TOPページへ
-Junko World -  順子の世界
三橋順子の生い立ちと活動状況
 

生い立ち 

北関東の比較的恵まれた家庭の長男として生まれました。少年時代〜思春期までは、ごく普通の男の子で、お勉強とクラブ活動とスポーツに明け暮れるとてもまともな「優等生」でした。ところが、18歳のころ、「あれもうひとりいる?しかも女性だ」という感じで、心の中の「もうひとりの自分(女性人格)」の存在に気づきました。それから10数年後の1985年秋に初めて女装してみて「もうひとりの自分」が実体化しました。そしてその「女性」に「順子」と名前をつけました。
 
 
 
自宅女装時代 

その後の5年間ほどは、通信販売で購入したわずかな衣装と自己流のお化粧で、数ヶ月に1度くらいのペースで自宅でひとりで女装をしてました。罪悪感と自己嫌悪にさいなまれながら悩みと逡巡を繰り返した一番つらい時期でした。1990年春、文通で知り合った女装の友人に励まされて自分の女性人格の成長を許容することにしました。
 
「三橋順子」の歩みはこの時からはじまりました。
 
 
 
女装クラブ時代 

1990年6月〜1994年8月までの4年間、アマチュア女装クラブ「エリザベス会館」に在籍して本格的な女装テクニックの習得につとめました。この間、1992・93年には「全日本写真女装コンテスト」の特別賞(最多得票賞)を連続受賞するなど「競技女装」の第一線で活躍することができました。楽しいことも、つらいこともたくさんあってた4年間順子にとっての貴重な成長期でした。
 
 
 
新宿進出 −伝説の模擬店− 

1994年8月以降、活動の場を新宿の女装コミュニティに移し、秋本明香(さやか)・岡野香菜らと自由でアクティブな女装活動を目指す「フェイクレディ・グループ」を結成しました。1995年4月女装者の自主的な企画イベントとしては画期的なお店形式の女装パーティ「フェイクレディ」(FL)を開催しました。その大盛況ぶりは、いまだに「伝説の模擬店」として新宿の女装コミュニティで語り継がれています。
 
 
 
クラブ フェイクレディの設立 

1995年10月にパソコンネット「EON」内に「Club Fake Lady」(CFL)を設立して、以後ここを拠点に女装温泉旅行(FLT)や新年会お花見・納涼船・食事会など各種のイベントを企画運営し、女装者相互の親睦と交流をはかっています。ここで大勢の友人や仲間に出会うことができました。
 
 
 
女装ライターとして 

エリザベス時代には、アマチュア女装雑誌『くいーん』の「読書案内」コーナーを担当しました。その後、1993年暮にライバル誌『ひまわり』に迎えられ、「順子のたそがれ日記」「フェイクレディ物語」、「元祖ニューハーフ 松原留美子小伝」などを連載し、女装ライターとしての足場を固めることができました。1995年2月には、プロ系商業雑誌『ニューハーフ倶楽部』(三和出版)の創刊に参与して、エッセー「フェイクレディのひとりごと」の執筆を開始しました。
 
 
 
トランスジェンダーの論客として 

1995年12月に『imago』という雑誌の「ジェンダーをデザインする」という対談でゲイライターの伏見憲明氏と出会いました。この対談は、トランスジェンダーを性的マイノリティ全体の中に初めて位置づけたものになりましたが、何よりも性的マイノリティの立場から社会に対して積極
的に発言する伏見さんの姿勢に大きな影響を受けました。男性としての人生と「女性」としての人生の両方を背負うことを決意して、トランスジェンダー(性の越境者)
としての自覚をもって一般社会に対して発言していこうと思ったのは、この対談がきっかけでした。
 
 
 
「女装家」の由来 

「女装家」のネーミングは、伏見氏との対談の担当編集者であったS氏(青土社『imago』担当)が女装の実践者と研究者の両面を総合する肩書きとして創案してくださいました。以後、この肩書きで性的マイノリティ当事者の立場からトランスジェンダー文化の広報・宣伝につとめ、その活動は『週刊SPA!』『サンデー毎日』『AERA』などに取り上げられています。画像は「週刊SPA!」1996.8.28に掲載されたものです。
 
