日本女装昔話
第8回】 ブルーボーイの衝撃 − パリ「カルーゼル」一行の来日 − (1960年代)
1963年の末、フランス(パリ)のショー・クラブ「カルーゼル」の女装ダンサー、キャプシーヌ一行が来日して、東京のクラブ「ゴールデン赤坂」でショーを上演しました。好評に気を良くした主催者は翌1964年11月には、キャプシーヌと並ぶトップスター、バンビを中心とするメンバー5人を招請して「飾り窓の貴婦人たち」と題するロング公演を行います。
 
「ブルーボーイ」と呼ばれた彼女たちのショーは次第に話題を呼び、1965年末のソニーテールを中心とした第3回公演は週刊誌など一般メディアにも取り上げられいわゆる「ブルーボーイ・ブーム」を巻き起こします。

「ブルーボーイ」の来日は、第3回公演を終えて帰国する一行を乗せたイギリス海外航空(BOAC)機が、1966年3月5日、富士山麓に墜落し乗員全員が死亡するという悲劇によって幕を閉じます。しかし、異国の空に散った彼女たちが日本の女装ビジネス世界に残した遺産はとても大きなものがありました。
 
その第一は、豪華でセクシーな衣装に彩られた見事に女性化した肉体の魅力です。彼女たちはその人工の女性美を日本の男性にたっぷりアピールしたのです。第2回公演には、当時の日本を代表するゲイボー
イである青江、ケニー、ジミーの3人がジョイント参加していますが、日本舞踊を基礎にした日本勢の舞台は、その点では敵うすべがありませんでした。1960年代後半から70年代に活躍する銀座ローズ(武藤真理子)や、「カルーゼル」の名を間接的に受け継いだカルーセル麻紀のような女性的身体をセールスポイントにする性転換ダンサーの出現は、この「ブルーボーイ・ブーム」の延長上にあったのです。
 
第二は、訓練された踊りと歌で構成された性転換&女装ショーがショービジネスとして成立することを教えてくれたことです。1970年代に出現する「プティ・シャトー」(西麻布)に代表されるフロアーショーを重視したゲイバーは、このブルーボーイ・ショーの影響を受けたものと考えられます。
 
1960年代後半から70年代にかけて日本の女装ビジネス世界、つまり「ゲイバー世界」では、ホモセクシュアル世界との分離、ゲイボーイの女性化、ショービジネス化の3つの流れが進行していきます。「カルーゼル」のブルーボーイの来日は、そうした潮流の原点として、日本の女装ビジネス世界にとって幕末の「黒船来航」に匹敵する衝撃だったのです。
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資料8-1  1964年11月の第2回公演のパンフレット。モデルはバンビ
資料8-2 第2回公演のメンバー紹介
(1、2とも 山崎淳子コレクションより)
資料8-3 第三回公演のメンバー。後列左よりクリスチーヌ、ココ、キスミー、前列左よりレディ・コブラ、ソニーテール
資料8-4 第三回公演のソニーテールの舞台
資料8-5 第三回公演で来日のキスミー
(3〜5 掲載誌不明 山崎淳子コレクションより)