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(2000/03)

[ 2000年3月31日(京都着物旅行・最終日) ]
さて、3日目です。昨日の夕方、先生が一足先にご実家にお帰りになったので、残された生徒3人は、すっかりだらけてしまい、朝ご飯が終っても、なかなか着付をする気になれません。

Mさん「なんか気合入んないわよねぇ」
順子「このまま洋服でダラダラしてたいわよねぇ」
Yちゃん「でも、お二人は外に着て行けるようなお洋服、持ってらっしゃらなかったのじゃあ・・・」
Mさん「そうだったわ。こんな寝間着代わりのトレーナーで新幹線に乗って、知り合いの編集者に見られたら目も当てられないわ」
順子「仕方ないから、頑張りましょうか」

ということで、初日と同じ着物に着替えて11時にチェックアウト。まず祇園白河のお漬物屋さんでお土産を買って発送をお願いして、その後も観光などする気になれずに、白川河畔のお座敷喫茶店に入ってまったりと時を過ごします。この旅行中、「甘いものギャップ」に悩んできたあたしもすっかり「女の子のお口」になってきて、コーヒーに加えて抹茶アイスなどをいただきました。長居しすぎていずらくなったので、少し歩いて四条通の和装小物のお店などを巡って、自分で使う小物(お扇子・名刺入れ・眼鏡ケース)やらお土産やらをお買い物しました。

お昼ご飯は、八坂神社境内の「中村楼」でお昼ご飯と思っていたのに、やっぱり八坂の神様とMさんが相性が悪いのか、お買い物を終えて外に出てみたら雨が降り出していました。仕方なくタクシーで早めに京都駅に向かいます。「やっぱり祟りかしら」なんて言ってたら、タクシーの運転手さんが「有珠山、さっき噴火しましたよ」。あたしたち、何か天を怒らせるようなことをしたのでしょうか? 噴火のニュースを聞いている内に京都駅に到着しました。

京都駅ビルで「ガメラがここをこういう風に壊したのよ」というMさんのSF評論家ならではの専門的な解説をうかがいながら、階上の和食レストラン「和久傳」へ。小雨に煙る京都の街を眺めながら、ワインをいただきながら春の懐石コースで優雅なお食事となりました。あまりに優雅な午後で2時間半前から駅ビルにいるにもかかわらず、新幹線ホームを着物姿で走るはめになりながら、帰途についた3人でした。

今回の京都旅行は、ともかく、初めての女友達との旅行、初めての全行程着物旅行、初めて自分で着物を着付けた旅行、という初めて尽くしの体験で、旅慣れているあたしとですけども、出かけるまで珍しいほどの緊張感がありました。でも出かけてしまえば、毎日、大好きな着物を着て、仲良しのお友達と「女」として京都の街を散策し、おいしいものを食べ、こんな優雅な旅も初めてでした。そして「着物姿で京都を旅する」という長年の夢がかなった旅行でした。

先生、Mさん、連れていってくださって、ほんとうにありがとうございました。


2000/03/31(Fri)

[ 2000年3月30日(京都着物旅行・中日) ]
朝6時半に目覚し時計のベルで起こされ、寝呆けをシャワーで無理矢理流して、すぐにお化粧。寝間着兼用のオレンジのサマーセーターと黒のスパッツというラフな格好で、約束の8時ちょうどに、朝ご飯の会場のMさんのお部屋へ。ドアを開けてくれたなんだか寝ぼけ顔のYちゃんが「M先生、まだおやすみなんですぅ」と困ったように言います。「え〜っ!、8時集合って話だから、あたし頑張って早起きしたのにぃ」と言いながらお部屋に入ると、確かにダブルベッド(このお宿、なぜか二人部屋はツインではなくダブルなのです)の半分にMさんがまだ埋まってました。そこにさわやかな笑顔で先生が登場。意識が半分戻らないボロボロお人形状態のMさんもベッドから這い出して、4人で座卓を囲んで最終回前日の「あすか」(NHKの朝の連ドラ)を見ながら「朝粥」ということになりました。お粥をいろいろな種類の京都のお漬物とお味噌汁でいただきます。こんなさわやかで健康的な朝ご飯は、ほんとうに久しぶりです。エネルギーが充填されてMさんも人間に戻り、各自お部屋に戻って着付ということになりました。

