【第03回】 自分の身体は自分の責任で

2002. 04

皆さん、女装ライフはいかがですか? 前回は、女装は遊び、仕事にしないで楽しみましょう、というお話をしました。今回は、女装と身体のお話です。
 
2年ほど前のことだったと思います。新宿の女装スナックでママにこんなことを尋ねられました。「お化粧とかぜんぜんしたこと無いって言うのに、女性ホルモンをやってるっていうお客さんがみえたのよ。いったいどういうことなの?」「ふ〜ん、身体を女性化すれば、それで女になれると思ってる人たちなのかもね」あたしは、そう答えましたけど、昔気質のママが驚くのも無理はありません。10年くらい前までは、身体の女性化はプロ(ニューハーフ)がすることで、アマチュアの女装者が手を出すものではなかったからです。そこにはかなりはっきりとした線引きがありました。たまにはアマチュアなのに、髪を伸ばしておっぱいを大きくしてる女装者もいましたけど、「あんたも馬鹿ねぇ、会社に居ずらくなっても知らないわよ」という感じで、必ずしも好意的に見られてたわけではありません。薬や手術で手を加えてない男の身体で、どこまで女を装えるか、そして、その気になればしっかり男の姿に戻れること、それがアマチュア女装者のポリシーでありプライドだったのです。
 
そんな古風な概念を吹き飛ばしてしまったのが、1997〜98年ころからの性同一性障害問題の浮上でした。なにしろ今まで後ろめたさが付きまとっていた「身体を女性化したい」という願望に、医学が「性同一性障害」という形でお墨付きを与えてくれるようになったのですから、これほど心強いことはありません。今まで女装世界の中に居ながら、落ち着きの悪かった身体女性化願望の強い人たちが、続々と性同一性
障害という新しいカテゴリーに移っていきました。
 
ところが、実際の性同一性障害の治療の段取りは、なかなか大変です。身体を女性化するためのホルモン療法や手術療法(性転換手術)を受けるためには、最低でも1年以上の精神療法(カウンセリング)を継続しなけれならず、すぐに女性的な身体が手に入るというわけにはいかないのです。
 
そこで福音になったのが、性同一性障害問題の浮上とほぼ時を同じくしたインターネットによる情報革命でした。それまでは、どこの病院に行ったら女性ホルモン投与を受けられるか、どこの病院でいくらぐらいで性転換手術をしてもらえるか、といった情報は、プロのニューハーフ世界の中で秘匿されて、アマチュア女装者の元には届かなかったのです。ところが、インターネットを使うことによって、女性ホルモン剤が簡単に個人輸入できるようになり、また性転換手術をしてくれる海外(タイなど)の病院の情報も得られるようになりました。さらに、匿名の掲示板などで国内の秘密情報も流出し始めました。
 
こうして今では特別のコネクションがなくても、おっぱいを膨らましたかったら、インターネットで個人輸入代行業者に依頼すれば10日後には女性ホルモンが手にできるし、豊胸手術をしたかったらネットでちょっと検索すればいくらでも病院は見つかるし
、100万円を持って大阪のW形成外科クリニックに行けば、ちゃんと造膣手術をしてくれて、晴れて「女の身体」になれる時代になりました。
 
しばらく前まで、あたしは「身体を女性化したい」という相談には「止めておいた方がいいわよ」とアドバイスしてました。でも今は「好きにしなさいな」と答えます。これだ
け情報が流出してしまったら、お腹をペコペコにすかせてる子供の前においしいお菓子をばらまいたようなもので、「食べちゃダメ」と言っても無理に決まってるからです。
 
身体にホルモンやメスを入れることが、どれだけ身体的・社会的リスクがあるか、例えば、どこのママは血栓が眼底血管に詰まって目の前が灰色になったとか、あの姐さんは心臓の血管に血栓ができて(心筋梗塞)救急車で運ばれたとか、こっちのお嬢さんは劇症一歩手前の薬物性肝炎で死にそうになったとか(全部実話です)、いくら懇切に説明しても、ご当人が「男の身体で長生きするくらいなら、たとえ早死でも女の身体で死にたい」と言うのならば、これはもう言うだけ無駄です。「自分の身体なんだから、どうするかは自分で決めなさい。ただし、どうなろうとも自己責任よ」と言うしかありません。でも、せめて女性ホルモンについての正しい知識は持って欲しいですけどね。
 

男の身体のままでも、お風呂にだって入れる。おっぱいが大きいように見えるのは目の錯覚。

あたしだって、自分の男の身体は嫌いです。豊かな乳房が欲しいといつも思ってますし、ペニスの存在が厭わしくなったことも何度もあります。女性ホルモンの注射をしてくれる病院に予約を入れたこともありました。でも結局、あたしは、女性ホルモン投与も身体にメスをいれることもしないで、今まで来ました。子供(男の子)といっしょにお風呂に入ってやれる身体でいようと思ったことが一番の理由、両親からもらった身体に傷をつけないのが最低の親孝行という倫理観が二番目の理由でしょうか。あたしは、男の生地のままの身体で、化粧のテクニックとファッションセンス、それに「女」の心意気で、どこまで「女」を演じられるかを生きがいにする古風な女装者なのです。