 
GID(性同一性障害)の自助支援活動 

1996年7月の埼玉医科大学倫理委員会の答申の直後からGID(性同一性障害)の自助支援活動に参加1997年7月の公開シンポジウム「性同一性障害の過去・現在・未来」(主催:TSとTGを支える人々の会)や同年11月のシンポジウム「心と体のミスマッチ」(主催:一橋大学学園祭実行委員会)では司会をつとめました。
 
1998年5月には、新しい自助支援組織「トランス サポート グループ(TSG)」を設立し、渉外担当顧問としてマスコミ対応と当事者へのメール・アドバイスを担当しました。(TSGは1999年7月に解散しました)
 
 
 

歌舞伎町のホステスとして 

1996〜2000年までの約5年間、時間が取れる夜は、月3〜8回程度の不定期で、新宿歌舞伎町の女装系クラブの「ジュネ」やニューハーフ・パブ「MISTY」のボランティア・ホステスをしていました。よく誤解されることなのですが、私はお店でお手伝いしていても時給契約を結んだことは一度も無く、水商売のプロ(ニューハーフ)としてのキャリアはありません。あくまでもボランティアとしての「ホステス」体験でしたが、夜の歌舞伎町の世界は、世間知らずだった私にいろいろなことを教えてくれ、また社会(男性)観察の貴重な場でもありました。
 
ありがたいことに、セクシーで妖艶な容姿と知的でクールな会話の対照を愛してくださった男性客も多かった?のですが、執筆の仕事が忙しくなったことと、年齢による体力の衰ろえを痛感して、20世紀の終わりを機会に身を引かせていただきました。
 
「ジュネ」「MISTY」に、ご来店のご希望がある方は、メールをいただければ、ご紹介・ご案内いたします。
 
 
 
1997〜1998年の活動 

1997年10月に発表した「トランスジェンダー論−文化人類学の視点から−」は、当事者の立場からの初めてのトランスジェンダーの理論的分析として多方面から評価していただきました。
 
1998年は1月に評論誌『ユリイカ』で石井達朗慶応義塾大学教授(演劇論)と写真家石川武志氏と対談したのを皮切りに、2月に第96回紀伊国屋セミナー「性を越境する」、5月に第20回日本文化デザイン会議(秋田)、8月にフェミニストカウンセリング研究訓練集会、11月に大阪大学のジェンダーフリーセミナーと中央大学の特別公開授業(矢島正見教授)の講師に招かれ合計1000人以上の方にトランスジェンダーの問題を直接語りかけることができました。
 
また、テレビ朝日・フジテレビ・NHKラジオなどにも出演して、活動の場を一層広げることができたことも幸いでした。
 
 
 
1999年の活動 

1999年は、私にとって「社会学との出会い」という点で画期的な一年でした。2月には「戦後日本ランスジェンダー社会史研究会」(代表:矢島正見中央大学教授)を結成して本格的にトランスジェンダー(異性装・性転換)の社会史研究に取り組み、春から秋にかけて大宅壮一文庫や風俗文献資料館に26回も足を運んで関係文献の収集に努めました。
 
10月には第72回日本社会学会大会シンポジウム「ミスター・ノーマルのアイデンティティを問う」に参加して「『女装系コミュニティ』における『ミスター・ノーマル』幻想」という研究発表を行いました。こうした社会学との出会いを通じてトランスジェンダーという現象を学問分野の中で分析する必要を痛感しました。
 
そのほか、『ニューハーフ倶楽部』の女装歴史エッセー「日本女装百話」の連載開始(5月)、小学館文庫『「性愛」大論点』の解説執筆(6月)、コンテンポラリー・アート講座「性・ファッション・身体」の講師(10月)、早田大学文学部総合講座「西洋文学理論」の招請講師(11月)など、充実した1年でした。
 
 
 

着物の世界へ 

私は日本の伝統衣装である着物が大好きです。趣味だと思っていた「女装」が日常化してしまった最近では、着
物が唯一の趣味と言っていいくいらいです。今までは着物屋さんや美容院で着付けてもらっていたのですけど、
1999年11月から長年の念願ががかなって着付けのお稽古を始めました。
 