今日は、中日なので少し華やかに装いましょうというお約束なので、あたしは、お気に入りの緑の縞の小紋に、薄茶の地に明るい海老茶の桧皮柄の帯を合わせ、帯揚げと帯締めは昨日と同じうぐいす色(本来は、こっちに合わせた組み合わせ)、帯結びは銀座結び(角出し)です。ゆっくり1時間ほどかけて着付て、お出かけの用意を整えて、10時過ぎに下のMさんのお部屋へ。先生に帯結びを修正していただいて、11時に4人揃って着物姿でお出かけです。お天気は、暖かく青空ものぞいて絶好の行楽日和です。花見小路のお漬物屋さんに寄った後、「せっかくここまで来たのだから」ということで、祇園白川新橋の風姿保全地区を通っていくことにしました。

白川沿いに並ぶ伝統的な京都の町屋の中に、今から20数年前、あたしが泊まったことがある料亭旅館「白梅」が、昔のままの姿でありました。京都大学を受験するまだ普通の男の子だった私のために父が知り合いの置き屋さんを通じて予約してくれて、付き添ってきた母と一緒に泊まったのが、この祇園のど真ん中にあるお宿でした。入試直前の勉強をしていると、隣のお部屋からお三味線の音色と優雅な小唄が聞こえてきたり、入試当日のお弁当は竹皮に包まれたなんとも粋なこしらだったりで、世間知らずの田舎の少年には、なんとも衝撃的な体験でした(だから、入試に落ちちゃったんだよぉ)。今、あたしの帯には、母がその置き屋さん(「高しず」)からお土産にもらい、母の没後、形見としてあたしがもらったお扇子(この頁のカットになっているお扇子)が差してあります。あたしが着物を着るようになってからずっと常用していたので、かなり痛んでますけども、「お里帰り」させるつもりで持ってきたのです。「白梅」の前で写真を撮ってもらいました。あたしの姿は、純朴な少年から粋な着物の似合うお姐さんに変わりましたけども、白川の流れに映る景観は20数年の歳月の流れを忘れさせてくれます。母の思い出も心に浮かび、あたしは感慨無量でした。

四条河原町までお散歩した後、タクシーで北嵯峨まで一気に飛ばしました(普段なら京福電車でゴトゴト行くのになんと贅沢な旅行でしょう)。釈迦堂(清涼寺)の側のお豆腐料理屋さんを予約してあり、そこでMさん・先生のお友達のSさんと待ち合わせなのです。一足先に着いたあたしたちの後から、なんとも華やかで着物美女が入ってきました。一目で「ただ者ではない」と思いました。着物の着方には、お江戸風と京風があって、前者は「きりっ」とした感じ、後者は「はんなり」が魅力です。例えば、あたしは江戸風の「きりっ」とした粋な感じがウリですし、あたしの着物友達のY子姉様は、京風のはんなりした優雅な感じが魅力です。今、入ってきた美女は、京風でありながらなんとも粋な「きりっ」した感じなのです。一瞬、玄人筋かと思ったくらいです。思わず見とれていたら、Mさんが「こちらがSさんよ」と紹介してくださいました。後でお話してわかったことですけど、Sさんは京舞の若柳流の名手で「なるほどぉ」と合点が行きました。しかも、男舞がお得意という、けっこうトランスジェンダーな方でした。舞台のお写真を見せていただいたのですけども、文字通り絵に描いたような美男ぶりで、男姿もすっかりファンになってしまいました。美女で「美男」、なんとうらやましいことでしょう。お豆腐料理のコースもおいしかったです。とりわけ湯豆腐がおいしくてお腹一杯になるまで食べてしまいました。
(未完)


2000/03/30(Thu)

[ 2000年3月29日(京都着物旅行・初日) ]
3月29日〜31日(水〜金曜)、昨年11月から始めた着付のお稽古の初級コース修了記念ということで京都に旅行してきました。

メンバーは、N先生と生徒2人(あたしとMさん)、それにMさんのアシスタントのYちゃんの「女」4人。Mさんとあたしは、修了試験も兼ねているので、寝間着以外の洋服は持っていってはダメ、全行程を着物で通す、という厳しい試練の旅でもありました。
ちなみYちゃんは、先生とあたしたちが京都旅行のプランを立てていた時においしい紅茶を入れてくれて、つい軽い気持ちで「先生方、京都ですかぁ、いいですねぇ」と言ってしまったために、「あなたも行くのよ!新幹線は4人ボックスの方が楽しいんだから」「えっ?、あたし、着物、着られません」「着るのよ!お母さんの着物を借りてらっしゃい」という仕儀になり、即席お稽古を一度しただけの超初心者なので、行きの行程は洋服でOKということになってます。

初日(29日)

