日本女装昔話
第6回】 女装スナック「梢」 −新宿女装世界の原像 − (1960〜1970年代)
新宿花園神社の裏手に昭和30年代の残り香をとどめるゴールデン街地区、その「花園五番街」のアーケードをくぐった左側の2軒目(手前の駐車場は著名な女装スナック『ジュネ』の旧跡)に、入口のサイドを鉄平石で化粧した建物があります。今は無人で荒れ果てていますけども、ここが新宿女装世界の原点とも言えるスナック「梢」があった場所なのです。
 
1967年(昭和42)2月、アマチュア女装秘密結社「富貴クラブ」の有力会員である加茂梢さんが新宿花園五番街にスナック「ふき」を開店しました。これが東京における最初のアマチュア女装系の飲食店でした。翌年2月、加茂グループは「富貴クラブ」を事実上除名され、1969年9月には店名を「梢」と改称し、独自の立場でアマチュア女装者の育成を開始します。
 
プロの女装従業員が男性客を接客するゲイバーと異なり、「梢」はアマチュア女装者が客あるいは臨時従業員(ホステス)として、女装者愛好の男性客と空間を共にするという新しい営業スタイルをとりました。つまり、女装者と女装者愛好男性の「男女」の出会いの場としての機能をお店に持たせたのです。「梢」の出現によって、プロの女装世界(ゲイバー)と純粋なアマチュア女装世界(富貴クラブ)の中間に女装スナックを場とする
新宿のセミプロ的な女装世界の原型が形成されたの
です。
 
加茂梢さんは、1923年(大正12)、静岡県浜松市に生れ、学徒出陣から復員して読売新聞社に入社して21年間在職された方です。「富貴クラブ」の会員としてアマチュア女装から出発し、セミプロ、そしてプロの女装世界へという「華麗」な転身ぶりは、大新聞社の元社員という経歴もあって、当時のマスコミでかなり話題になり、『女性自身』『週刊ポスト』にロング・インタビューが掲載されたほか、テレビやラジオにも出演しています。
 
しかし、「梢」の創業とともに彼女の名を不朽にしたのは『風俗奇譚』1967年6月号から連載を開始した「女装交友録」でしょう。1974年1月号まで足掛け8年80回に及ぶ長期連載となったこの随筆は、加茂梢というひとりの女装者の人生を記しただけでなく、彼女を取り巻く大勢の女装者の生態、そして新宿女装世界の揺籃期の記録として日本女装史の貴重な資料となりました。
 
ところで、梢さんは1970年9月に『女装交遊録』という単行本を太陽文芸社から出版ています。古本屋などをかなり探したのですが、まだ手に入っていません(コピーは入手できました)。もし、お持ちの方がいらっしゃいましたら、譲っていただけたら、とってもうれしいのですが。
[画像資料] 画像をクリックしていただければ大きな画像が見られます


「資料6-1」


「資料6-2」


「資料6-3」
資料6-1  「富貴クラブ」時代の加茂梢さん 『風俗奇譚』1966年5月号
資料6-2 全盛期の加茂梢さん 『女性自身』1969年9月6日号
資料6-3 「梢」の前に立つ美人女装者。アシスタントの洋子さん 『風俗奇譚』1971年3月号