戻る


(2000/02)

[ 2000年2月25日(Y子お姉さまとデート) ]
今日は、あたしが敬愛するY子お姉さまと、久しぶりのデートです。

18時、渋谷の東急東横店の名店街の入り口で待ち合わせ。定刻ちょっと過ぎに、暖かそうなロングコート姿のお姉さまがさっそうと登場。ちなみにあたしは、鮮やかな水色のカーディガンに黒のタイトスカート、雪豹柄のコートという地味な装いです。

待ち合わせの間に、お姉さまは虎屋の羊羹が急に食べたくなって購入されそうなので、「お腹がすいてるのでしょう。夕ご飯を先にしましょうか」ということになり、東急プラザの9Fレストラン街へ。当初はロシア料理の「ロゴスキー」がお目当てだったのが、あちこちの見本をのぞいてる内に、お姉さまが急に「鰻もいいわねぇ」と言い出し、根っからの鰻好きのあたしに否やはなく、直ちに鰻屋さんに突入して鰻重(竹)を注文しました。お姉さまと「女」二人差し向かいで、鰻を食べて精を付けながらの話題は「子作り」のこと。と書くと「何やってるんだ!」と顰蹙(ひんしゅく)を買うかもしれませんけども、本当は「日本の不妊医療(人工受精)の問題点」を論じ合っていたのです(それでもやっぱり「女」二人が鰻食べながらする話じゃない?)。

お腹が一杯になって、5Fの紀伊国屋書店でお姉さまが本を探すのにお供した後、JR山の手線で今夜の目的地である田町へ。田町駅から徒歩数分の「女性と仕事の未来館」という労働省関係の施設で、お姉さまと順子の共通のお友達であるマンガ評論家の藤本由香里さんが企画した「コミックでたどる女性の仕事展」という企画展が開催中なのです。それを一緒に見に行きましょう、というのが今夜のデートの主旨なのです。

出来たばっかりの清潔だけどどこか空虚な建物の地下企画展示室には、壁面一杯を利用して拡大された女性コミック作品の場面が展示され、ひとつひとつに藤本さんの丁寧なそして思い入れ溢れる解説がついていました。ただ、20時と時間が遅かったせいか(この施設は勤め帰りの人が利用できるように21時30分閉館)会場には係員一人観客一人いなくてちょっと拍子抜けしてしまいました。お陰でお姉様と二人の世界でゆっくり見学できたのですけど。Y子お姉さまは、少女時代に見た漫画も多いようで、時々懐かしそうに思い出話をしながら眺めていました。あたしは、子供〜少年時代はちゃんと男の子をしてたので、作者や題名は聞いたことがあるものの、実際には読んだことのない作品が多かったので、かえって新鮮でした。

藤本さんは、数多い女性コミックの中から、バレリーナ・女優・歌手・デザイナー・モデル・教師・美容師・看護婦・医師・弁護士・スチュワーデス・スタイリスト・絵本作家・漫画家・編集者・実業家など20数種の職業を抽出して、その職業イメージをの変遷を見事に分析していて、またひとつコミック評論の新しい視界をひらかれたような気がしました。「いいお仕事をされてるなぁ。あたしも頑張らなくちゃ」と思いました。ちょっとおもしろかったのは、お姉様の職業である「小説家」と順子の「お仕事」である「ホステス」が取り上げられてなかったことです。前者についてお姉様は「一日中、机に向かって物を書いてるだけで、会う人と言えば編集者ぐらいだから、きっと絵にならなくて作品がないのよ」とおっしゃってましたけども、後者には「お水の花道」のような名作?があるにもかかわらず取り上げられてないのは、家主である労働省の意向かなぁ、なんて勘ぐってしまいます。

会場を出て、駅近くのおいしそうなケーキが並ぶ喫茶店へ(行きに目をつけておいた)。ここでお姉さまが「苺チョコパフェが食べたいわ。でも食べきれるかしら」と言い出しました。おまけに「今日は、さっきのお羊羹にしろ甘いものばかり食べたくなるの。赤ちゃんができたのかしら?」とおっしゃるのであたしは大笑い。こういうちょっとずれた諺(ことわざ)やフレーズが、あたしは大好きなのです。例えば「赤ちゃんはおかまさんに抱いてもらうと丈夫に育ちますよ」とか(正しくは「お相撲さんに・・・」)・・・。

という訳で、注文は「苺チョコパフェ1つ、コーヒー2つ、あっ、スプーンは2つお願いします」ということになりました。そして、「男は嫌いよ」という話題でおしゃべりしながら、「お姉さま、ここの下に苺アイスが埋まってます」「順子ちゃん、こっちのバニラアイスも食べて」なんて仲良くひとつのチョコパフェを2本のスプーンで食べる二人・・・。従業員や周囲のお客さんは、あたしたちをどう眺めていたでしょうか。後刻、新宿の女装スナック「ジュネ」の従業員(友人)に意見を求めたら、「ものすご〜く、あからさまなレズビアン・デートよね。(新宿)二丁目以外で、しかも普通の喫茶店で、そんなシーンが見られるなんて、日本の社会も進んだものよねぇ」と言われてしまいました。やっぱり・・・でもいいんだ。二人が楽しければ、周囲の目なんて。