牡丹柄の黒の大島紬に手毬柄の真っ赤な帯。帯揚げ・帯締めはうぐいす色、帯結びは銀座結び(角出し)。
前夜から遠足前の小学生みたいな気分で、「着物姿で京都旅行」という長年の夢がかなうワクワクの興奮と、着付ができず新幹線に乗り遅れる悪夢とが交互に頭に浮かんで熟睡出来ず、6時半に寝ぼけながら起床。長時間のシャワーで頭と身体を無理矢理起こしてお化粧。8時頃からこの日のために購入した姿見の前で着付。悪戦苦闘の末なんとか形になって9時過ぎにバスで東京駅へ。10時38分の新幹線に乗車できた時には、もう既に一日分の仕事を成し終えた気分でした。あたしの数分後に大島紬に道行コート姿で到着したMさんもほぼ同じ状況で睡眠時間1時間半とのこと。さらに、着物と帯、小物一式が入った大きなバッグを抱えて到着のYちゃんに至っては完全徹夜とのこと。定刻、寝不足で呆然の3人を乗せて新幹線は出発。あたし、もしくはMさんが着付が間に合わず新幹線に乗れないのを一番心配していたN先生がさわやかな笑顔で新横浜駅から乗車してこれで無事全員集合です。

車中でお弁当を食べ、いろいろおしゃべりしている内に13時22分に京都駅に到着。タクシーで、東山の知恩院の門前、骨董屋さんが並ぶ新門前通りにある小さな和洋折衷のお宿「淑徳館」へ。荷物を預けてチェックインの手続きをしている内に雨が降り出しました。Mさんが「あたし、八坂の神様と何でだか相性が悪いの。あたしが八坂神社の方に行くと雨が降るの」と不吉なことを言い出します。そう言えば、さっき神社の前を通過してきました。そうだと解っていれば、真っ先に八坂さんにお参りしたのに(あたしは神様には気に入られるタチだから)。小降りなったものの止みそうにないので、予定していたお寺巡りは中止して、タクシーで四条河原町へ出て、新京極・寺町のアーケード街で和装小物屋さんを巡ることになりました。小物屋さん、草履屋さん、袋物(バッグ)屋さん、襟屋さん、さすが日本の和装文化の中心京都だけあって見飽きることがありません。とりわけ、寺町の「ゑり正」さんの品揃えは魅力的でお小遣いがいくらあっても足りないと言う感じです。欲しいものばかりだったのですけども、我慢して、薄桜色の半襟と、古代紫のグラデーションが見事な帯揚げだけを買いました。

夕方、宿に戻り、ワンルーム・マンションのようなお部屋で化粧と着付を直して、Yちゃんを着物姿に変身させます。幸い雨は上がったので、歩いて夜のお出かけです。東京に比べれば着物姿の人が目立つ京都ですけども、着物姿の4人連れが三条大橋を渡っていくのはけっこう目立つ感じです。夕食の予約時間までちょっと間があったので、三条木屋町の京人形屋さん「」へ。「元・模型好きの男の子」だったあたしとしては、祇園の山鉾の精密なミニチュア(全セット)がすごく見事で魅力的だったのですけど、集めだしたらキリがないので止めて、ウチの奥さんと息子に良く似た小さな土人形をお土産に買いました。夕食は、予約を入れておいた先斗町の京湯葉の名店「なかよし」で湯葉料理のフルコースを楽しみました。湯煎した湯葉汁から細串で薄い膜を引き上げてお出汁に漬けて食べる「生湯葉つまみ上げ」から始まって最後の「湯葉雑炊」に至るまで、出て来るお料理全てがとてもおいしく、さすがに「一日50人分限定」というこだわりのお店だけのことはあるなぁ、と思いました。それに「着物美女?4人」とだったからなのか、お店の方が、とても丁寧な応対をしてくださったこともうれしかったです。

食後、すぐお隣の先斗町歌舞練場の前で「なんで順子ちゃんは、こういう濃い場所で写真を撮りたがるの?」と言われながら、写真を撮ってもらい、帰途に着こうとしたところ、お姉さま方が「名物 餡コーヒー」という怪しげな看板の和風喫茶店を見つけてしまいました。怖いもの知らずのお姉さま方に引っ張られて尻込みしていたあたしも店内へ。「餡コーヒー」は文字どおりコーヒーの中に餡子が沈んでいるという、一応、コーヒー通を自認しているあたしの認識からすれば悪魔のような飲み物でした。でも「コーヒーとはかくあるべし」と思わなければ、けっこうおいしいかも・・・。Mさんは「以前、最中(もなか)の中身の餡子をコーヒーの中に落したことがあるの。これもきっとそうやって発明されたんだわ」と言うけれど、あたしには、そもそもどうしてコーヒーのお茶請けが最中なの?、という感じなのです。これが実は、この旅行中、あたしを悩ます「甘いもの文化ギャップ」の始まり前だったのです。

