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(2000/04)

[ 2000年4月(まとめてアップ・その2) ]
4月中は、なんだかやたらに気ぜわしく、とうとう丸丸1ヵ月日記のアップをサボってしまいました。
という訳で、まとめ書アップになってしまった4月の出来事(その2)です。

[2000年4月12日(水)キャリア・ウーマン仕様に転換]

夕方、池袋の西武デパートでお買い物。今まで使っていたバッグや小物類は、すべておミズお姉さん仕様なので、大学の女性教員らしくみせるためにキャリア・ウーマン仕様のものを揃えにいきました。まずはA4版の書類が楽に入って本の2〜3冊も運べそうなマリ・クレールの茶色のショルダー・バッグを購入。ついでに同じブランドの黄色の名刺入れをゲット。それならバッグの中身は黄色でコーディネートしようと思い、お財布も黄色のソニア・リキエルにしました。続いて文具売り場に移動して、ペンケースも黄色のものを買い、中身もあれこれ1セット揃えました。20数年前、自分の心の中の女性人格に気が付いた頃から、ずっと欲しかったピンク色の軸のシャープペンシルを買った時には、ちょっと感激してしまいました。
一度、家に戻って、買ったばかりのバッグに小物類を入れ替えて、20時に外苑前の居酒屋さんへ。GID(性同一性障害)にともなう戸籍の性別(続柄)変更問題の報道番組を製作しているテレビ朝日関係者と当事者の方の3人で打ち合わせ。なかなか思うように事態が進展しなくて、放送時期が大きくずれ込みそうなのが残念です。

[2000年4月13日(木) 中央大学で雑誌取材の撮影]

14時に中央大学の広報課で『週刊現代』の記者さんとカメラマンと待ち合わせ。広報課のお姉さん(美人)の付き添いで、エントランス、校門、教室、研究室など学内各所を巡りながら雑誌掲載用の写真撮影をしました。散り際の桜の花をバックにエントランスで立ち姿を数枚撮られていた時、カメラマンの方が「何かやられてましたか?」と尋ねてきたので「何かってなんですか?」と聞き返したら、「立ち方が素人さんばなれしてるんですよ。」と言われてしまいました。しっかりコンパニオン立ちして、ポーズと笑顔作ってたみたいです。枚数を撮られている内にこちらも「昔取った杵柄(モデル修行)」を思い出して、だんだん調子に乗ってきて、撮影修了の時には、カメラマンさんに「いやぁ、素人さんにこれだけ顔を作ってもらえれば、撮る方も楽ですよ」とほめて?もらえました。
撮影が終わって、ファックスで送られてきたゲラのチェックをした後、トランスジェンダー研究会の仲間で、同じく新任講師の杉浦郁子さんに学内を案内してもらいながら必要な事務手続きをしました。まず文学部事務室で講師の辞令と身分証明書の受け取りました。両方とも名義が「三橋順子」になっていて感激!。「女」で職に就けたことを実感しました。それから図書館で入庫証を作って内部を案内してもらい、次に生協に連れていってもらって、ついでにお茶をしました。中央大学はともかくキャンパスが広大なので、学内を移動するだけでけっこうな距離を歩くことになります。私の出身大学や男性としての勤務大学は都心の狭い大学なので、どうも勝手が違い、慣れるまでたいへんそうです。夕方、研究室に戻って矢島教授と研究会の今後の調査計画を打ち合わせた後、多摩センター駅の居酒屋で教授と杉浦講師と私の3人で「夜の研究会」となりました。

[2000年4月14日(金)15回目の着付けのお稽古]

今夜は着付けのお稽古、いつもは火曜日なのですけども、お稽古場を提供してくださるMさんのご都合で今日になりました。もうすぐ5月なので、まだ仕付け糸を取っていない初下ろしの単の訪問着を試着して、帯結の具合と小物のコーディネートをチェックしました。お稽古が終わった後は、3月末の京都旅行の写真を見ながら、深夜まで旅の思い出話に花が咲きました。

[2000年4月19日(水) 入稿の後、久しぶりの夜の新宿]

