【第37回】パンチラと女装者の羞恥心

2002. 11

あたしが関西性慾研究会でお世話になっている井上章一先生(国際日本文化研究センター)が『パンツが見える。』という本を出されました。表紙には女の子が股
覗きをしてパンツが丸見えになっているイラスト(よく見るとはみ出した陰毛まで)が描かれていて、お堅いはずの朝日新聞社がよく出版したなぁ、と思ってしまいます。
 
でも、内容は至ってまじめで、日本女性のパンツ着用普及のきっかけとされる白木屋火災(1932年)の徹底的再検証に始まり、1960年代におけるパンチラ誕生に至る日本女性のパンツの歴史と、それをめぐる男たちの欲情の発達史を見事に跡づけた知的(痴的?)好奇心をとても刺激する本です。
 
この本を読むと、何が恥ずかしいかという羞恥心と、何に興奮するかという欲情は、時代によって変化する、つまり歴史的に形成される文化であることがよく解ります。女性と男性とでは、羞恥心の内実が異なるのも、それが文化であり、成長過程で後天的に身につける(仕付けられる)もの
だからです。
 
そこで今回のテーマ、女装者の羞恥心になりま

井上章一著『パンツが見える。−羞恥心の現代史−』 (2002年5月 朝日新聞社 1400円)

井上章一著
「パンツが見える。
−羞恥心の現代史−」
002年5月
朝日新聞社 1400円

す。あたしも含めて女装者は、男の子として育ち、男性としての羞恥心を身につけて大人になります。ところが、女装するようになり、社会の中で「女」として振る舞
わなければならなくなると、羞恥心を女性パターンに切り替える必要が生じます。

具体的に言えば、男性としては上半身裸を人目にさらすのは平気でも、「女」としてはとても恥ずかしいことなのです。男性だったら経験することのないスカートの中
のパンツを見られてしまうパンチラには、強い羞恥心を感じないといけないのです。
 
こうした羞恥心の切り替えがうまくいかないと、とても変な「女」ができあがります。社会性の無い女装クラブなどには、パンチラ(しかも股間モッコリ)を平気で人目にさらしている女装者がいますが、みっともないものです。
 
あたしの場合、幸いなことに女装クラブでの駆け出し時代に純女の世話係のお姉さんに、女の羞恥心と、短いスカートでもパンチラをしないテクニックをしっかり仕込まれました。逆に新宿の女装スナックでのホステス修行時代には、パンチラを男性

パンチラしてるかしてないか微妙な写真(1993年)。

「してるかしてないか微妙な写真」

客に見せる効果を実地で学びました。だから隠すのも見せるのも自由自在です。
 
ところで、六月の研究会が終わった後、井上先生があたしにこんな疑問を提示しました。「パンチラ好きのヘテロ男(異性愛の男性)は、女装娘のパンチラを見て欲情するやろか?」新宿の女装スナック「ジュネ」などで、あたしがお相手した男性客
は、程度の差はあれ、女装娘が好きな人たちですから、あたしのパンチラに興奮を感じる人がいても不思議ではありません。ところが、あたしの体験では、ことさら女装娘が好きではない一般の男性でも、女装娘のパンチラを見たがったり、見て喜ぶる男性は、けっこういるように思うのです。
 
もし、パンチラ好きの男性がパンツの下に隠されている女性器を想像して興奮してるのなら、女装娘の場合はパンツの下は男性器ですから、女性器幻想は崩壊して欲情しないはずです。ところが、どうもそうじゃないとなると、パンツの下に隠されているものはもう関係なくて、パンチラ→欲情という短絡回路ができあが

いざ探して見るとパンチラ写真はなかなか見つかりませんでした。膨大な写真の中からやっと見つけた1枚です。右は後に「贋作淑女」のママになる北野洋子さん(1994年頃)

「やっと見つけたパンチラ写真(?)」

っているのかもしれません。それって、フェティシズムトと紙一重じゃない?というのが、井上先生の疑問に答えたあたしの考察でした。
 
パンチラからいろいろなことが考えられるというお話でした。