日本女装昔話
第12回】  「富貴クラブ」のセクシュアリティ(1960〜1970年代)
1960〜70年代に盛んに活動したアマチュア女装の秘密結社「富貴クラブ」(1959〜90年)については、このシリーズの第4・5回で取り上げました。最近、複数の元会員の方にお話をうかがうことができ、今まで不明確だったいくつかの点が、かなり明らかになりました。
 
まず、「富貴クラブ」におけるセクシュアリティ(性愛)についてです。同クラブのシステムを特徴づけるものに男性会員(非女装で女装者を愛好する男性)の存在があります。彼らは女装会員が外出する時のエスコート役や恋人役として重要な役割を果たしていました。従来「富貴クラブ」の性愛関係はこうした男性会員と女装会員の関係が中心だと思われていました。ところが、どうもそうではないようなのです。男性会員と女装会員の関係と同じか、それ以上の比率で女装会員同士の性愛関係が濃厚だったことがわかってきました。
  
「ここには確か三畳位の小部屋があった気がするが、布団が敷いてあったりして、気の合った者同士が、そこで互いに慰め合っていたのだと思う。或る時五、六人の会員が居る座敷で、スリップだけになった若いのが、仰向けに下半身を丸出しにし、フェラチオをされていた。屹立したのを根元を把んでルージュの唇にくわえこんで、かつらの髪を揺らし揺らし、和服の中年の会員が咽喉を鳴らしていた。他の会員の誰もが見ぬふりをしているものの、初めてこうした所を見る私は、どうしていいかわからぬうちに、若い会員の方が喘ぎ始め、うめき果てるのをくわえたままの中年は、ほとばしらせたザーメンを呑みこんでしまったようだった。ああ、これが『喰う』と云うことなのかと思いながら、私のパンティの中の勃起していたものも、気がつくと腿の方まで雫を垂らしていた」
これは今回の調査で「富貴クラブ」に関する詳細な手記を提供してくださった成子素人氏(女装名:小池喜美さん)の思い出です。この時はまだウブな「処女」で傍観するしかなかった氏も、この後、クラブの世話役だった堀江オリエさんの仕込みで「女」にされ(アナルSexを初体験)、「これからは男が慾しくて仕様がないわよ」という予言通り、数多くの男性会員や女装会員とのセックスプレイを重ねていくことになります。
 
最近、成子氏が所蔵されているプライベート・ビデオを見せていただく機会がありました。それはすべて「会員の部屋」で撮影されたもので、妖艶な着物姿の女装会員同士の相互オナニーと相互フェラチオ。女装会員による男性会員へのフェラチオ奉仕、そして様々に体位を変えてのアナルSexなどきわめて濃厚な内容でした。
 
このように「富貴クラブ」の「会員の部屋」において、女装会員同士のセックスプレイや男性会員と女装会員とのセックスプレイが「遊び」と称されて常態的に行われていたことは間違いないようです。
 
しかし、それは、決して非難されることではなく、女装者が抱くセックス・ファンタジー(性幻想)の現実化という方向性において、とても自然なことだと思われます。むしろそうした方向性を抑圧して、女装と性幻想を無理やり切り離そうとする考えに、どこか無理があるのではないでしょうか。
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「資料12-1」


「資料12-2」


「資料12-3」
資料12-1  「富貴クラブ」会員のスナップ。左が成子氏、中央は加茂こずえさん(1967年夏頃)
資料12-2 「中野の部屋」での小宴会。中央奥の着物姿が成子氏(1970年代初頃)
資料12-3 中野の部屋」のベランダでのバーベキュー・パーティ。写っているのは、当時の「若手美人
三人娘」の一人、夢野すみれさんと思われる。(1973年頃)