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(1999/12)

[ 1999年12月29日(この1年を振り返って) ]
今年もいよいよ残り少なくなりました。

この1年、ほんとうにいろいろなことがあり、楽しかったことがあった反面、つらい事も多かった多難な1年間でした。それだけにいつもより長く長く感じられた1年間だったように思います。そのつらい出来事も大勢の友人や仲間の励ましとご支援のお陰で、なんとか乗り切れたように思います。つらい思い出を振り返ってみて、それは次の飛躍のための試練だったと思いたいです。いえ、そうなるようにしなければいけないのだと思います。

今、私は、自分が何をしたいのか、何をなすべきなのかが、ようやくわかってきたような気がしています。ひとりの異性装者として、広い社会の中で、自分の考えを公にすることの意味がわかってきました。それが今の自分にとってのなすべきことだと思います。まだ、具体的には言えませんけど、私の活動をご支援いただいてる方のお陰で、来年は、新しい舞台がいくつか与えていただけることになりそうです。そのチャンスを生かせるよう、老体に鞭打って頑張りたいと思います。

そんな多難な1年で、とりわけ1999年の後半は心身の調子を崩し、CFLのイベントも思うように企画できませんでした。CFLと同様なイベントを企画するグループもだんだん増えて、CFLが女装世界に果たす役割も相対的に低下してきたように思います。とは言え、来年も「自分たちの楽しみは自分たちで作る」「皆なで自由に楽しく遊ぶ」「社会性のあるアクティブな女装ライフ」というCFLの原点に立ち戻って、活動を続けたいと思っています。皆さんの変らぬご参加とご支援をお願い申し上げます。

最後になりましたけど、CFL発祥の地であるBBSのEONが1999年末をもって閉局となります。EONが無かったなら、今日の三橋順子もCFLも無かったと思います。そうした意味で主宰の神名龍子さんには、言葉では表せないくらいの恩義を感じています。EONの歴史的評価については、11月に刊行された『クィア・ジャパン』創刊号(勁草書房)の特集「90年代のクィア」の中で私なりの評価を記しておきました。私にできるささやかな恩返しのつもりです。
神名さんと実務を管理されたサブオペの吉岡純子さん・サブオペ代行の森田あきひさんにも、心からの感謝を表したいと思います。「ありがとうございました。そして長いことお疲れ様でした。今後のEON/Wのご発展を祈念しております。」

それでは、皆さん、よいお歳を。

新しい年、2000年が皆さんにとってすばらしい1年になることを祈っています。
99/12/29(Wed)

[ 1999年12月25日(今年、行ったお店) ]
昨夜も新宿歌舞伎町のニューハーフ・パブ「MISTY」で「お手伝いホステス」をしてきまし
た。これで12月は4回の土曜日皆勤です。
予定では、これが今年最後の「出勤」になるはずです。

そこで恒例?の「1999年 順子が行った(女装系)お店ランキング」を作ってみました。

1 ジュネ (歌舞伎町) 38回(お手伝い)
2 MISTY(歌舞伎町) 34回(お手伝い)
3 びびあん (新宿3丁目)20回
4 マグネット(大阪堂山) 6回
5 たかみ (ゴールデン街) 4回
5 贋作淑女 (大阪堂山) 4回(お手伝い)
7 アクトレス(新宿2丁目) 3回
8 リバティ(大阪堂山)・MIXルーム(大阪堂山)・ばら(大阪南森町)
・ルージュ(大阪十三)・ミステリースポット(大阪天満)・青い鳥(新宿2丁目)
各1回
合計 115回

こんな感じになりました。やっぱり「お手伝い」している「ジュネ」と「MISTY」が圧倒的な
回数になっています。それでも「ジュネ」は1998年は61回でしたから、かなり減ってます。その
分が「MISTY」に廻った勘定です。そして「お手伝い」しない時には「びびあん」でのんびり
している、という順子の行動パターンがきれいに現れています。

大阪の「マグネット」が4位にきてますけど、これは大阪に泊ってる夜はほとんど顔を出していた
ということになります。

新宿の「たかみ」や「アクトレス」はもっと顔を出したいのですけども、「お手伝い」している
「ジュネ」や「MISTY」とどうしても時間的にバッティングしてしまい、なかなか遊びに行く
時間が取れないのが残念です。

このランキングは、女装系のお店に限りましたけど、実は隠れ4位に、順子の地元の居酒屋「I」
が15回が入ってます。「お手伝いホステスさん」をする時はともかく、ひとりでのんびり飲みた
い時は、女装とは縁のない地元の居酒屋で飲むのが一番気が休まるというのが、偽らざるこのごろ
の心境です。

99/12/28(Tue)

[ 1999年12月21日(5回目のお稽古) ]
夕方いつものように支度をして、いつものようにバスに乗り、19時にお稽古場であるMさんのお宅に着き、いつものようにたのしくおしゃべりしながらお食事して、いつものように21時からお稽古に入りました。

「さあ、今日は、本気で二重お太鼓を覚えるぞ!」という覚悟なので気合十分です。気合が入りすぎて、気持ちが早ります。ちょっともたつくところもありますけど、伊達締めまではだいぶスムーズにできるようになりました。帯を巻いて折り上げて・・・。ん?、なにか違うぞと思ったら、やっぱり違ってました。肝心な所なのですけども今一つ自分のものになってません。先生に指摘して頂きながらやり直して、やっと二重お太鼓のお稽古に入ります。

仮紐でお太鼓の上縁の位置を決めて、枕を置いて・・・。あれ、どっち向きだっけ?。先生に教えて頂いて、えいやっ!と背中に担ぎます。ここはうまくいきました。帯揚げもうまく入り、さて、次は・・・何するんだっけ?。やっぱり忘れてます。この後は、先生に教えて頂きながらなんとか二重お太鼓を完成させました。やれやれと思ったところで、「さあ、解いてもう一度やってみましょう」という先生のお言葉。

