【第30回】
連載30回、5年間の「夢変化」
2001. 01
この連載も30回目となりました。美しく華やかなニューハーフが乱舞する中で一番地味なこのコーナーがここまで続きましたこと、読者の皆様のお陰と心から感謝しています。これからも一人のフェイクレディの歩みを綴っていこうと思ってますので、よろしくお願いいたします。
30回の連載の間に、私自身も私を取り巻く環境も大きく変わりました。連載が始まった1995年と言えば、エリザベス会館を石持て追われて夜の新宿の街に流れてきた私が、模擬店「フェイクレディ1」の大成功で一気に新宿女装世界に名前を広
めた頃でした。後に小説「女装夢変化」(松本侑子『性遍歴』幻冬舎に収録)の題材になった材木商の若旦那との恋物語が進行していたのもこの頃です。毎週末のホステスさん修行と「クラブ・フェイクレディ」の仲間たちとの旅行やイベントに充実した時を過ごしていたのが1996〜97年。少しずつ文化的・学術的なイベントやセミナーからお声がかかるようになったのが1997〜98年。そして1999年からは本格的にトランスジェンダー(性別越境)の社会史的研究に取り組み始
「満開の紫陽花の中。京都宇治の三室戸寺で」
め、2000年4月からは中央大学文学部で兼任講師を務めさせていただき、性社会学の調査研究に力を入れている毎日です。
新宿の街に来た頃、順子という娘は、まったく生産的の無い純粋な「プレイガール」として設定されてました。実際、よくモテましたし、よく遊びました。街で声をかけられれば3回に1回はホテルに付いてったし、ラブホテルから出て来て200m歩くか歩かない内にまた声をかけられて違うホテルへとか、なんだかんだで一晩に4
人の男性のお相手をしたこととか、いろいろありました。池袋のホテルでの1対3の複数Sex、世田谷の某公園での深夜の強制露出プレイ、あげくの果てに調教趣味の男にマゾ女に仕込まれた半年間・・・、いやぁ、ほんとうにあの頃は元気でしたねぇ。それなのにどうしてこんなまじめな働き娘になっちゃったのか・・・。こんなはずじゃあなかったんだけどなぁ、と自分でも苦笑いのこの頃です。
まあ、男性から女性への性別越境、「売り」(結果的にですけどね)を含めた豊富なSex体験、これだけ様々な「性」的な経験を積んでる性社会学者は、日本には
たぶんいないでしょうから、それを自分の特質として研究に生かしていこうと思ってます。
ところで、最近は仕事や学会・研究会で「女」として出張する機会が増えました。例えば、6月の「関西T'sフェスティバル」とか、7月と9月に参加した井上章一先生(国際日本文化研究センター、『美人論』『愛の空間』などの著者)主催の「関西性慾研究会」(京大会館)とかです。会に出席した後は、夜遅くまで「夜の研究会」に参加するので現地泊になり、そうすると翌日の昼間のスケジュールがぽっかり空いてしまいます。そんな時には、行ってみたかったお寺や神社を一人で観光しています。
6月には紫陽花で有名な京都宇治の三室戸寺、7月には京都祇園祭の宵山を見物し、9月には京都洛北の今宮神社から西陣界隈を散策してきました。お寺・神社巡りが好きな一人旅のお姐さん(大柄で
「京都鷹ヶ峯の常照寺で」
ちょっと派手目ではあるけども)って感じですね。それに、真っ昼間、そんな所にニューハーフがいるなんて誰も想像しないので、ほとんど注目されることもありません。
出張の帰途にちょっとした「女」の一人旅を楽しんだり、仕事(大学での講義)の帰り道に地元の居酒屋のカウンターでくつろいだり、そんなごく普通の人生が順子にあったなんて・・・。この5年間の変化、やっぱり「夢変化」のような気がしてしまいます。