日本女装昔話
第33回】  女装男娼の集合写真  (1930年代)

前回、ご紹介した『エロ・グロ男娼日記』に関連して、昭和戦前期の女装男娼について調べているうちに、私が所蔵している資料の中の1枚の写真が気になりはじめました(写真1)。同性愛者のグループを紹介した週刊誌の記事に掲載されている「大正時代の大阪の男娼たち」というキャプションがついた写真です。
 
写真には8人の着物姿の「女性」が椅子に腰掛けて並んでいます。皆それぞれに着飾った姿、それに背景などから、スナップ写真ではなく、ちゃんとした場所で何かの会合の折りに記念撮影的に撮られたもののようです。しかし、彼女たちが本物の女性でないのは、下部に男性名と女装名(それに年齢)が記されていることからわかります。印刷が不鮮明なのが残念ですが、皆さん、なかなかの女っぷりで、女装レベルの高さがうかがえます。
 
なぜ、この写真が気になるかというと、理由が2つあります。ひとつは、写真の時期の問題、直感的に「大正時代」よりももっと新しい昭和戦前期の写真ではないかと思ったのです。というのは、昭和の着物史を勉強している私の目からすると、左端の「繁子」が着ている幾何学模様の着物(銘仙?)、左から3人目の「百合子」が着ている大柄の模様銘仙?は大正期では早すぎるのです。この手のモダンな柄は、1930年代(昭和5〜15)の流行です。
 
小2つ目は、女装男娼の組織化の問題です。『エロ・グロ男娼日記』の愛子や、昭和2〜12年の東京における逮捕事例をみても、戦前期の女装男娼は単独行動で、グループ化の形跡は見られません。東京の女装男娼が組織化されるのは戦後混乱期の上野において、というのが私の仮説です。

しかし、この写真によれば、少なくとも大阪ではすでに戦前期に、こうした会合をもつ程度には、女装男娼の横のつながりがあったことになります。
 
さらに調べている内に、もう一枚、女装男娼の集合写真らしいものを見つけました(写真2)。1951年に刊行された井上泰宏『性の誘惑と犯罪』の口絵に掲載されていたものです。キャプションには「女化男子」とあり、写っている10人が女装の男性であることがわかります。しかし、撮影時期・場所、どういう人たちなのかは一切記されていません。
 
この写真も、着物史的に見てみましょう。屋外での撮影ということもあって、10人中7人が大きなショール(肩掛け)を羽織っているのが注目されます。この手のショールが大流行するのは、やはり1930年代なのです。写真1でも室内にもかかわらず右から4人目の「お千代」が羽織っています。

というわけで、この写真もまた1930年代のものと推定できます。当時、アマチュアの女装者はまったく顕在化していないので、彼女たちもまたプロ、つまり女装男娼と考えて間違いないでしょう。場所が不明なのは残念ですが、やはり集会を開く程度の横のつながりが、すでにあったことが確認できるのです。

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「資料33-1」


「資料33-2」
資料33-1  「日本花卉研究会−世にも不思議な社交クラブ−」
(『週刊文春』1959年6月15日号)
資料33-2  井上泰宏『性の誘惑と犯罪』
(1951年10月 あまとりあ社)