【第56回】それぞれのセクシュアル・ファンタジー(性幻想)

2007.8

お部屋で。どことなくやさしい雰囲気の私

お部屋で。やさしい雰囲気の私

大事な人との初めての一泊旅行。予定より早く目が覚めてしまった。待ち合わせ時間より10分早く空港ロビーに着く。やがて「連れ」が姿を現す。飛行機は1時間の延発予定。予約券をチケットに替えて喫茶店で待機。二人でおしゃべりしていれば、時間はすぐに過ぎていく。
 
飛行は順調、雨雲を越えて、バスに乗り換え、目的地の温泉町に到着。タクシーを拾って小さなお宿へ。一番格の高い離れ座敷が二人のために用意されていた。
 
お風呂(温泉)へ。他にお客さんが少なかったので、「貸し切り」にしてもらい、二人だけで入る(ドキドキ)。背中を流しあう(もっとドキドキ)。
 
部屋に戻り、お化粧を直した後、別室で差し向かいで夕食。温泉でじっくり温まった上に、ビールを少し飲みすぎて、前夜磨き上げた肌が桜色に染まる。お部屋に戻ると、当たり前だけど、お布団が二つ並べて敷いてあった(さらにドキドキ)。
 
夜更け、目が冴えて寝られない。「連れ」の寝息のほか、何も聞こえない静かな夜。そっと手を伸ばして、「連れ」の指先に触れる。
 
 
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一夜明けて、二人だけの朝食。ちょっと恥ずかしい。

一夜明けて、二人だけの朝食

目が覚める。しばらくの間、夢とうつつの境を行き来して、一瞬、自分がどこにいるのかわからない。隣で安らかに眠っている人を見て、現実に戻る。
 
そっと半身を起こして、浴衣の乱れを直し、伊達締めを巻きなおす。そうしている間に「連れ」が目を覚ました。
 
連れ「何時?」
私「6時」
連れ「お風呂、行こうか?」
 
着替えのショーツと髪ブラシをもってお風呂へ。まだ誰も起きていないと思うけど、念のためまた「貸し切り」札を立てる。「連れ」がゆっくり温まっている間に、急いで髪を洗う。濡れ髪をとりあえずまとめて、私もお湯につかる。「連れ」が近くに寄ってくる。
 
「半年に一度くらい来たいね」
「できれば、そうしたいわね」
 
部屋に戻って、身支度。連れがいる部屋で、化粧をするなんて、いつ以来だろう。
 
二人だけで向き合って朝食。ちょっと照れくさい。コーヒーを飲んだ後、お宿の近所をお散歩。わずかに色街の名残がある古いお家の前で写真を撮る。
 
高速バスで空港のある街へ向かう。この街は「連れ」が幼少〜青春時代をすごした思い出の街。飛行機の時間まで、センチメンタル・ジャーニーにお付き合いする。
 
帰路の機中、行きよりも「連れ」との距離が近いような・・・。ちょっとあわただしかったけども、思い出になるいい旅だった。
 
羽田空港、人目が気になる。この状況、知人に見られたら、チト言い訳が厄介だな、と思う。
 
 
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こんな文章を「お忍び旅行」と題して「ブログ日記」に書いたところ、意外にも反響がありました。「どきどき楽しく拝読しました。いろんな妄想しちゃいました」という友人の若い女性からの好意的なコメント、「いい年をして男と不倫旅行なんて、女装者はやっぱり変態だ」という性同一性障害者からの批判etc。
 
こうした反応を読んで私が面白く思ったのは、どれも「連れ」が男性だと頭から決めてかかっていることです。思わせぶりな書き方をしたのはたしかですけど、相手が男性だなんてどこにも書いてありませんよね。
 
「連れ」は、いちばん仲良しの女友達です。念のため書き添えますと、性的なことは、キスひとつ、なにもしていません。いっしょにお風呂に入って、枕を並べて眠るのは、仲良しの女同士の旅行なら、当たり前のことでしょう。
 
もちろん、精神的なレズビアンである私に彼女(バイセクシュアル)に対する、セクシュアル・ファンタジー(性幻想)がないわけではありません。でもそれを現実化した方がいいかどうかは、性的経験を積んできた大人同士の微妙な判断ということです。
 
先ほど紹介した反響にしても、私の「日記」を読んで、ヘテロセクシュアルな女性は、自分のセクシュアリティを投影した女と男の性幻想を思い描くし、自分のセクシュアリティに強い嫌悪感がある性同一性障害者はその嫌悪を反映した感情を抱くのだと思います。
 
それぞれの人にそれぞれの性幻想があり、そのあり様は実に多様です。そして、その性幻想をどの程度、具現化するかも、その人によります。幻想のまま止めるのもひとつの知恵だと思うのです。
 
人間の多様なセクシュアリティのあり様を理解し分析する鍵は、性行動ではなく、性幻想にあることをあらためて強く感じました。