お宿に戻ったのは22時過ぎ、さすがにクタクタで明日の打ち合わせもそここそにお部屋に引き揚げました。お化粧を落してシャワーを浴びて着物を畳み、テレビでニュースを見ようかなと思ったところで力尽き、墜落睡眠となってしまいました。


2000/03/29(Wed)

[ 2000年3月10日(早春の午後のお出かけ) ]
今日は昼間のお仕事も無く、ずっと抱えていた原稿(「戦後日本トランスジェンダー社会の歴史的変遷の素描」)もやっと書き上げたので、久しぶりにのんびりお出かけしてきました。

柿色のセーターに黒のタイトスカート、ベージュのストッキング、黒のショーとブーツ、黄色のケープというナチュラル順子バージョンで、まず自宅近くのバス停へ。三軒茶屋行きのバスに終点まで乗って、そこから東急世田谷線に乗り換えて上町駅で下車。ちょっと歩いて世田谷区郷土資料館に到着です。

ここは江戸時代にこの辺りの支配をしていたお代官様のお屋敷(といっても大き目の農家)とその
お庭が保存されていて、その奥に現代的な資料館が建てられてます。お庭の紅白梅と桃の花を愛で
ながら、今日のお目当ての「畿内王権と古代の東国−野毛大塚古墳の時代」を見学しました(なん
だ結局、表のお仕事絡みじゃない)。日本各地の博物館から集めた古墳時代の甲冑(よろい&かぶ
と)の展示が壮観でしたけども、全体的な結論の大筋はともかく、ヤマト王権と東国の在地首長と
の関係や、東国の首長同士の関係の解釈の細部に、あたしの考えと微妙な違いが有って、そこらへ
んよく再検討しなければと思いました。

ふたたび世田谷線に乗車。今日は風は冷たいけども日差しはすっかり春の暖かさで、電車に揺られ
ていると気持ちよくて眠くなります。それに世田谷線の旧タイプ車両は車幅が狭いのに対面シート
なので、正面を向いてるとけっこう恥ずかしいです。うとうとしてる内に三軒茶屋に到着。まだ15
時前なので、「平安の書の美」の特別展をやっている上野毛の五島美術館へ廻ることにしました。

東急新玉川線−大井町線(二子玉川乗り換え)ルートで上野毛駅へ。高級住宅街を数分歩くと東急
財閥の富の象徴である五島美術館です。会場は、平日にもかかわらず、年配の女性たちでかなりの
入りでした。今回の展覧会は有力な書道団体の記念事業なのでどうもその関係の方たちみたいで
す。あたしは正直、書(とりわけ、かな文字)の善し悪しはわからないので、むしろ書の伝来過程
に注目して見てきました。あたしと前後しながら見学している上品な感じの老夫婦が、書の感想な
ど和やかに語り合っている様子が、なんだかとてもすてきで、あたしも年を取ったらああなりたい
なぁ(さて、おばあさんの方でしょうか、おじいさんの方でしょうか)と思いました。

特別展を見終わった後で、ちょっと寒かったのですけども、庭園が散策自由だったので一巡りして
きました。一巡りといっても野毛の台地が多摩川へ向かって降りる崖状の地形を利用した大庭園で
すから、けっこう歩きがいがあります。お花は紅白梅とマンサクが咲いてるくらいでまだまだ冬景
色でしたけども、この庭園の主のような樹で東京都の天然記念物に指定されている こぶしの大木
は、もうつぼみを大きく膨らませてました。満開になったらさぞ見事だろうと思います。こうやっ
てお庭を散策してると、撮影に好適なポイントがいくつもあります。一人歩きは気楽なのでいいの
ですけども、残念なのは写真が撮れないこと。お花の季節には、やっぱり仲良しのお姉さんと二人
か三人かで来たいなぁ、と思いました。

上野毛の駅からは東急大井町線−東横線(自由が丘乗り換え)で家路につきました。途中、全然休
まなかったので、さすがに一息入れたくなって、駅前商店街の行き付けの喫茶店「学芸茶房」に寄
り、トーストとコーヒーでくつろいで、あたしの早春の午後は終りました。


2000/03/10(Fri)

[ 2000年3月9日(中央大学文学部教員懇親会) ]
今日は、あたしが4月から講師としてお世話になることになった中央大学文学部の教員懇親会の日です。

出席することに決めてから一番悩んだのは「何を着て行くか」ということでした。あたしの場合、洋服は普段着っぽいもの(セーターとかカーディガンとか)とおミズっぽいもの(ワンピースとか)の両極端に分かれていて、いわゆるビジネス・スーツっぽいものはほとんど持ってないのです。この数年、講演会とか、お呼ばれとか改まった格好をする必要がある時はほとんど着物で通しているので、それに対応する洋服が無いという状況になってしまったのです。悩むと言っても、今回のケースは選択肢が無いのですからどうしようもありません。9月からの講義用に買って置いたマリン・ブルーのスーツの出番を早めて(ちょっと薄手で3月上旬の気候には寒いのだけど)を着て行くしかないということになりました。お化粧を地味目にして、レモンイエローの半袖セーターの上にマリン・ブルーのスーツ、足元もベージュのストッキングに黒のローヒール・パンプス、これなら大学の女性講師に見えるかなと思ったのですけども、見えない・・・・。

