【第31回】世の中の性別認識は、意外に寛容

2001. 05

お蔭様で、私の中央大学での講義も無事に終了いたしました。「日本初の女装の大学講師」ということで週刊誌やテレビニュースが派手に取り上げてくれましたけども、実際のところは、遊ぶ時間を削って講義の内容を練り、配布資料を作って、講義日のファッションを考え、電車とモノレールを乗り継いで1時間半の通勤、講義を終えて疲れ切って帰宅という、とっても真面目なサイクルを毎週毎週繰り返していました。
 
最初は「女装の先生」を見物に来ていた学生たちも、だんだん



「中央大学での講義風景」

講義内容(性社会学・性社会史)に興味をもってくれて、「ちょっと派手な女の先生に教わってる気分」になり、出席を取らない義科目としては異例の高出席率を最後まで維持できました。配布した資料も、A4版で80頁に達し、私にとって貴重な学問的蓄積になったとともに、たぶん一生忘れられない有意義な体験をした半年間でした。
 
初めのうちこそ、学内で好奇の視線を感じることがありましたけども、そのうち学生や周囲の人も私の存在に慣れて気にしなくなり、私の方もすっかり「女性講師」と
して融け込んでしまいました。ある学生が「なんでマスコミはあんなに騒ぐんだろう」と言ってたように、少なくとも中央大学のキャンパスでは、たった数カ月で「女装の先生?、うん、居るよ。別にいいんじゃない」という感じで日常化してしまったのです。でも、マスコミが騒いでる内は、まだトランスジェンダーの社会進出も本物じゃないということ。「そんなこと珍しくないよ」という日がいずれ来ることを願ってます。
 
ところで、トランスジェンダーの社会進出といえば、昨年の暮れにこんなことがありました。私が「きものくらぶ」有志の忘年会の待ち合わせで着物姿で銀座の和光の前に立っていたら、「順子さん」と肩を叩かれました。振り返るとクラブ・フェイクレディの仲間の仁美さんが、色鮮やかな銘仙の着物姿でほほ笑んでました。彼女は、やはり着物愛好者の集まりの「着物de銀座」の待ち合わせだったのです。二つのグループがたまたま同日時・同じ場所で待ち合わせてたのですけども、それにして



「最終講義(受講学生と)」

も女装者仲 間と、女装系以外の一般社会の集まりで偶然に出会うとは!。少し前までは考えられなかったことで、ちょっと感動でした。
 
着物仲間のお姐さんたちが、珍しがっていろいろ質問してきたのは、最初の出会いの時くらいで、後はもう私の身体が男かどうかなんてことは気にしなくなり、「順子姐さん、こんどはどんな着物かしら」という方に興味が移ってしまうのです。世の中の普通の人の、とりわけ女性の性別認識なんて、そんなものなのす。寛容というか、良い意味での「いいかげん」。生まれつきの性別や身体の構造よりも、その人の見かけ、気持ち、雰囲気が



「最終講義(きもの関係のお友達と)」

女ならば、「女」として扱ってくれるでのです。だから、ニューハーフのお嬢さんたちも、トランスジェンダーの皆さんも、恐れることなくどんどん一般世界に出て行っていいのだと思います。