう庶民的な食文化には、おおいに興味がある私なので、時間があればゆっくり見て歩きたいところですが、時間がないためほとんど通り抜け状態で、海鮮料理の「台南担仔麺」へ。ようやく夕食となったのは20時を過ぎていました。
「台南担仔麺」の海鮮料理、中華にちょっとフレンチが入った感じで、どれもおいしかったのですが、内装が「これでもか」と言うくらい成り金趣味なのがおかしかったです。なんでも田舎から出てきて台北で成功した人が、田舎から親類縁者を招いて成功を誇る宴会をするのに絶好の場所とか・・・。
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「夜市の夜店」
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「台南担仔麺」
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City Inn Chungliに到着したのは23時。3日間、お世話になったホー先生、カール先生、通訳の陳さん、それにレスリー夫妻とは、ここでお別れです。感謝の気持ち一杯で別れを惜しみ、いつの日かの再会を約しました。
ほんとうにありがとうございました。
台湾での3日間、ずっと和服で通しましたけど、礼儀正しい台湾の人たちは、ちらっと目を向けても物珍しそうジロジロ見る、ということはありませんでした。ぶしつけな批判めいた視線を向けてきたのは、ホテルのロビーですれ違った日本人観光客だけでした。
ただ、旧娼館地区を通り抜けた時、軒下に置かれた椅子に座っていたかなり高齢の女性がじっと私を見ているのに気がつきました。たぶん日本統治時代に和服の日本女性に接してきただろう、おばあさんの目に、私がどう映ったのか、今でも気になっています。
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