日本女装昔話
第7回】 最初の性転換ヌードダンサー − 吉本一二三と高橋京子 − (1960年代)
「踊りって言えるような代物じゃなかったけども、なにしろ性転換した人の裸なんて初めてでしょ。けっこうな大当たりだったのよ」
 
1961年に浅草ロック座で性転換女性吉本一二三と高橋京子のヌードショーを実見したある女装の先輩が、こう語ってくれました。吉本一二三は、1950年代から美貌とファッションセンスの良さがウリの男娼として銀座・新橋界隈ではかなり知られた存在でした。女に成り切りたいと思った彼女は、東京のある病院で3年間の歳月と90万円の費用(電車の初乗りが10円だった時代)をかけて1960年に性転換手術を完了します。そして、妹分である女形出身の性転換女性高橋京子とともに、この年、性転換ヌードダンサーとしての初舞台を踏んだのでした。
 
日本における男性から女性への性転換は、1951年に東京の日本医科大学付属病院で手術を受けた永井明子が第1号であることはほぼ間違いありません。1952年末に世界的な話題をさらった元アメリカ軍兵士クリスチーナ・ジョルゲンセンの性転換(1952年2月にデンマークで手術)に先立つものでした。現在と違って当時の日本は性転換手術の先進国だったのです。
その後、松平多恵子(1953年に去勢手術)、緑川雅美(吉川香代 1954年手術。仮性半陰陽)、椎名敏江(1955年手術)などが性転換女性として週刊誌などに報道され、吉本や高橋の性転換手術はそれらに続くものでした。
この内、松平を除く3人は歌手としてステージに立ちましたが、女性に転換した裸体を観衆の目に露にすることはありませんでした。そうした点で、吉本と高橋のヌードショーへの進出は画期的なことだったのです。
 
彼女たちの舞台は、大衆的な興味を呼んで興業的にも大成功、舞台の写真や吉本の手記が週刊誌に掲載されるなど一時はマスコミの注目を集めました。当時、女装者愛好の男性としては第一人者だった鎌田意好(富貴クラブ会長)も、吉本について「ヌードは元これが男性だったとはとても思えない。・・・本物の女性以上かもしれない妖しい魅力があった」と語っています(『くいーん』22号)。
 
性転換ダンサーの系譜は、その後、銀座ローズ(武藤真理子 1960年手術)、ジュリアン・ジュリー(山本珠里 1968年手術)などを経て、カルーセル麻紀(1973年にモロッコで手術)へと受け継がれることになります。
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「資料7-1」


「資料7-2」


「資料7-3」


「資料7-4」
資料7-1  舞台姿の吉本一二三(右)と高橋京子
資料7-2 吉本一二三のヌードショー
(1、2とも掲載誌不明 山崎淳子コレクションより)
資料7-3 男娼時代の吉本一二三(1952年頃)
資料7-4 芸者姿の吉本一二三(1952年頃)
(3、4とも広岡敬一『昭和色街美人帖』自由国民社 2001年6月より)