夕方、新宿歌舞伎町の奥地にある北斗出版に『ニューハーフ倶楽部』掲載の「フェイクレディのひとりごと」と「日本女装百話」の原稿を渡しに行きました。この編集部には昼間の仕事のついでに男姿で立ち寄ることがほとんどなので、編集長があたしの女姿を珍しがってくれました。その夜は、入稿した後の気軽な気分で、「びびあん」「たかみ」「ジュネ」と久しぶりに新宿のお店を巡り、明け方に帰宅しました。

[2000年4月20日(木) 大宅壮一文庫で調査]

昼過ぎ、大雨の中、世田谷八幡山の大宅壮一文庫へ出かけました。数日前、某出版社から『美輪明宏という生き方』という本に掲載する「美輪明宏と女装」という評論を依頼されたので、早速、その資料集めという訳です。大宅文庫には昨年の春から10数回も通ってますけども女姿では初めて。受付で男名前の会員証を出すのが恥ずかしかったです。女装のおネエちゃんが美輪明宏の記事ばかりを収集にきたのですから、きっと大宅文庫の職員も驚いたことでしょう。1950〜70年代を中心に30本ほど関係記事をコピーして、駅前にある居心地のいい喫茶店でコーヒーを飲みながら整理と下読みをします。昔の順子は遊んでばかりでデスク・ワークなんてしない娘でしたけども、この頃はこんな状況が多くなりました。
17時、京王線と東急世田谷線を乗り継いでY子お姉さんの自宅マンションへ急ぎます。彼女がお引っ越しのために整理して不要になった本やお洋服や小物類をいただき、その後、近所に新規開店した餃子専門店で夕食をご一緒しました。

[2000年4月22日(土)「MISTY」に出勤]

18時過ぎにに家を出て、久しぶりに地元の行きつけの居酒屋「I」に寄った後、22時、2週間ぶりに歌舞伎町のニューハーフ・パブ「MISTY」に出勤しました。主にカウンターに立ってお客さまのお相手などをまじめに勤めた後、3時過ぎに「ジュネ」に顔を出して気晴らしに数曲歌った後、明け方に帰宅しました。

[2000年4月25日(火)16回目の着付けのお稽古]

今夜は着付けのお稽古。夕方18時過ぎ、着物一式が入った箱と小物類が詰まった袋、それにいつものショルダーバッグという大荷物を抱えて、家から5分ほど歩いて目黒通りのバス停から東京駅南口行きのバスに乗ります。ほとんどいつも座れるし、お稽古場のMさんのマンションの真ん前のバス停まで20分(210円)ですから電車よりずっとずっと楽なのです。なぜだかわからないのですけども、女姿で行動することが増えてから、都内の移動にバスを使うことが多くなったような気がします。お稽古は前回に続いて単の訪問着で角出(銀座結び)の練習。なんだかコツがつかめた感じ。その後、夏用の付帯の練習。

[2000年4月26日(水) また大宅壮一文庫へ]

また女姿で大宅壮一文庫へ。例の美輪明宏関係の資料収集です。今日は1980〜90年代を中心に30本ほど関係記事をコピーしました。仕事の調べ物をした後、夕方のラッシュの電車に乗って帰宅するなんて、なんだかビジネス・ウーマンっぽい感じ。

[2000年4月28日(金)「MISTY」に出勤]

鼻風邪気味で体調がすぐれなかったのですけども、連休前の金曜日ということで、ちょっと無理をして「MISTY」のお手伝いに出勤しました。やはりそれなりに忙しく、順子のご贔屓のお客様のテーブルに付いて、まじめにホステスさんして、アフター(閉店後)のお食事(うどん屋さん)までお付き合いして、朝方ボロボロ状態で帰宅しました。


2000/04

[ 2000年4月(まとめてアップ・その1) ]
4月中は、なんだかやたらに気ぜわしく、とうとう丸丸1ヵ月日記のアップをサボってしまいました。
という訳で、まとめ書アップになってしまった4月の出来事(その1)です。

[2000年4月2日(日)「かなまら祭」見学]

