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(2000/01)

[ 2000年1月25日(命拾い) ]
今日の夜、19時30分過ぎ、着付の先生、お友達のMさん(純女)とあたしが、お稽古の前に夕ご飯を食べようとしていた港区三田のレストランにワゴン車が飛び込みむという事故がありました。

車が飛び込んだ位置は、あたしの背後1.5mほどのところで、ボワーン!という爆発のような音で、一瞬、厨房で何かが爆発したのかと思い振り向いた時には、お店のガラス壁を突き破ったワゴン車の鼻づらが目に飛び込んできました。数秒間、呆然とした後、身体に痛みが無いかをチェックして、あわてて周囲を見回すと、お店の入り口周辺は大破状態で、足元にガラス片が飛び散ってる状況でした。

幸い、あたしにもお友達にもまったく怪我はなかったのですけども、飛び込んだ車の同乗者の男性(先に降りていた)が車と店の間に挟まれて大怪我、それと運悪く入り口の近くに立っていた中国人留学生のウェートレスが、車に押されて動いたカウンターに弾き飛ばされる形で怪我をしました。ともかく、あたしたちは、窓際に座っていたので、もし車が飛び込む位置がもう1台分ずれていたら、車に直撃されていたか、ガラスの破片を頭から浴びていたか、いずれにしてもあの世に行ってた可能性が強い状況でした。まさに「死神の翼」がすぐ近くを通過したという感じでした。逆に言えば、神様が「まだ、お前には、この世ですることがあるぞ」と判断してくれたのかもしれません。

駆けつけた警察による事故の実況検分で、目撃証人としての協力を依頼され、名前・住所・電話番号を記入するよう求められました。「こういう場合は本名じゃなくちゃまずいですよねぇ」と言いながら、男名前を記入したら、担当官が怪訝な顔をしました。やっぱり三田あたりの普通のレストランに、あたしのようなのが居るとは思わないのでしょうね。

事故から1時間ほどして解放された時、ものすごくお腹が空いていることに気付きました。近所の、お蕎麦屋さんで、3人で「生きててよかったね」と言いながら、温かいうどんを食べました。その後、Mさんのお部屋に戻る頃になっても、まだ心理的ショックが残っていたので、これはもう「お稽古するしかない!」ということで、いつもより1時間以上遅れでお稽古に入りました。頭の中3分の1くらいが白くなっていたのですけど、それでもお稽古も10回目となると身体が覚えているもので、なんとか「角出し」が一人で結べるようになりました(まだ格好が悪いけど)。

ほんとうに「命有っての物種」(命がすべての根本)という言葉をしみじみ感じた一日でした。
2000/01/25(Tue)

[ 2000年1月15日(CFL新年会) ]
今夜はCFLの新年会でした。15時30分にいつもの渋谷の美容室で着付をお願いします。今日の着物は、新調のスワトー刺繍の黄色の訪問着、帯は濃い紺に金の流水紋、帯揚と帯締は鮮やかな緑青色です。16時30分に着付けが終り、山の手線で池袋へ。東武デパートの中の喫茶店で休憩した後、東武美術館の「東大寺の至宝展」を見学しました。日ごろ余り馴染みの無い平安時代の東大寺の様相をうかがう出品物が多く、地味ながらなかなか学問的におもしろし展覧会でした。

山の手線で新宿に戻り、19時過ぎに、あいにくスケジュールがバッテングしてしまった新宿3丁目の居酒屋さんを会場に開かれているUSA(=うさぎファンクラブ、CFLの友好団体)の新年会に顔をだして、RORIO会長や麻巳会長補佐に挨拶だけして、19時30分前にCFLの新年会会場である新宿3丁目末広通りの中華料理店「満月廬」に到着しました。

席が用意されている2階の別室で待っていると、仲間たちが思い思いのファッションで集まり始めます。この夜、集まってくださった方は下記にお名前を挙げた11名の方々。ちなみに山本仁美さんは奥様っぽいナチュラルな着物姿、芦田祥子さんはコートのしたはアンナミラーズの制服姿、佐藤うさぎさんは中国人民解放軍の女性将校姿、そして「永遠の14歳」如月ますみさんは女子中学の制服姿でした。また、小谷理美さんは、出張先の花巻(岩手県)から急遽駆けつけてくださり、仁美さんのお友達の弥生さんは飛び入りで参加してくださり、主催者としてこんなうれしいことはありませんでした。

【ご参加の皆さん】
1 老 爺 さん
2 香山 リカ さん
3 芦田 祥子 さん
4 裕 乃 妃 さん
5 佐藤 うさぎさん
6 山本 仁美 さん
7 弥生さん(仁美さんのお友達)
8 南 愛美 さん
9 小谷 理美 さん
10 如月 ますみさん
11 三橋 順子

21時30分近くまでなごやかな楽しい時間を過ごして、記念写真を撮影して散会しました。その後は、4人ほどのメンバーで、お仕事の都合で欠席になってしまった青山エルのお店、歌舞伎町のニューハーフ・パブ「MISTY」で二次会となりました。夜中過ぎには、いろいろな事情で新年会ではお目かかれなかった渡辺美樹さん(すてきな着物姿)・MASHさん・サスケさん・麻巳さんたちも顔を見せてくださいました。