楽しい時間は、たちまち過ぎて、お姉様とは22時に渋谷駅でお別れ。あたしは、今夜もネオンきらめく歌舞伎町の「女」になりにいきました。
2000/02/25(Fri)

[ 2000年2月18日(小谷さんのトークライブ) ]
今日は、夕方から渋谷のフェミニズム系居酒屋「じょあん」で開かれた小谷真理さんのトークライブ「テクスチュアル・ハラスメントNO!」に出席してきました。

小谷さんは、日本SF大賞を受賞した『女性状無意識』や『聖母エヴァンゲリオン』、最近出版された『おこげのすすめ』など、ジェンダー/セクシュアリティ論を踏まえた評論で世評の高いSF/ファンタジー評論家ですが、1997年10月に刊行された『オルタカルチャー日本版』(メディアワークス)というサブカルチャーの辞典で、小谷真理は巽孝之という男性の筆名であるというまったく虚偽の記載をされてしまい、現在、名誉毀損の裁判が進行中なのです。「テクスチュアル・ハラスメント」というのは、こうした文章上の嫌がらのことで、今晩の会は、小谷さんが被った悪質な「テクハラ」を例に、女性の書き手や作品、さらには広く女性の創造的な仕事が、今までどんなに偏見にさらされ、抹殺されてきたかを語ることを目的に開かれたものです。

18時に、渋谷の東急109地下2階の喫茶店で英語教室帰りのY子お姉さま(作品を盗用されて現在裁判中)と待ち合わせます。少し早く着いたので、待っている間、ガラス越しに行き交うコギャルを眺めてました。このビルは渋谷系コギャルのメッカですから、ガングロ娘、ヤマンバ娘などの絶好の観察ポイントになります。それにしても、いったい何を考えてるのか、「順子、色白は七難隠すのよ」と明治生まれのおばあちゃまに言われて育った?あたしには理解不能な世界です。そこに現れた色白のY子お姉さまは、なんと優雅な早春らしい若草色のお着物姿!。まるで雁黒コギャルの群れの中に舞い下りた白鷺のよう!。ちなみに、あたしの今日の出で立ちは、会の後でお店に「出勤」する予定なので、胸元が大きく開いて胸の谷間も露な黒のベルベットのミニ・ワンピース(袖はシースルー)にダークグレーの変形網タイツというセクシー系のファッション。ただ、フェミニズム系のお店にこの格好で乗り込む勇気はなかったので、黄色と黒の段だら模様のカーディガンを上に羽織って普通のおネエちゃんぽくしました。

コーヒーを飲んでおしゃべりしてたら時間が迫り、二人でいそいそと道玄坂を上り、百軒店(ひゃっけんだな)に入って、19時の定刻ちょっと過ぎに「じょあん」に到着。会場は、すでに満席に近い状況で、メインスピーカーの小谷真理さん、そのお隣に夫君の巽孝之さん、さらに真理さんの秘書で「女性の著作権を考える会」の事務局長のNさんが居並ぶ状況でした。真理さんたちにご挨拶して、Y子お姉さまと並んで着席し、程なく会が始まりました。今まで、この事件のことは、着付のお稽古の前後とかに、真理さんからいろいろと個人的にうかがってはいたものの、初めて公の席で事件の経緯を詳細にうかがうことができ、改めて相手方の悪質さとこの事件によって表面化した様々な問題の根深さを痛感しました。

スピーチが終って質疑応答になり、まずY子お姉さんが、ご自分の裁判の経緯(こちらの相手方も実に悪質!。係争中なのでここで糾弾できないのが残念)を話された後で、真理さんがあたしを指名して意見を述べる機会を与えてくださいました。そこで、私たちトランスジェンダーが置かれている社会的状況をいくつか例をあげて話した後で、女性差別の問題は、性別による社会的不利益という点で、私たちトランスジェンダーが被ってる現状と共通する部分が大きいこと、私たちは女性に比べてマンパワー的に比べ物にならないくらい小さいけども、その「戦い」は可能な限り支援したいし「戦い方」を学んでいきたいということをお話しました。私の発言に対するご意見や質問がいくつかあり、中にはとても重要な指摘(なぜ自分の心にしたがって生ようとしているのに「性同一性障害」という「障害」者の枠組みに入れられることが平気なのか?)もありましたけども、今晩はこの問題がテーマではないので、また機会を改めて、ということになりました。

ともかく、性別(ジェンダー)にとらわれない社会の実現を目指す一人として、この裁判とそれを支援する運動が、単なる名誉毀損の問題に止まらず(それも大事なことですけども)、男性優位の社会構造とそれに執着する一部の(大多数の?)男性の幻想、それらが作り出している現代社会の様々な歪みを抉り出す大きなきっかけとなることを、心から願わずにはいられませんでした。