「トランスジェンダー社会史研究会」の見学会ということで、川崎大師近くの金山八幡宮の祭礼「かなまら祭」に行きました。参加者は中央大学の矢島正見教授・杉浦郁子講師、それに大学院生の方が2人に私の5人です。
「かなまら祭」のご神体は男根で、都市部の性神祭祀として祭礼民俗学・性社会学的に貴重な事例です。また、女装クラブ「エリザベス会館」の女装者たちがショッキング・ピンクの巨大男根神輿を担いで参加するのも呼び物になっており、トランスジェンダーと一般社会と接触という点でも興味深い対象です。
私、今までは男姿でばかりで女姿で見に行ったのは初めてで、見物のオジサンたちに冷やかされながら巨大男根にまたがってきました。こうすると子宝が授かるのだそうです。さてご霊験はいかに・・・。

[2000年4月7日(金) 句会「大阪モンロークラブ」に出席]

銀座で『週刊現代』の記者さんに3時間インタビューされた後、作家の島村洋子さんと岩井志麻子さんが主催する句会「大阪モンロークラブ」に、仲良しのY子姉さんのお誘いで出席させていただきました。島村さんと岩井さんにご挨拶。噂には聞いていたけども、お二方とものフェロモンの強烈さに驚きました。作家としての才能はもちろん、ともかくすごい方でした。句会の御題は「猫萌える」「種蒔き」。私の好きな句を選べば、島村さん(俳号:犬売)の「性悪と 言われし春よ 猫萌えて」「惚れてると 言いし嘘つき 桜散る」、岩井さん(俳号:百合小路薔薇子)の「原稿より 君が欲しいと 言ってみろ」、作家の松本侑子さん(俳号:春雲)の「独り寝の 夜は長ながと 猫萌える」、作家の森奈津子さん(俳号:両刀梅)の「はからずも 破れて種蒔き コンドーム」など。私(俳号:似瀬野結女 にせのむすめ)の女装俳句は題材が特殊過ぎて、森奈津子さんが「にせむすめ 歩めば花見の 群衆(ひと)割れる」を評価してくださったのと、某社の男性編集者の方に「よがり泣くラブホの窓の おぼろ月」を「なんと美しい情景でしょう」と批評していただいた以外、参加者の理解が得られませんでした(クスン、クスン)。
二次会はご遠慮して、銀座の喫茶店で大好きなY子姉さんとつかの間のデート(ルンルン)。

下に自選句を掲げておきます。

「お姉さま そこがいいのと」と ネコ萌える
紅爪(つめ)割れて 片思いばかりの 春を知る
なりたくて なれぬ愁いや 雛の春
男子高 春スカートの 同窓会
生脚を 客に嘗めさせ 春盛る
「暖かく なったね」と誘う 外H


[2000年4月8日(土)上野公園でCFL&USA合同大お花見会]

今年の「CFL&USA合同大お花見会」は、文字どおり満開の桜の下、お天気にも恵まれ、推定参加者は42名(推定)、最高にすばらしいお花見となりました。毎年のことながら、前夜から場所取りにご尽力くださった男衆に心から感謝いたします。男が場所とりして「女」が料理を作って持ってくというと、性別役割分担を固定してるようでフェミニストに叱られそうだけど、「お嬢さんたちに場所と利の苦労なんてさせられませんや」という「男気」、「兄さんさたち、ご苦労様。さあ、あたしの手料理、食べて、飲んで」という「女気」は、私は好きですし大切にしたいです。
ところで、なぜ、私が上野でのお花見にこだわるかというと、上野のお山が、戦後日本の女装文化の原点だからなのです。今の若い皆さんにはまったく縁の無いことかもしれませんけど、昭和20年代前半の戦後の混乱期に全盛期を迎えた「上野(ノガミ)の男娼」たちこそ、戦後日本の女装文化のフロンランナーたちでした。「身体を売る」「売春」ということで、長い蔑まれてきた彼女たちですけども、当時の社会事情を考えれば、「性の越境者」が生きていく術はそれしかなかったのです。私が上野のお山でのお花見にこだわる理由のひとつは、そこが、そうした女装の大先輩たちの涙と汗と血と精液が染み込んだ場所だからなのです。日本の女装文化を引き継ぐ者として、CFLの上野での花見は、女装文化の先駆者である「上野の男娼」たちへの鎮魂の意味を込めているつもりなのです。

華やかで艶やか、散り際の儚い美しさ、桜の花はどこか女装者に通じるものがあります。今年も仲間と桜の花の下で楽しい時間を過ごせた幸せをかみしめつつ、来年もまたこの桜の花の下で皆なで元気に集えることを願った夜でした。 

2000/04