日本女装昔話
第32回】  『エロ・グロ男娼日記』の世界(その2)  (1931年)

前回は、昭和6年(1931)に刊行即日発禁処分になった実録(風)小説『エロ・グロ男娼日記』(流山龍之助著 三興社)の主人公、浅草の美人男娼「愛子」の生活ぶりを紹介しました。そこで問題となるのは、愛子のような女装男娼が、昭和初期の東京にほんとうに実在したか?とういうことです。
 
そのヒントは作中にありました。ある日、愛子は浅草公園の木馬館裏手にいた人品のいい男に誘いをかけたところ、これが象潟署の刑事で、彼女は直ちに逮捕連行されてしまいます。そして「旦那如何です モガ姿の変態が刑事に誘ひ」という見出しで新聞に載ってしまいました。
 
この箇所を読んだ時、「あれ?どこかで見た記事だなぁ」と思いました。早速、ファイルを調べてみると、小説刊行の3ヵ月前の『読売新聞』昭和6年2月27日号にまったく同じ見出の記事がありました。小説の愛子逮捕の記事は、実在の女装男娼逮捕の記事を出身県と氏名を伏字にしただけでそのまま流用していたのです。
 
この時、逮捕されたのは 福島県生れの西館儀一(24歳)という女装男娼。この人物は、富喜子と名乗って浅草を拠点に活動していたことが他の記事からわかります(『東京朝日新聞』昭和2年8月13日号)。
 
もちろん、この記事の一致から、愛子=西館儀一(富喜子)と考えるのはあまりに単純すぎます。ただ、愛子のモデルになるよう女装男娼が、昭和初期の東京浅草に確実に存在していたことは間違いありません。

小説の中で、愛子が新聞記者のロングインタビューを受ける箇所があります。記者は愛子から、出身、子供時代の思い出、女装男娼になった経緯、現在の日常などを詳細に聞き出しています。
 
おそらく、小説の作者(流山龍之助)も、この新聞記者のように実在の女装男娼から詳しいインタビューをとり、それをもとに小説化したのではないでしょうか。それほどこの『エロ・グロ男娼日記』はリアリティに富んでいるのです。
 
浅草を拠点に活動していた女装男娼たちは、やがてモダン東京の新興の盛り場として賑わいはじめた銀座に進出します。愛子も銀座に出かけて松坂屋デパートで半襟などを買った後、上客(退役陸軍大佐)をつかんでいます。浅草から銀座へ、東京の盛り場の中心の移動とともに、女装男娼の活動地域も移動するというのはおもしろい現象です。
 
その結果として、1933〜37年(昭和8〜12)、銀座で逮捕された女装男娼が何度か新聞の紙面を賑わすことになりました。その中には、1937年3月に逮捕された福島ゆみ子こと山本太四郎(24歳)のように、「どう見ても女」と新聞で絶賛?された美人男娼もいました。
 
困難な社会状況の中で、たとえ男娼という形であっても、「女」として生きようとした彼女たちに、どこか共感を覚えるのは私だけでしょうか。

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「資料32-1」
資料32-1  女装男娼福島ゆみ子の艶姿(『読売新聞』昭和12年3月28日号)。
「男ナンテ甘いわ」というキャプションが実に効果的です。