懇親会に出席する前に研究パートナーのS嬢と4月初めに刊行予定の報告書(『戦後日本トランスジェンダー社会史』1)の打ち合わせをする約束なので、12時過ぎに家を出て、東急東横線−京王井の頭線−京王本線と乗り継いで13時30分に高畑不動駅へ到着しました(遠いなぁ)。S嬢と駅近くの地元民しか来ないような喫茶店に入り、なんとなく周囲の視線を感じつつサンドイッチを摘まみながら原稿のチェックや出版までの段取りを打ち合わせました。現在は大学院博士課程の院生であるS嬢もあたしと同じく2000年度から講師に登用されることが決まっているので、今日の懇親会はお披露目の舞台のはず。なかなかの美形であるS嬢がぴしっとスーツ姿で決めてくるのを実は楽しみにしていたのに、彼女はいつものような気軽なファッションで、あたしは、ちょっとがっかり。そこらへんのところを聞いてみたら、やっぱり「それらしい着て行くもの無いんですよぉ」とのこと。非常勤講師の文字通りの薄給では、スーツひとつが1カ月分の講義料に相当してしまいます。とは言え、「いつも同じ物を着てる先生」とは思われたくないし、女性講師の悩みは深いのです。

15時30分頃、1月に開通したばかりの多磨モノレールに乗車しようとしたら、駅でS嬢の知人のご夫婦(共に中央大学の講師)と出会いました。ベビーカーにもうすぐ1歳のお誕生日の赤ちゃんを乗せてます。とてもかわいい(このくらいの子供は「おばちゃん、女?男?」なんて質問してこないから好きです)のですけども、非常勤講師の場合は保育所に預ける資格に達しないことが多いので、何かと大変だと思います。背負って講義する訳にもいかないし、大学にも一時預かりの託児所が必要だと思いました。

モノレールの乗車時間は6分ほど、見晴らしがすばらしいのでもっと乗っていたい感じ。駅を降りるとすぐに大学の裏門で、今まで多磨動物園駅から山登りしていたことを思うと便利この上ありません。まだ学内の地理が全然わからないので、S嬢にくっついて文学部社会学科の矢島教授の研究室に向かい、まず、いろいろややこしい問題をクリアーしてあたしを講師に起用してくださった先生に感謝の気持ちをこめてご挨拶しました。先生は「三橋さんが男姿で来たらどうしようかと思ってましたよ」と冗談とも本気ともつかぬことを言いながら、今年卒業の女子学生を紹介してくれました。「この学生は、一昨年の秋の三橋先生の特別講義を聞いて、ジェンダーフリー論をテーマに選んで卒論を書いたんですよ。今度、先生に読んでいただかなくちゃだね」 こういう形で自分の話したことの反応が返ってくるのは、ほんとうにうれしいものです。これから1年間、大学の講師を勤める意気込みが改めて沸いてきました。

昨年の11月、矢島先生から「三橋順子」宛てに、講師の就任依頼のメールをいただいた時には本当に驚きました。先生に初めてお目にかかってから1年半ほど、ご一緒にトランスジェンダー社会史研究会を立ち上げてまだ1年足らずの短いお付き合い、しかも、あたしは大学院の課程で正規に社会学を学んだことがない門外漢、自分なりの理由で性と社会の問題をまじめに考え出してからまだ数年です。実は先生にお願いして中央大学の大学院の研究生にしていただき、社会学を一からきちんと勉強しようと思っていた矢先で、とてもじゃないけど大学の社会学の講座を持たせていただくような実績も自信もありません。お断りしようかと思いました。ただ、先生はそうした事情を全部承知であたしを指名してくださったはずです。性と社会の関係をわかりやすく説得力をもって学生に語れる人材としてあたしに期待してくださったのだと思います。また、あたしのようなマイナー・セクシュアリティの中のマイナーであるトランスジェンダーを大学教員に起用する社会的意義も十分に踏まえてのお話だと思いました。考えてみれば、あたしにとっても、自分の思考を学問的に体系化する絶好のチャンスだし、またトランスジェンダーでも大学の教員が勤まるんだということを一般社会に知らしめるこの上ない機会です。あたしは、数時間悩んだ末に、「ご期待に応えられるよう頑張ります」という返信メールを先生に送りました。

