昨年(2005年)は、国際学会に出席のためバンコク、ソウルと飛び回り、あわただしい夏でした。今年(2006年)は、暑い東京でひたすら「新書」(順調にいけば2007年秋刊行予定)の原稿を執筆する日々です。
さて、5月下旬の誕生日、自分の「ブログ日記」に「お陰さまで39歳になりました」と書いたら、すぐに女装世界の大先輩から「アンタ、51歳以上でしょう!」というお叱りの書き込みをいただいてしまいました。ちゃんと読んでもらえれば大サバ読みの冗談だと、解るように書いてあるのに・・・・。
冗談にマジで突っ込み入れるなんて、つくづく野暮なご仁だなぁと思いながら、「『以上』は余計です」とお返事しておきました。まあ、人間誰しも歳をとると、思考の柔軟性が失われるものなのでしょう。私もこれから注意しないと。
ということで、また一つ、歳を重ねたわけですけど、もう6年ほど前に、慶応義塾大学の石井達朗先生(演劇論)に「三橋さんは、女装の人には珍しく、ちゃんと年を取ってるね」と言われたことがありました。その時にはあまりピンとこなかったのですが、最近になって、どうもそうらしいことに気が付きました。
女装者の中には、実年齢が50歳を越えているのに、TPOに関係なくいつもお尻の見えそうなマイクロミニのコギャル・ファッションだったり、フリフリレースのロリータ・ファッションの人がいます。そうした人のイメージ年齢は、いつまでも20歳だったり
、9歳だったりして、「女」として年を取ることがありません。
そういう人たちは、自分の「女」としてのイメージが、マイクロミニやフリフリレースに固着しているので、年齢によってファッションが変化することがないのです。
人の在り様はそれぞれですから、そういうフェティシズム的な女装者を批判するつもりはありませんが、どうも私にはそうした固着がないような気がします。ミニスカートも、ドレスも、振袖も大好きですけども、そこにフェティッシュな愛着はありません。その時、その時の年齢イメージ(実年齢より多少は引き算をしていましたが)と
TPOに応じた自分らしいファッションをしてきただけのつもりです。だから、50歳を越えて「女」としての社会的立場もそれなりにでき、それに反比例して体型も崩れているのに、実年齢より30歳も若いようなギャルファッションをしようとは思わないのです。
試みに、それぞれの時期の私の自己イメージに近い写真を並べてみましょう。左からイメージ年齢20歳代(実年齢は38歳)、30歳代(同、45歳)、40歳代(同、51歳)です。こうしてみると確かに「女」としてちゃんと年を取っていますね。最近になって実年齢にイメージ年齢が追いついた感じです。
しかも、自惚れかもしれませんが、それぞれの時代にそれなりに「いい女」をしているし、「女」の年の取り方としては、まずまずうまくいってる方なのではないでしょうか。
ところで、最近、アンチエイジングへの社会的関心が高まり、皺やたるみを取るという触れ込みのアンチエイジング化粧品の売上が急上昇中のようです。また、ケミカルヒーリング、ヒアルロン酸やコラーゲン注入などの美容皮膚形成の情報はあちらこちらで飛び交っています。
そのせいでしょうか、私の実年齢を知った女性から、「いったいどういう特別なお手入れをしているのですか?」と質問されることが増えたような気がします。
私の場合、化粧品売り場の「お肌チェック」だと、だいたい40歳の女性の平均くらいの数値が出ます。肌のきめと張りは30歳代後半の値です。
今から10年前、新宿歌舞伎町の「ジュネ」のお手伝いホステスを始めた時、実年齢はすでに41歳だったのに、お客さんには「順子で〜す。29歳で〜す」と自己紹介してました。そうすると、お客さんは「29?
もうちょっと行ってるだろう。32、3くらいかな」と突っ込んできます。「あっ、やっぱりわかっちゃいますぅ」と応じる私。という感じで、だいたい8〜10歳くらい下で通ってました。週刊誌に年齢が載ってしまい、実年齢がバレた時には、何人かのお客さんに「大嘘つき」と言われたものです。
ただこれは私の努力の成果ではなく、皮膚の老化が遅い母方の血筋(遺伝)のせいなのです。この点は、「女」としてつくづく恵まれている体質だと感謝しています。ですから、人様にアドバイスできるようなお手入れは何もしてないのが実際です。せいぜい、夏の日焼けに気をつけること、毎日朝晩きちんと洗顔して、その後に保湿化粧水(カネボウのモイスタージュ、800円くらい)をしっかり塗りたくるくらいです。
とは言え、本当に何もしないでいると、ずるずるとおばさん化が進行するので、2005年6月から、思い立ってダイエットを心掛け、約10%の体重減に成功し、かつ髪を伸ばしはじめました(現在、肩に届くくらい)。そのかいあって、この1年でちょっとリニューアルできたみたいです。
さて、50歳代の私はどんな「女」になるのでしょう。ごく自然に年齢を重ね、できることなら、あまり急速に老け込まず、昔の華やぎをいくらかでも残しているような「おばちゃん」になりたいと思っています。
|