フリートークになってから、旧知の映画監督浜野佐知さん(「第七官界彷徨・尾崎翠を探して」の監督)や脚本家の山崎邦紀さん(同作品の脚本)にご挨拶したり、初対面の方々(大学の研究者や弁護士の先生、ライターの方など)と名刺を交換したり、人の出会いという面でもとても有意義な会でした。

一足先に帰るY子お姉さんを出口まで送った後、真理さん・巽先生にご挨拶して一人で夜の渋谷の街に出ました。時刻は23時、まだ十分に電車は有る時間でしたけども、寒さがひどいので、道玄坂下でタクシーを拾って、ネオンきらめく歌舞伎町「MISTY」に向かいました。

PS.
小谷さんの訴訟並びに「テクスチュアル・ハラスメント」についてもっと知りたい方は、「女性の著作権を考える会」の下記のHPをご覧ください。
http://www.twics.com/~meta/home.html
2000/02/18(Fri)

[ 2000年2月15日(着付お稽古一段落) ]
今日のお稽古で、11月23日から始めた着物の着付のお稽古が1シリーズ(12回+外出1回)を終えて一段落となりました。

皆さんに励ましていただいたお陰も有って、なんとか自分で着物を着付けて、「二重お太鼓」と「銀座結び(角出し)」を結べるまでになりました。 一人で着られた時はうれしくて、一緒に習い始めたMさんと「わ〜!着られたぁ!」と喜びあいました。細かい所を言えばまだまだきりがないのですけども、所要時間もかなり早くなり、それなりに実用に耐える程度までになれたと思います。 当初の目標は「桜が咲く頃までに・・・」だったので「梅が咲いてる内に・・・」 にここまで漕ぎ着けたのは自分でも上出来だと思います。

どんなに忙しくても眠くても一度も休まず、「深夜特訓」で頑張ったかいがありました。これも、極めて怪しげな入門者に懇切丁寧に的確な指導をしてくださった先生と、お稽古に誘ってくださった上に毎回お稽古場を提供して下さったお友達のMさん、それに毎週、夜中まで「女」3人が集まってったゴソゴソやってるのを見て見ぬ振りをして下さってたMさんの旦那様のお陰だと、心から感謝しています。

来週からは、Mさんのご都合(渡米の準備)で、お稽古が1ヵ月ほどお休みになります。 その間にしっかり自習して、1〜2度は自分で着て外出して、3月末の「お稽古修了記念・全行程お着物京都旅行(2泊3日)」に 備えたいと思ってます。
2000/02/15(Tue)

[ 2000年2月12日(TG社会史年表、ついに脱稿!) ]
1月の末から、最後の追い込みにかかっていた「戦後日本トランスジェンダー社会史年表」が、昨夜ようやく脱稿して、今日の午後、新宿の喫茶店で共同研究者の杉浦さん(中央大学大学院)に手渡すことができました。

この「年表」は、トランスジェンダー(性の越境者)の歩みを明らかにし、かつトランスジェンダーと一般社会との相互関連の歴史を解明する目的で、戦後、つまり1945年から1999年末のトランスジェンダーに関わる様々な事象、具体的には、異性装(女装/男装)、性転換、性同一性障害などに関わる事項をできるだけ網羅的に収集して編年的に配列したものです。

私がいろいろな方の協力を得て手元に集積してきた資料に、新たに中央大学文学部社会学科の矢島正見教授の研究室が収集した資料を合わせて記述した共同研究の成果です。共同研究としては、昨年1999年2月くらいから資料の調査・収集に着手した仕事ですけども、個人的には、構想10年、資料収集と調査・執筆に8年を費やしたことになります。新しい資料が手に入るたびに、書き込みに書き込み重ねて、脱稿した時には10万字(400字詰め原稿用紙換算250枚)を越えていました。

この「年表」によって、初めて、戦後日本のトランスジェンダー現象が一望できることになり、その社会史的整理が可能になると思います。「今が楽しければ」という現役の女装者の方や、「今、苦しんでいるのに!」という性同一性障害の方には、こうした過去を振り返る作業のもつ意味は、おそらく理解していただけないだろうと、最初から覚悟してます。ただ、私は、トランスジェンダーの歩みをトランスジェンダー自身の手によって明らかにし、その社会における意味付けを正しく行った時、現在を生きるトランスジェンダーの社会的役割もまた再認識されることになると思うのです。私のこの作業が、ただ過去を回顧して記録するだけではなく、現代と未来を生きるトランスジェンダーの礎(いしずえ)となれれば幸いに思うのです。

なお、この「年表」は、3月末(若干遅れるかも)に中央大学矢島研究室から刊行予定の「トランスジェンダー社会史・研究報告書1」に全文掲載される予定です。もし、ご希望の方がいらっしゃいましたら、後日改めてご案内いたしますので、よろしくお願いいたします。
2000/02/12(Sat)