【第40回】トランスジェンダリズム宣言

2003. 08

お陰さまでこのコーナーも連載40回となりました。期間にして8年、ほんとうによく続いたものだと思います。読者の皆様のご支援に感謝しています。
 
ところで、4月に行われた統一地方選挙で、上川あやさんが世田谷区議会議員に
当選し、MTFの性同一性障害であることを公言した最初の政治家となりました。彼女のチャレンジは、立候補届けの際の性別記載の問題など、色々な問題を提起しましたが、昨秋から今春にかけて、東京都小金井市、埼玉県新座市・草加市、鳥取県鳥取市などで公的な書類の性別記載の見直し作業が行われるなど、性同一性障害の人たちの人権を守り、暮らしやすい世の中にするための動きがようやく始まろうとしています。
 
考えてみれば、この連載が始ま

2003年1月18日、群馬県尾島町の男女共同参画講座で講演をしてきました。

「群馬県尾島町の男女共同参画講座で講演」

った95年7月には、性同一性障害(Gender Identity Disorder=GID)という言葉は、ほとんど世の中に知られていませんでした。それが、96年7月、埼玉医科大学倫理委員会がGID患者に対する性別適合手術を正当な医療行為と認める答申を出したことがきっかけになり、97年5月の日本精神神経学会のGIDの診断と治療
のガイドラインを策定を経て、98年10月に埼玉医大でガイドラインに則した第一号の性別適合手術が実施されました。
 
新聞・雑誌・テレビは、その度にGIDの問題を大きなニュースとして取り上げ、社会的認知は急速に広まりました。こうしてみると、この8年間の社会の変化に、改めて驚きを感じます。
 
GID治療体制の進展と社会的認知の拡大によって、性別違和感に苦しんでいた大勢のトランスジェンダーが救われたことは間違いありません。GIDの人々への差別・偏見は確実に緩和されつつありますし、その方向性はたぶんこれからも変わることはないでしょう。しかし、これで万々歳かと言うと、私はそうではないような気がするのです。
 
第一の問題は、性別違和感を持つこと、性別を越えて生きることが障害(病)であるいう認識が一方的に世間に広まってしまったことです。ゲイ/レズビアンの人達は長い間の運動によって、同性愛を精神

帰り道、20年振りで出身高校に立ち寄ってきました。

「出身高校に立ち寄ってきました」

疾患のカテゴリーから外すことに成功しました。ところが、トランスジェンダー(性別越境)の分野では、自ら進んで精神疾患という形で医学に囲い込まれる道を選ぶという正反対の動きが進んだのです。
 
性を越えて生きる人が、病(障害)という形でしか社会的に認知されない、障害者
としてしか存在が許されないという状態は、果たして健全な社会なのでしょうか? 私は違うと思うのです。
 
第二の問題は、トランスジェンダー(性別越境者)の間に、新たな格差が生まれつつあることです。GIDの人々が社会的にケアされるべき障害者として社会認知を確立する一方で、医学に囲い込まれることなく、性別違和感を持っていることを自分の個性・特性として、社会の中で生きている人々、例えば、商業的なトランスジェンダーであるニューハーフや私のような非GID系のトランスジェンダーに対する社会の視線は依然として厳しいものがあります。両者の社会的格差は、むしろ拡大しているような気さえします。
 
そんなトランスジェンダー世界の現状と問題点を鋭く分析した本が刊行されました。米沢泉美編著『トランスジェンダリズム宣言』(社会批評社)です。私も歴史編の一部を執筆し、座談会で大いに語っています。
 
この本を読んでいただいて、病(障害)とし

米沢泉美編著『トランスジェンダリズム宣言』 (社会批評社 2003年5月 2200円)

米沢泉美編著
「トランスジェンダリズム宣言」
2003年5月
社会批評社 2200円

てではなく、自分の人生の選択として、社会の中で性別を越えて堂々と生きていこうという私たちのメッセージ(宣言)を受け止めていただけたら幸いです。