【第43回】
台湾トランス紀行
2004. 5
2003年12月、台湾国立中央大学の主催で開催されたミニ国際シンポジウム「跨性別新世紀」に参加してきました。「跨性別」とは、性別を跨がって生きる人、トランスジェンダーの漢語訳です。
メインゲストは、アメリカのFTM作家レスリー・ファインバーグさん。日本から私がサブゲストという形で、台湾のジェンダー/セクシュアリティ研究の第一人者ジョセフィン・ホー中央大学教授をはじめ台湾の研究者と意見交換をしてきました。そして4泊5日(実質、中3日)いう短い時間でしたけども、現地のセクシュアル・マイノリティの人たちとも交流してきました。
大学でのシンポジウムでは、日本のトランスジェンダー事情を簡
「主宰者のジョセフィン・ホー教授と」
単に解説した後、スライドを使って日本社会の中のトランスジェンダーの実際を紹介しました。
ニューハーフショーの写真や『ニューハーフ倶楽部』の表紙も見てもらいました。私が主宰する「クラブ・フェイクレディ」の旅行の集合写真を見せて「これは一般の
観光地で写したもので、10数人全部がMTFです」と説明したら、会場がどよめきました。言葉の壁があるにもかかわらず、幸いとても好評でした。
大学のシンポジウムや、翌日台北市の大きな書店で行われた公開座談会では、性同一性障害(GID)という概念が突出した日本のトランスジェンダー事情に鋭い質問が集まりました。
例えば「日本では(ニューハーフなどの)既存のトランスジェンダーのコミュニティが存在していた
「アメリカのFTM作家レスリー・ファインバーグ氏と」
のに、なぜ性同一性障害という医学概念が急速に主流化してしまったのか?」など、私が返答に窮するような本質的な質問もありました。アメリカでも台湾でも、当事者が自分で名乗るのは、トランスジェンダー、もしくはトランスセクジュアルで、性同一性障害(GID)という精神疾患の概念をアイデンティティとすることはほとんどないそうです。
どうも「世界標準」からしても、性同一性障害という精神疾患の概念が社会的に幅を利かす日本の状況は、かなり特異であることがわかりました。
二日目の夜、台湾のセクシュアル・マイノリティの人たちが「彩虹霞光晩会」という台湾初のトランスジェンダー・パーティを開いてくれました。
会場は台北駅近くの古いビルの地下のレズビアン・パブ。MTFの人とFTMの人が協力してダンスや寸劇などいろいろなパフォーマンスを披露してくれました。私はお返しとしてテレサ・テンの「時の流れに身をまかせ」を歌いましたが,思いがけず大喝采していただけて、うれしかったです。
ともかく楽しい集まりで、きまじめだけど重苦しい日本のGIDの集会とはずいぶん違う雰囲気でした。それと、MTF、FTM、さらにレズビアンと、各カテゴリーの距離が近いのがとても印象的でした。
「美形の台湾のMTFのお嬢さんと」
もうひとつ印象的だったのは、三日目の午後、故宮博物院の観光を短時間で切り上げて訪問した旧娼館地区です。
台北市では1997年に買売春を禁止する法案が成立したのですが(2001年実施)、それまで市が与えていた営業ライセンスを一方的に取り上げたため,生活手段を奪われたセックスワーカーの人たちが激しい反対運動を繰り広げました。
ホー教授がその運動を支援している関係で、つい数年前まで営業していた娼館を訪れ、元セックスワーカーの方たちに直接お話を聞くことができました。
単に買売春反対を叫ぶだけでは、セックスワーカーの存在を抑圧してしまうだけなのです。彼女たちの生きる権利、働く権利をどう守っていくべきなのか、問題の複雑さと生々しい現実に大きな衝撃を受けました。
台湾での3日間、ずっと和服で通しましたけど、礼儀正しい台
「現在は資料館になっている旧娼館の前で」
湾の人たちは物珍しそうに私のことを見る、ということはあまりありませんでした。ジロジロ批判めいた視線を向けてきたのはホテルのロビーですれ違った日本人観光客だけでした。
ただ、旧娼館地区を見学した時、軒下に置かれた椅子に座っていたかなり高齢の女性がじっと私を見ているのに気がつきました。たぶん日本植民地時代に和服の日本女性に接してきただろう、おばあさんの目に、私がどう映ったのか、今でも気になっています。