ところで、女装者にとって身体とは何なのでしょうか。「女性化した身体」を自分で眺めて自己満足を得たい方は別にして、客観的な視点ということで考えてみましょう。たしかにあまりゴツい毛むくじゃらな身体は女装者としては不適当でしょう。だからと言って身体を女性化することが魅力的な女装者に直結するかと言うとそうではありません。なぜなら人間は裸体で社会生活を送っているわけではなく、衣服をまとっているからです。
 
つまり身体は衣服によって隠蔽され、外観のイメージは衣服によって操作可能なのです。具体的に言えば、あたしのような「胸ぺったん」でも、大きめのパットと寄せ上
げブラを使うことで、胸の谷間が魅力的なCカップの美乳を、少なくとも外見的には作ることができます。もっと言えば、手術で皮膚の下に生理食塩水パットを入れるのも、皮膚の上にブラパットを乗せるのも、衣服を着ている限り、外観的には大差ないということです。
 
「でも、それじゃあ裸になれないじゃない」という意見があると思います。確かに人前で裸になるお仕事、セックスワークやトップレスで踊るダンサーは、こんな小細工では勤まらないでしょう。でも、普通の女装者がそんなに人前で裸になる機会ってあるのでしょうか?。せいぜい年に1〜2回の温泉旅行の時と、男性とSexする時くらいでしょう。Sexの時の話は、いずれ機会があったら詳しくしたいと思いますけど、温泉だって女湯に入るのならば、それは確かにハードルは高いでしょうが、混浴だったら結構「女」で通せちゃうものなのです。まして男湯に入るんだったら何も問題はないでしょう。
 
衣服で隠せて操作できるボディよりも、女装者の外観イメージで大事なのは、身体が露出する顔(首も含む)・手・脚です。顔が注

男の身体のままでも、プールにだって入れる

目されるのは予想できると思いますけど、あたしの「女」としての社会経験からすると、脚は男性の、手は女性の視線を思いの外に集めています。ですからお化粧のセンスとテクニックを磨くことは、女装者として最も重要なことですし(「女装の道は化粧の道」)、手や脚のお手入れも怠ってはなりません。
 
そして全てに共通する基礎は肌です。肌を健全に美しく保つことは女装の根本です。あたしの場合、幸いなことに、張り・きめ・色など肌の諸要素は、実年齢より10歳若い女性の平均値をやや上回ります。同世代の女性に「きれいなお肌ねぇ。どんなお手入れをしてるの?」と、よく聞かれますけど、特別なお手入れをしてるわけではありません。日焼けをしないで、きちんと洗顔して、その後、化粧水と乳液(冬場はクリーム)を塗るだけです。使ってるのは「植物物語」シリーズやニベアのハンドクリームで高価なものではありません。ただ小まめに丁寧に気を使ってるだけです。
 
もし、身体に手を加えるなら、最初にすべきは脱毛でしょう。顔・手・脚は、身体が露出する部分だけに脱毛はきわめて効果的ですし、肌のコンディションを良くすることにつながります。脱毛もレーザー脱毛の普及でずいぶん楽になりました。以前、行われていた電気針脱毛にくらべて、痛みも手間も効率も格段に改善されています。通
常の濃さの髭なら、1年間6回程度の集中照射でほとんど目立たなくなるはずです。あたしも「女」としての昼間の仕事が多くなったのを機会に髭のレーザー脱毛を始めました。まだ完璧とまでは行きませんが、お化粧が薄くなって手間がかからなくなっただけでなく、ファンデーションの下に隠した髭の存在を意識しなくてすむのは、気分的にものすごく楽です。
 
最後にもうひとつ。世の中の性別認識は、身体の男・女を単純に反映しているわけではないと言うことです。例えば、あたしの友人たちのあたしに対する認識は「(身体は男でも)俺にとっては順子は『女』」「(身体は男でも)あたしにとっては順子姐さんは『女』」というパターンがけっこうあります。あからさまに言えば、ある男友達からすれば、「ペニスのある女」あるいは「大きなクリトリスの女」ですし、ある女友達からすれば、「おチンチンあるらしいけどお姉ちゃん。一緒にお風呂入っても平気だよ」ということです。
 
こうした個別の性別認識が集まって、「順子」という存在への認識が形成されているのです。ここで言うカギ括弧付きの「女」と

男の身体のままでも、 「女」として社会的に活動できる。
(着物仲間の新年会、築地の高級料亭
「たむら」のお座敷で)

は、「女扱い」「女見立て」と言うことですけども、こうした身体という次元を超越した性別認識は、日本社会が伝統的に持ってきたものなのです。例えば、歌舞伎の坂東玉三郎が身体的に男性であることは誰もが知っていながら、玉三郎が演じる「女」に陶酔できる感性です。あたしが男の身体のままで「女」としての社会的活動ができる仕組みも同様なのだと思います。そこには性器が男か女か、おっぱいが有るか無いかというような生の身体的要素が存在する余地はなく、逆に男の身体で女を装うテクニックが発揮できる場があるのです。
女装情報データベース