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「跨性別(トランスジェンダー)世紀」                           2003.12.13
現代日本のトランスジェンダー世界


日本国中央大学社会科学研究所客員研究員 三 橋 順 子
(Mitsuhashi Junko)
http://www4.wisnet.ne.jp/〜junko/

1. 現代日本におけるトランスジェンダーのカテゴリー

図1 MTF(Male to Female)
図2 FTM(Female to Male)

現代日本におけるトランスジェンダーの状況を概念的に示したのが上の図1、2です。
 
(1)MTF
MTFのトランスジェンダーの世界は、男性同性愛者の世界(Gay Community)とはほぼ完全に分離しています。そして、4つの大きなカテゴリーに分れています。

第1は、職業的なトランスジェンダー(Professional Transgender)のグループで、日本では「ニューハーフ」(New-Half)と呼ばれる人たちです。彼女らの主な職業は、飲食接客業(ホステス)、ショーダンサー、セックスワークです。
 
第2は、東京の新宿や大阪の梅田などの大繁華街に立地する女装バーを拠点に形成されているトランスジェンダーのコミュニティです。このコミュニティは社会に開かれていて、MTFを好む男性や一般の男性・女性も出入りすることが可能です。したがって、このコミュニティに所属するMTFは「女性」としての社会性をもつことを求められます。また、MTFと男性との性愛関係もそうした社会的関係性の延長上に存在します。
 
第3は、東京や大阪にある閉鎖的な女装クラブを中心とするコミュニティです。ここは基本的にMTFのみの社交空間で、一般人の出入りはありません。自己満足・自己陶酔の世界であり、必ずしも「女性」としての社会性を要求されません。
 
第4は、性同一性障害(Gender Identity Disorder=GID)という精神疾患カテゴリーをアイデンティティとする人たちのグループです。障害をもつ者として社会的に認知されることを希望し、医療のサポートによって性別適合手術(SRS)を受けて、戸籍を変更して法身分的にも女性になることを求めます。言わば、医療に囲い込まれたトランスジェンダーです。
 
これら4つのカテゴリーは、歴史的に形成されたものであり、相互に分離的で交流は活発ではありません。とりわけ、第四のGIDグループは、政権与党の政治家、医学者、法学者などの支援を得て急速に主流化し、他の3つのカテゴリーに対して批判的・抑圧的です。

(2)FTM
FTMのトランスジェンダーの世界は、女性同性愛者の世界(Lesbian Community)と分離が不十分であり、またMTFに比べて内部のカテゴリー分化も進んでいません。
 
FTMの職業的なトランスジェンダーとしては、「Miss.Dandy」と呼ばれる飲食接客業(ホスト)が成立しています。しかし、MTFに比べるとその業界規模は小さく、1/10〜1/20と推測されます。
一方、性同一性障害(Gender Identity Disorder=GID)のカテゴリーでは、最も著名な性同一性障害者がFTM(Torai Masae)であり、日本のGID治療がFTM中心に進められたという事情もあり、一定の発言力を持っています。
 
 
2. 日本社会におけるトランスジェンダー

日本社会には、キリスト教文化圏やイスラム教文化圏のように男性同性愛や異性装に対する宗教的禁忌が存在しません。むしろ、建国神話に女装の英雄(日本武尊 Yamatotakeru)が登場し、女形(Oyama 女装の俳優)が中心的な役割を果たす歌舞伎(Kabuki)が長い歴史と人気を誇ってきたように、性別越境(トランスジェンダー)に比較的寛容な伝統があります。男性同性愛や異性装に対する強い忌避感覚は、近代以降に欧米からの知識(精神医学)や思想の移入によってもたらされたものです。
 
現代日本においても、少なくとも個人レベル(とりわけ女性)では、性別越境に比較的寛容な感覚は広く存在します。伝統芸能となった歌舞伎は現在でも人気がありますし、大衆的な演劇でも女形は根強い人気があります。また、夜の東京の観光バスツアーで最も人気があるのは、ニューハーフのダンスショーをメインにしたコースです。

日常的にも、トランスジェンダーが一般の店で買い物をしたり飲食をすることを断られるようなことは、少なくとも都市部においてはほとんどありません。奇異の目で見られることはあっても、あからさまに侮辱的な言葉を浴びせられたり、危害を加えられるようなケースは稀です。日本にやってきた諸外国のトランスジェンダーが「日本はトランスジェンダーにとって最も安全な天国(Paradise)だ」と言うのも一面では間違いありません。 しかし、法律、行政、医療、就労などの面では、トランスジェンダーに対する対応は大きく遅れています。法律や行政は、最近までトランスジェンダーの存在をまったく認めていませんでした。医療は1997年になってやっと性同一性障害の治療を承認しましたが、現在でも十分な治療体制は確立されていません(専門のクリニックをもつ大学病院は3つだけ)。就労面での差別は特に甚だしく、トランスジェンダーが一般企業や公務員に就職するのはほとんど不可能でした。
 
こうした社会的差別は、21世紀に入ってわずかずつ改善されていますが、なお就労事情は厳しいものがあります。 一方、2003年7月に「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」(GID特例法)が成立し、今まで事実上不可能だった戸籍の性別変更の道が開かれました。しかし、対象が性同一性障害者に限定されていたり、厳しい条件が付されるなど、ほんとうの意味でのトランスジェンダーの人権擁護とは掛け離れた内容になっています。
 
また、この法律に象徴されるように性同一性障害者への社会的保護が進む一方で、医療の枠組みに入らないトランスジェンダーや同性愛者を社会的に抑圧しようとする動きが現れています。
 
日本社会が性別越境に寛容な伝統を生かし、真の意味で性的マイノリティの人権を認め、性的マジョリティとの共生社会を築けるかどうか、今、その岐路に立っていると言えるでしょう。 
 
 
(質疑応答)

(質問1) 日本は既存のトランスジェンダーコミュニティが存在したのに、なぜGIDという医学概念が社会認識として主流化してしまったのですか?

(答え1) いろいろ複雑な事情があるのですが、一言で言えば、医学界が既存のトランスジェンダーコミュニティについてまったく無知に、あるいは意図的に無視してGIDという概念を導入し、医学的権威を背景にマスメディアを使って広報したためです。そうした状況下で、既存のトランスジェンダーコミュニティはますます排斥され周縁化されていきました。

(質問2) 世界的に例が無いという厳しい要件(子無し要件のこと)の法案がなぜ成立してしまったのですか? なぜ当事者は反対運動をしなかったのですか?

(答え2) 私も含めて法案そのものに反対した人、法案の内容に反対した人も少なくなかったのですが、主流派のGIDの団体が、与党政治家と連携して法案の早期成立をはかったため、実質的な審議もなく無修正で成立しました。

(シンポジウム終了後、会場での質問)
(質問3) アメリカも台湾でも、GIDという用語(概念)は医学論文はともかく、当事者はほとんど使いません。日本で、当事者がGIDという概念を積極的にアイデンティティとするのは理解できません。なぜトランスジェンダーではいけないのですか?

(答え3) 一つには、既存のトランスジェンダーコミュニティに無縁だった当事者が、医学の権威に裏付けられたGIDという新しい概念を積極的受け入れたこと。もう一つは、トランスジェンダーを称することには利益はないが、GIDを称すれば、治療や身分保護の面でさまざまな利益があるためでしょう。私は、GIDも含めて包括的にトランスジェンダーでよいと主張していますが、残念ながら受け入れてもらえません。