さて、定刻になったので矢島先生に伴われて懇親会の会場へ移動しました。文学部の先生方が一堂に集い、参加者80人ほどの立食パーティです。文学部長先生や学長先生のご挨拶をうかがい(少子化時代ということでどこの大学も内情はなかなかタイヘン)、乾杯の後、パーティタイムとなります。あたしの今までの(男性としての)長い非常勤講師経験からすると、こういう席での非常勤講師なんていうものは、知り合いの先生にご挨拶だけして後は食べるだけ食べて飲むだけ飲んで消える、というのが通例です。そんなつもりで隅の方でおとなしくしていたら、矢島先生が「三橋さん、そろそろ挨拶回りに行きましょう」とおっしゃいます。連れて行かれた先は、文学部長の先生、文学部の事務長さん、そしてなんと学長先生!。矢島先生が「こちらが例の三橋さんです」とか「こちらが噂の三橋さんです」とか紹介してくださるのですけども、あたしは心の準備ができてなかったので、しどろもどろに初対面のご挨拶をして、あたしのような者を任用してくださった御礼を申し上げるのが精一杯でした。文学部長の先生は「どうなるかと心配してたら、教授会は思いのほかすんなり通りましてね。ただ理事会は、お年寄りが多いので質問されたらうまく答えられるように矢島先生と相談して説明文を用意していたんですよ。でも気がつかなかったみたいですね」と内幕をお話くださり「学生の刺激になる良い授業をしてください」と励ましてくださりました。学長先生は「マスコミとか、いろいろ注目されて大変でしょうけど、どうか大学のイメージ・アップにつながるように頑張ってください。期待しています」とのお言葉をいただきました。大学の人事の仕組みを考えると、一介の非常勤講師の任用が学部長の先生、まして学長先生のお耳に達すると言うことは、あまりないような気がします。それだけ、あたしの任用にあたっては、矢島先生がいろいろ慎重に根回ししてくださったのだなぁ、と今更ながら気付きました。そして、それだけの注目と期待に背かないよう頑張らなければいけないと、改めて肝に銘じました。

今回の大学講師への任用は、あたし自身にとっての新しい出発だけでなく、トランスジェンダーの社会進出という意味で画期的な意味をもつことだと思います。その社会的意義を理解してくださった中央大学には心から感謝しています。これから1年間、少しでも恩返しができるよう微力を尽くしたいと思います。


2000/03/09(Thu)

[ 2000年3月4日(日本顔学会シンポジウム) ]
今日は、早起きして(7時30分起床)、早稲田大学・国際会議場で開かれた日本顔学会第9回公開シンポジウム「顔画(かおがく)入門」に参加してきました。

顔学会は堅苦しい学会ではありませんけども、それでも一応ということなので、薄紫のアンサンブル(ワンピース+ロングジャケット)にベージュのストッキング、お化粧も控え目にして出かけました。朝が早いので、前夜から仕事部屋に泊り込みで、東横線−山の手線と乗り継いで高田馬場駅へ。そこから学バスで西早稲田まで行き、徒歩数分で会場に着きました。開会には間に合わなかったものの、なんとか第1講演の3分の1くらいから聞くことができました。

プログラムは下記の通りでした。

講演1 「第一印象としての顔」(大坊郁夫 北星学園大学教授:心理学)
講演2 「男顔と女顔の境界」 (山口真美 中央大学文学部助教授:心理学)
講演3 「白肌から顔黒まで (村澤博人 ボーラ文化研究所主席研究員:化粧文化論)
対談 「アニメ顔・コンピュータの顔」
(中尊寺ゆつこ:漫画家、原島 博 東京大学教授:情報工学)

あたしのお目当ては、もちろん、2番目の山口先生のお話。なにしろ、あたしが日本顔学会に入会させていただいた時に提出した研究テーマが「女顔・男顔&ニューハーフ顔」でしたから聞き逃す訳にはいきません。

山口先生の実験では、女顔か男顔かの印象に最も重要な役割を果たすのは「眉」だそうです。うなずける結論ではありますけども、一方で眉は顔のパーツの中で一番加工が容易な部分でもあります。もっと決定的な、つまり加工不可能な女顔と男顔の分岐点を知りたくて、講演が終った後で挙手して質問しました。あたしの質問は「トランスジェンダーの世界では、経験的に女顔と男顔の決め手は、顔の中軸線、具体的には、鼻の長さ(眉間の一番低い所から鼻の先端まで)、鼻の下の長さ(鼻の下端から上唇の上端)、あごの長さ(下唇の下端からあごの先端まで)のそれぞれが短ければ短いほど女顔と言われてるのですけど、その点お気づきの点はありましたか?」というものでした。先生のその場でのお答えは「ご意見を参考にして今後、検討いたします」というものでしたけども、懇親会の時に原島先生のご意見をうかがったところ、顔の下半分にもポイントがあるという点では私とお同様な見解でした。