毎週1回ペースのお稽古を一度も休まずに通って、4カ月でなんとか自分で着られるようになり、3月末には初級コースの修了試験を兼ねて、先生とお稽古仲間の女性2人の4人で2泊3日の京都着物旅行に出かけました。往復の新幹線を含めて全行程着物の旅行は大変でしたけども、初めて女性グループの一員としての旅は、言葉に尽くせないくらい楽しかったです。「着物姿で京都を旅する」という長年の夢がかないました。
 
 
 

2000年の学術活動

3月に中央大学の矢島研究室から刊行された『戦後日本〈トランスジェンダー〉社会史 T』に論文「戦後日本ト
ランスジェンダー社会の歴史的変遷の素描」と「戦後日本トランスジェンダー社会史年表」を執筆しました。この二つの作業で性社会史研究者としてのスタートが切れたように思います。また、3月には座談会「『男』をめざすことをやめた『おとこのこ』たち」が京都精華大学の『木野評論』31号に掲載されました。
 
6月には「関西T'sフェスティバル2000」で「トランスジェンダーと社会−21世紀に向けて」と題する基調講演をさせていただきました。トランス系の会にはめったに呼んでもらえないのでうれしかったです。
 
また、評論を2つ執筆した『美輪明宏という生き方』(青弓社)が刊行されました。7月にはユニークで精緻な性社会学研究で知られる井上章一先生(国際日本文化研究センター)を代表とする「関西性慾研究会」に参加し、研究発表「現代日本のトランスジェンダー世界」を行いました。井上先生はじめ第一線の研究者との交流は大きな学問的刺激になりました。
 
 
 

中央大学講師として教壇に

2000年4月1日付で「三橋順子」として中央大学文学部の非常勤講師(社会学)に任用していただきました。非常勤とは言え、まさか「順子」で就職する日が来るとは思ってもいなかったので、感激でした。9月から始まった
「現代社会研究」の講義は「『性』を考える−トランスジェンダーの視点から−」と題する12回、性の構造論、性別認識論、ジェンダーイメージ論、トランスジェンダーの社会史などを100人ほどの学生を対象に話しました。毎回の内容はもちろんですけども、何を着て行くか、ずいぶん悩みました。熱心に耳を傾けてくれた受講生に感謝しています。
 
また「日本初」のトランスジェンダーの大学教員ということで、雑誌は『週刊現代』『FLASH』『サンデー毎日』『女性セブン』『話のチャンネル』など、テレビは「ザ・スクープ」「ニュースJAPAN」「ニュースの森」「大学王」など、ラジオは「チャレンジ梶原放送局」と、予想以上にたくさんのメディアが好意的に紹介してくれました。
 
講義の準備と取材対応に忙殺された半年間でしたけども、ほんとうに楽しく充実した、たぶん一生涯忘れられない半年間でした。なお、この体験は「トランスジェンダー大学講師の半年間−性的マイノリティの社会的受け入れについての『実験』−」(『中央評論』236号)にまとめました。
 
 
 

2001年の学術活動

トランスジェンダーの社会史の研究をコツコツ積み重ねた一年でした。その成果の一端は、1月の関西性慾研究会で「戦後日本トランスジェンダー世界の形成と展開」と題して、6月の関東社会学会では「『女装者』概念の成立」として研究発表することができました。
 
また、ちょっと違った視点での仕事として、5月にお茶の水女子大学の「フェミニズムと現代思想 映像表現とジェンダー研究会」で 「二つの神話 性別二元制と性同一性 −映画『Boys Don't Cry』から−」という研究発表を行い、性別二元制と性同一性を絶対善とする思想に対する批判的考察をしました。
 
また、女装世界の先輩たちの聞き取り調査を通じて、1960年代、アマチュア女装世界の形成に大きな役割を果たした「富貴クラブ」の実像にかなり迫ることができました。また、著名な責め絵師・伊藤晴雨の女装責め絵についても考察を発表し、女装とマゾヒズムの相互関係に手がかりが得られました。
 