久しぶりにたくさんの皆さんとお話ができて、気持ちが豊かになるような夜でした。

改めて今年もCFLをよろしくお願いいたします。
2000/01/15(Sat)

[ 2000年1月14日(藤野千夜さんの芥川賞) ]
夕ご飯の支度をしながら、夕方のテレビニュースを聞いていたら、トランスジェンダー作家の藤野千夜さんが第122回芥川賞を受賞したというニュースが流れました。

あたしは今から10年近く前に、ある小説家志望のFTMTSの友人に「TSの存在を世間に認知させたいのだったら、あなたが芥川賞か直木賞を取るのが一番の早道ですよ」と言ったことがあります。残念ながらその友人の作品は未だに世の評価を得ていませんけど、今回、藤野千夜さんがその夢を果たしてくれました。以前から期待していた人だけに、この快挙を心からお祝いしたいと思います。

藤野さんは、1962年北九州市に生まれ、小学生の頃から男であることに違和感を抱き、千葉大学教育学部卒業後、出版社に就職し漫画雑誌の編集に携わっていましたが、ある日、キュロットスカートスカート姿で出社し、さらにスカートを履いて勤務したことでトラブルになり、9年間勤めた会社から懲戒解雇されたという経歴を持っています。1995年秋、失業中に執筆した、付き合っている同級生がゲイと分かった予備校生(女性)の戸惑いを描いた「午後の時間割」が第14回海燕新人文学賞を受賞して作家デビューとなり、この時にすでに写真週刊誌(『FLASH』1995年11月7・14日号)上で女性への「性転換準備中」であることが紹介されています。1996年3月には、ホモセクシュアルを自覚したトシヒコ、女性への性転換を進めるヤマダ、神経症で電車に乗れなくなったミカコの3人の16歳の少年少女の交友を描いた中編小説「少年と少女のポルカ」と「午後の時間割」を収録した単行本『少年と少女のポルカ』がベネッセから刊行されました。その後も、1998年12月に「おしゃべり怪談」で講談社の野間文学新人賞を受賞、続いて1999年上半期の芥川賞候補(作品名失念)になるという純文学作家としては、きわめて順調な歩みを続け、今回、1999年下半期の芥川賞を、ゲイのカップルを中心に、男性から女性に性転換した美容師や売れない女性小説家との交流を描いた「夏の約束」で受賞した訳です。こうした経歴からみても、また暗くなりがちな複雑な主題を軽くさわやかに描く技量からしても、今回の受賞はフロックではなく十分に実力を伴ったものと思います。

1995年秋に海燕新人賞を受賞した時の彼女は、お世辞にも女らしいとは言えない容姿でした。ファッションセンス的にも大いに疑問符を感じたことを覚えてます。今回の受賞時の彼女をテレビや雑誌で見たところ、5年前とは比べ物にならないくらいおしゃれで女性らしい容姿になっていました。数年前から続けているという女性ホルモン投与のお陰もあるのでしょうけど、彼女が作品だけでなく女性としても腕を上げたことがよくわかり、拍手をおくりたくなりました。なお、松尾寿子さん(『トランスジェンダリズム 性別の彼岸』の著者)による藤野さんのインタビュー「キュロットとスカートはどう違う?」が『ユリイカ』1998年2月号(特集「ポリセクシャル−性とは何か−」)に掲載されています。ちなみに、この号には、石井達朗+三橋順子+石川武志の鼎談「ヒジュラに学べ!−トランス社会の倫理と論理−」も掲載されています。

芥川賞は数多い文学賞の中でも最も知名度がある賞ですから、彼女の受賞は、トランスジェンダー(性の越境者)でもちゃんと社会的に意義のある仕事ができることを世の中の人々に印象づける上で、とても大きな意味があると思います。あたしは、こうした形で一般社会の中で良い仕事を積み重ねていくことが、性の越境者に対する社会的な差別を跳ね返す一番手っ取り早い方法だと思ってます。もうすぐやってくる21世紀には、実力さえあれば、トランスジェンダーでもニューハーフでも社会的に差別なく認められる世の中になることを期待したいです。
2000/01/14(Fri)

[ 2000年1月1日(迎春) ]
明けましておめでとうございます。

何事も無く2000年の新春を迎えることができました。

お正月と言えば年賀状。今年もたくさんの方に頂戴いたしました。年々、Eメールで年頭の挨拶を送ってくださる方が増え、中にはすてきなお写真を添付してくださる方もいて楽しみなのですけども、順子はやっぱり古いタイプの人間、お正月のご挨拶だけは、昔ながらの葉書の年賀状が好きです。日ごろご無沙汰している方に、せめて年に2度(年賀と暑中見舞い)はお便りを差し上げるのが、筆無精の順子のせめてもの気持ちなのです。

今年は、さっき数えてみたら順子名義で135通出していました。お店がお客様に差し上げる数はともかく、個人のおネエちゃんとしてはかなりの数だと思います。しかも、女装世界関係と一般社会関係の比率が、今年はとうとう逆転して一般社会関係のほうが多くなってしまいました。あたしを取り巻く世界がそれだけ広がったのだと思います。

そうした年賀状をやり取りする大勢の友人・知人に支えていただきながら、一人の異性装者として一般社会の中でどれだけの役割を果たせるか、今年も頑張ってみようと思っています。よろしくお願いいたします。


2000/01/01(Sat)