ともかく、朝から一日まじめにお勉強してたのでさすがに疲れて、どこにも寄り道ぜずに帰宅しましたけども、懇親会で山口先生や中尊寺さんといろいろお話できたし(中尊寺さんには、すてきな自筆漫画のポスとカードを3枚もいただいてしまった)、村沢先生にもご挨拶できたので有意義な一日でした。


2000/03/04(Sat)

[ 2000年3月2日(京王プラザホテルで着物トークショー) ]
今日は、新宿の京王プラザホテルで開催された「14人の雛たちのたための物語」の出席してきました。

このイベントは、京都市KIMONO開発委員会主催で、京都の中堅・若手着物デザイナーが、特定の着手(モデル)の個性に合わせて着物を作り、それを着たモデルがその作品への思いを語るという着物ファッション・トークショーです。「雛」(モデル)は、版画家の山本容子さん、壁画家の田村能里子さん、西洋美術史家の森洋子さん、ジャズ歌手の金子晴美さん、テニス選手の平木理化さんなど多彩なメンバーでしたけど、あたしのお目当ては、もちろん日頃から敬愛するY子お姉様です。

12時分にいつもの渋谷の美容室で着付をお願いします。11月から2月まで着付の特訓に通ったお陰で、お遊び用の小紋や紬ならなんとか自分でも着付けられるようになったのですけど、今日のような着物パーティに訪問着を自分で着ていく自信はまだありません。今日のあたしの着物は、お正月に初卸した新スワトー刺繍の黄色の訪問着、帯は濃い紺に金の流水紋、帯揚は臙脂、帯締は臙脂に金というコーディネートです。着付けが終り、タクシーで新宿の京王プラザホテルへ。喫茶室で一休みした後、ロビーに展示されている着物や新旧の雛人形を眺めながら会場に向かいました。

時間に余裕をもって来たので(30分前)会場への入場はほとんど一番乗りでした。入ってすぐに他の「雛」の方たちと待機していたY子お姉様があたしを見つけて寄ってきてくださいました。いつもきれいにな方が、今日は一段と輝いています。濃淡のある銀鼠色の地に大きめに紅白梅と桜の花を連ねたお着物は、はんなりとしたやさしさとあでやかさを兼ね備えたすばらしいデザインです。Y子お姉様の匂いたつような女盛りの美しさを側近く拝見して思わず賛嘆の声が出てしまいます。会場内での「雛」との撮影は禁止なのですけども、まだ会場内に人が少ないということでお目こぼししてもらって、お姉様とのツーショットを撮ってもらいました。

開演まで15分ほどになった時、お姉様が「順子ちゃん、お化粧室行かない?」と誘って下さったのでご一緒します。化粧室の鏡の前で「お化粧、大丈夫かしら」「髪型、変じゃないかしら」とあたしに問いかけるお姉様に「大丈夫、とってもきれいです」と応じながら、お姉様みたいにテレビ出演や講演会で場数を踏んでる方でもやっぱり緊張があるのかなぁ、とちょっと意外に思いました。会場に戻る途中、「とても素敵ですから、14人の中で『あたしが一番きれい』と思って舞台に上がってください」と励ますと、「順子ちゃんも昔、女装コンテストの時、そう思いながら上がったの?」とおっしゃるので、「そうですよ。そう思った方が輝けるんです」と言い添えました。

会場に戻り、楽屋入りするお姉様と別れて、目立たない中程のテーブルに着席しました。会場の250人の中、200人くらいが着物姿で着飾った女性で、これだけ大勢集まるとなんだか圧倒される思いがします。あたしが座った丸テーブルも4人グループと2人連れが2組の8人全員が着物姿のオバさまでした。あたしのことをどう思ったかはわかりません。14時、開演です。舞台にそれぞれ個性的な仕上がりの着物14人の「雛」が並んだ様は圧巻です。その後、ひとりひとりの「雛」とデザイナーが着物への思いや製作意図、できあがりの感想などを語っていきます。Y子お姉様が着た金田隆さんデザインの「春の約束」は今回の作品群の中では数少ない古典柄を基調にしたもので、ただ紅梅・白梅・桜を通常の古典柄よりも大きく鮮やかに描き、手書き友禅の技法的特質を最も生かしている感じがして、優雅で気品があるすばらしい出来栄えのものでした。それに加えてその作品を着こなす総合的な力、つまり、着物への思い入れと着こなしのテクニックと慣れが、14人の「雛」の中でY子お姉様が際立っていたように思います。この印象が、熱烈なY子ファンであるあたしの身びいきではなかったことは、やがて証明されることになります。