 
 

人権と教育問題

2001年は、人権や教育問題にも関心をもった1年でした。そのひとつは、東京都教育庁関連の仕事で、社会教育主事の研修会での講演(3月・6月)、人権教育ビデオへの出演(11月)、人権教育冊子への執筆(12月)と続き、さらに大田区教育委員会の「おおた人権塾」で講演を行いました(11月)。これらの仕事を通じてトランスジェンダーの人権について、社会認識を深めるお手伝いができたかと思います。
 
もうひとつは教育研究家の藤原和博さんが企画し、杉浦元一教諭が実践する新しい形での社会科教育「足立11中『よのなか』科」への参加で、授業の臨時講師(9月)、学習発表会シンポジウムのゲスト(10月)をつとめました。大勢の中学生と対面して生で意見交換したことは、私にとって新鮮な体験であり大きな刺激でした。
 
そして、12月には「トランスジェンダーと学校教育」という論文をまとめました(『アソシエ』8号)。
 
 
 

より広い世の中へ

2001年には、 5月の「SFセミナー2001」でゲストスピーチ「SFにおけるトランスジェンダー(性別越境)」を、8月の「SF大会2001」では、森奈津子さん(作家)との対談「ちょっとエッチなSF社会学」と、SF世界とのご縁を持てたことも幸いでした。
 
また、私の友人でSF世界とのつなぎ手である小谷真理さんが原告の「テクスチュアル・ハラスメント裁判」(12月25日 東京地裁判決 全面勝訴)の支援活動を通じても、いろいろな方と出会うことができました。
 
さらに、7月の参議院選挙、東京地方区の鈴木寛候補(民主党 当選)の運動を一日だけお手伝いさせていただき、真夏の神宮前〜原宿〜新宿で、浴衣姿で法定ビラを配った体験は、私にとっての初めての選挙への参加として鮮烈な経験でした。
 
他にも「すずかん 桜井塾」や松岡正剛さんのパーティなど様々な場での色々な方との出会いを通じて、社会の中で「女」として生きることを実感できた1年でした。
 
 
 

着物世界にはまり込む

2001年2月に、「
順子の着物大好き!」を独立サイトとして立ち上げたこともあり、2001年はいよいよ「着物の世界」にはまり込んだ1年でした。年間の着物日数は84回、とくに9月以降はほとんどいつも着物という日常になっています。「うきうききもの」のお姐さま方とのオフ会や出かけは、忙しい日々の中にあって、何にも代え難い楽しい一時でした。特に10月の信州須坂一泊旅行は、楽しい思い出になりました。
 
 
 
人生相談のおばちゃん

2001年2月から電通系の女性専用コミュニティサイト「
サバサバネット」内に人生相談コーナー「順子ママのクラブ・サバサバ」を立ち上げました。
 
私がママをつとめる小さなスナックのカウンター越しに、お客さんがママに悩み事を相談するというコンセプトのこのコーナー、お蔭様で当初の予想をはるかに上回る盛況となり、結局、1年間で170人以上の女性の悩みに、お答えすることになりました。その回答がどれだけの有効性をもつかはともかく、女性の相談役という、性別越境者がはるか古代から持っていた社会的役割を、私もまた期待されているんだということが実感としてわかりました。
 
 
 
今後の活動 

心の内の性別違和感をなだめながら、「女性」としての人生と男性としての人生の両方を背負って生きることを
決意しているので、将来にわたって女性ホルモン投与や外科的手術などで身体を女性化するつもりはありません。男の生地のままの身体で、どこまで「女」を表現できるか、頑張ってみるつもりです。
 
そして、ひとりのトランスジェンダー(性別越境者)として一般社会の中でどれだけの役割を果たすことができるか、できる限りの挑戦を続けていきたいと思っています。  
 
 
男性としての略歴 

男性としての仕事は日本史を専門とする著述・講演業です。某私立大学や某カルチャーセンターなどの講師をつとめてます。既婚で「最愛の妻」と「かわいい一人息子」がいます。
 

    
    

TOPページへ