【第29回】女性の中で生きるということ

2000. 11

友達のコーナーをネタにして恐縮なんですけども、嶋田啓子ちゃんが前号のQ&Aのコーナーで「女性どうしのお付き合いが結構面倒」で「いまだに苦手」と答えているのを読んで、ちょっと考えてしまいました。
 
というのも、私の知人で啓子ちゃんと同じようにフルタイムの女性として生活している娘が似たようなことを言っていたからです。しかも、彼女の場合は、男性時代の
友人・知人とは縁を絶ち、身体のことを考えると(性転換手術未了)男性とのお付き合いにイマイチ踏み込めず、女性同士だとなんとなく感覚が合わないし元男性だとバレるのが怖いから女友達もできない。だから友達が誰もいなくて寂しい、とけっこう深刻なのです。

こういう話を聞くと、あたしとしては、?と思ってしまうのです。確かに女として暮らしているのに同性の輪に入っていけない、同性の友達ができないというのは寂しいだろうなぁ、と思います。でもね、自分は女だと思い、女にな



順子ちゃんも、女湯に入る?

りたくて、女の人生を選んだのでしょう。それなのに「女同士は苦手」というのは、ちょっと泣き言なんじゃないの、と思うのです。

なんでそんなことが気になるかと言うと、最近、あたしは女友達に恵まれて、その中にいることが楽しくて仕方がないからなんです。お稽古事(着物の着付)を一緒にしたり、お気に入りのレストランでご飯を食べたり、ケーキとお茶でたらたらおしゃべりしたり、お酒飲みながらワイワイやったり、半日あちこちショッピングしたり、展覧会や映画を見にいったり、「女」だけで2泊3旅行したりという具合に元気なおばちゃまの世界にとっぷり浸かっているなのです。
 
あたしは、パートタイムで女している「にせ娘」であることは公言してますから、女友達たちはみんなそれを承知で「女友達」として付き合ってくれているのです。フ
ルタイムの女の人生を選んだ人が「女同士は苦手」で、パートタイムの「女」のあたしが女友達の輪の中で人生を楽しんでる、なんだかとても皮肉に思えるのです。

最初の内はあたしも遠慮があって、一緒に遊んでる時、おトイレに立つタイミングを意識してズラしたりしてました。ところが、その内に「順子ちゃん、おトイレいっしょに行こう」と言ってもらえるようになり、「女」4人で旅行を計画してる時「ツイン2つでいいわよね」と言われてあわてたり(シングルにしてもらった)、さらには「その日だと、あたし、アレが始まってるわ」「あたしは終わってるから大丈夫」なんて会話が目の前で交わされる始末。さすがに「順子ちゃんは?」と聞かれませんでしたけどね。

彼女たちに言わせると、理性では「順子ちゃんの身体の性別は男」だと解っていても、一緒に遊んでいる内に、感覚的に「女同士って感じになっちゃう」のだそうです。あたしとしては、そう言ってもらえ



女友達と人力車に乗って

ると、とてもうれしいのですけども、なんだか不思議な気もするのです。

当たり前の話ですけども、世の中の女同士のお付き合いというのは(レズビアンではない限り)、身体は関係なくて、感性が大事なのだと思います。啓子ちゃんにしてもあたしの友人にしても、女の人生を選んだ人は、臆することなく女の輪に入って人生を楽しんで欲しいと思うのです。あたしはあたしの方法で「女」の人生を充実させていきますから。