14人の「雛」のトークが終った後、余興として「雛」の一人であるジャズ歌手の金子晴美さんが、濃い水色の鮮やかな着物姿でジャズ・ナンバーを4曲ほど歌うミニ・ライブになりました。一見、演歌歌手風なのですけど歌い始めるとこれがなかなか素敵で、着物とジャズはよく似合うということがわかりました。ただ「声の出方が普段と違うみたいです」とおっしゃってたように迫力という点ではイマイチなのかもしれません(あたしでさえも、着物姿で歌う時は高音域の限界が1音程下がります)。最後にお楽しみプレゼントの抽選になりました。テレホンカードから始まってお食事券や旅行クーポンなどいいろいろあったのですけども、生来くじ運が悪いあたしはカスリもしません。というかあたしのいたテーブルは誰も何も当たらず、その時、始めて同じテーブルの女性たちと「このテーブルは駄目ねぇ」「はい。でもまだ最後の大物が残ってますから」と話をしました。最後の大物とは、250人くらいの参加者の中から抽選で2名に今回の「雛」と同じデザイナーを指名して友禅の着物を作ってもらえる権利が当たるのです(お金に換算したら100万円以上の価値?)。しかも、抽選係とプレゼンテーターはY子お姉様です。「オネガイ!お姉様、あたしを引いて!」と心の中で叫びましたけども、結果はあえなくドボン(もし、お姉様があたしの番号を引いたら「八百長疑惑」でしょうけど)。さて、めでたく当選した方2名が舞台に上がり、司会者に「おめでとうございます。どのデザイナーをご指名ですか?」と尋ねられた時、2人とも「○○さん(Y子姉様のこと)のお着物をデザインした方にお願いしたい」との希望。主催者側も指名がかち合うとは思っていなかったらしく、お偉いさんたちがあわてて協議を始めました。14名もデザイナーがいたのですから、ダブル指名を予想しなかったのも無理もありません。結局、デザイナーの金田さんが「名誉なのでお二人ともお引き受けします」と約束されました。14人の「雛」の着物の中で、Y子お姉様の着物が群を抜いていたという印象は、あたしだけの思い入れではなかったという訳です。

久しぶりに大勢の女性の中に立ち混じって、さすがに人疲れがしてしまいました。Y子お姉様にはちゃんとご挨拶して早々に会場を辞去しました。会場には「雛」の方たち以外にも、ほんとうに素敵な着物姿の女性が何人かいて、「あ〜、やっぱり素敵な女性に本気で着飾られると、あたしなんかは足元にも及ばないなぁ」と、今更当たり前のことをしみじみ感じてしまいました。それと会場に「雛」とか「雛祭り」とかいう言葉があふれていたせいで、どうも子供の時からあたしの心の中にある「雛祭りコンプレックス」が刺激されてしまったみたいで、「なりたくて なれぬ愁いの 雛の春」帰り道でこんな句を作ってしまったくらいちょっと落ち込み気味になってしまいました。

パーティでは飲み物も食べ物もほとんど何も出なかったので、お腹がぺこぺこで、家の近くの行き付けの居酒屋「I」に寄りました。ここのマスターやママには、いつも着物や着付の話だけして、実際の着物姿を見せたことがなかったので、ちょうどいい機会かなと思ったのです。マスターもママも喜んでくれて、この日は出勤予定じゃなかったこの店の看板娘であるフェイク・コギャル(30数歳で2人の子供のお母さんなのにどう見ても20歳そこそこの渋谷系コギャルに見えるように装ってる立派な「フェイク思想」の持ち主。あたしの地元における唯一の友達)のM子ちゃんにわざわざ電話をかけてくれました。やがて駆けつけたM子ちゃんは、あたしの着物姿を見て大感動、「こんなに着物姿が決まる人ってアタシ見たこと無い!」ともう誉め言葉の嵐状態。おまけに、保育園に行ってる下のお嬢さん、今度中学生の上のお嬢さんを次々に呼んで「これがママのお友達の順子さんよ。キレイでしょ。写真よりもっとキレイでしょ」(子供は呆然)。そこまで誉めてもらえれば「女装冥利」に尽きるというもの。生まれて32年?こんなに誉められたことはないくらい誉めてもらって、「雛祭りコンプレックス」もどこかに吹っ飛んでしまいました。


2000/03/02(Thu)