【第35回】たぶん幸せなんだろう私

2002. 05

2002年1月15日、あたしは、黒地に扇散しの着物に白地に雪輪模様の帯というお正月らしい出で立ちで、慶応義塾大学(三田)の文学部共通講義「幸福の逆説」の臨時講師をつとめてました。
 
テーマは「性別越境者の逆説的幸福論」。心の性と身体の性とのギャップ(性別違和感)を抱えていても、それを逆手に取って充実した日々を送り幸福感につなげ
ることはできる、不幸な人生か幸せな人生かは、その人の考え方・生き方次第な
んだという話に、期末試験直前にもかかわらず100人ほどの学生さんが熱心に耳を傾けてくれました。

この講義をするに当たって、あたしは幸せなのだろうか?と考えてみました。この数年間は全力で走り続けた日々で、自分を振り返る余裕なんてありませんでしたから、良い機会になりました。結論は「たぶん幸福なんだろうな」でした。
 
この2〜3年、あたしと同じ時期に新宿のトランス世界に身を置いた友人・知人たちが、次々に男の身体と暮らしを捨てて、女としての人生に入っていきました。その数は10人近くになります。それに対して、あたしは身体を女性化することも、フルタイムで女として過ごすことも、全部あきらめました。一人だけ取り残された寂しさは、折り有るごとにひしひしと感じます。
 
適わない希望はすべて捨て、今の自分の

築地の料亭「たむら」のお正月飾りの前で

「こ築地の料亭「たむら」の前で」

生活環境の中で、できるだけ「女」としての時間を確保し、「女」としての社会的関係を作ることにコツコツ努力してきました。その結果、「女」としての仕事(研究・執筆・講演)、収入の道(人生相談)、趣味(きもの)を手にすることができ、たくさん
の女友達を得ることができました。生きがい・仕事・趣味・友人、それが有るということは、たぶん、あたしは幸福なんだろうと思うのです。
 
女としての仕事が欲しい、女の身体が欲しい、女の戸籍が欲しい、女として男性に愛されたい女として男性と結婚したい、でもそれが適わない、だから不幸せ。性
別違和感と戦う人生に疲れ、出口の無い「不幸せスパイラル」に陥ってる一部の性同一性障害の人々の話を聞くとき、あたし
は、中国古代の思想家老子が言ったという「知足」(足るを知る=自分の身のほどをわきまえて、むさぼらないこと)という言葉を思い出します。「知足」こそが、私の「幸せの青い鳥」だったのかもしれません。
 
ところで、今年の順子のお正月は、萌黄色の色留袖に銀緑の帯という盛装で、築地の高級料亭「たむら」でお食事、その後、築地本願寺にお参りして、帝国ホテルで午後のお茶という豪華バージョンでした。スカイラウンジから初春のビル街に沈

やっぱり和装の男性と並ぶとしっくりきます(帝国ホテルで)

「和装の男性と並ぶとしっくり」

む夕日を眺めながら、しみじみ「女の幸せ」を噛みしめていました。
 
最後にお知らせを一つ。東京都教育委員会が発行している人権啓発学習資料「みんなの幸せをもとめて」の最新版(平成13年度版、2002年3月発行)に「多様な『性』考える−トランスジェンダーを中心に−」という私の文章が掲載されました。4頁ほどの短いものですけど、性別越境者の問題を東京都が人権問題として初めて取り上げてくれた意味は小さくないと思います。都区立の施設や図書館にあると思いますので、興味のある方はご覧になってください。