今度は、ほとんど一人でやってみました。ともかく今教わったことを忘れない内に、と思い、細かいことは抜きにして、一気呵成にやってみました。そして、お稽古5回目にして二重お太鼓をほぼ9割方「一人でできたもん!」ということになりました。ただし、垂れ先の長さの計り方がまずくて斜めになっていたり、そもそもお太鼓の位置が低すぎたり(帯を巻いた位置が下がってしまっていた)、出来栄えについては、まだまだというか、お話になりません。ともかく、今回は、文字どおり曲がりなりにも「一人でできた」という感動を味わえた事で善しとしたいと思います。

帯を解く途中で、先生が銀座結びのアレンジを考えて下さいました。銀座結びは、その名の通り銀座のホステスさんたちが好む耐久力のある(潰れない)帯結びで、あたしが好きな結び方です。二重お太鼓がもう少しマシにできるようになったら、次の課題は、この銀座結びということになりました。

お稽古の後、先生に「今日は気合の入り方が違ってたものね」と言われた通りで、集中力という点では、初回のお稽古並みに頑張った感じです。その分、さすがに疲れてしまい、家に戻ってから、イメージトレーニングで復習する余裕も無く寝込んでしまいました。という訳で、来週のお稽古の時には、また大幅に忘れていることになると思います。
99/12/26(Sun)

[ 1999年12月18日(はとバスツアーに参加) ]
昨夜は、仙台の小谷理美さんと一緒に、「デュエット」のリリィちゃん主催のイベント「夜の修学旅行」で、はとバスに乗ってきました。コース名は「和牛とニューハーフ食べ放題!」。

18時20分に東京駅から出発して、東京湾岸の夜景を見ながら大森に出て、しゃぶしゃぶ屋さんで「和牛食べ放題」のお夕食をして、その後、新宿歌舞伎町のニューハーフ・ショーパブ「アルカザール」で1時間ほどのショーを見るというコースです。しゃぶしゃぶのお肉もまあまあだったし、ショーもなかなかだったし、9400円というお値段を考えれば、とても充実した内容で楽しかったです。さすがは、はとバスの人気コースといった感じでした。

今回のツアー、「プロのニューハーフのお店に女装者が行くといじめられるのではないか」と参加を尻込みされた方もいたようですけども。あちらも客商売ですから、ちゃんとご挨拶しておけば、なんの問題はありません。今回もお店に入ってすぐに、あたしがお店のママ(わかめさん)と花形おかまさん(パンピーさん)に「よろしくお願いします」と深深と頭を下げて、挨拶して(仁義を切って)おきました。むしろ、あちらが気をつかってくださったようです。ただ、パンピーさんに「先輩・・・」と呼びかけられたのは、さすがに面映ゆかったです。

同乗の一般人との交流も楽しく、主催者のリリィちゃんが、バスに同乗の一般オバサンたちに、「とても出来のいいニューハーフ」に間違われて喜んでいたのが、かわいかったです。あたしのような見慣れた者の目から見たら、リリィちゃんの体格(骨組み)でニューハーフということは。3歳でタマ抜いたのじゃあない限り有り得ないのですけど、一般人の目はそこまで肥えてないから、「ニューハーフの仲間」という周囲の状況に影響されてしまうのでしょうね。

バスガイドの格好をした佐藤うさぎちゃん、本物のガイドさんや同乗の一般人もちょっと戸惑いながらけっこう受けてました。バスガイドの格好ではとバスに乗るのが夢だったそうで彼女自身も満足してたようですけど、いつものことながら、彼女のあっぱれな「フェイク精神」には、「フェイク道の元祖」である「クラブ フェイクレディ」として拍手を送りたいと思います。

遠来の理美さんも、東京の夜をたっぷり朝まで楽しんでくださったようで、よかったと思います。今回のイベントはCFL主催ではないので、遠慮してあまりあちこち声をかけなかったのですけど、お手軽な割にはけっこう楽しめるのでCFLでもいずれ企画したいと思います。

解散後、ツアーでご一緒した遠山の緊さん・佐藤潮音さん・小谷理美さんが、あたしがお手伝いしている新宿歌舞伎町のニューハーフ・パブ「MISTY」に同伴出勤してくださり、それに別途ご来店の「CFLの同盟群USA(うさ)」のMASHさんとサスケさんが加わり、とてもにぎやかなの夜になりました。ご来店ありがとうございました。

帰宅して帯を解いたのは朝の7時、15時間、帯を締めっぱなしで、さすがに腰が痛い・・・。

ちなみに昨夜の着物は、緋の長襦袢に黒地に扇散らしの小紋、白地に雪輪模様の帯を変形角出に結び、帯締はレトロな朱の丸紐、帯揚は鼠色に銀箔散らし。まあ、どう見ても素人の奥様には見えないようなコーディネートでした(プロの方にご挨拶する必要上、わざとそうしたのだけどね)。
99/12/20(Mon)

[ 1999年12月14日(4度目のお稽古) ]
今日は、4回目の着付のお稽古の日です。

夕方、いつものようにお支度してバスに乗り、お稽古場であるMさんのお宅に向かいます。いつもより1本早いバスに乗れたので、19時前に着いてしまいました、すぐ後から到着された先生とMさん、それにMさんの旦那様のTさんの4人で、近くの洋食屋さんへ出かけていつものように夕ご飯となります。ご飯を食べながら、Tさんが某超お嬢さま学園の付属幼稚園のご出身であるとうかがい、とてもうらやましくなりました。もし、あたしがそうだったら「あたし、○○女子学院出身なんですよ(幼稚園だけだけど)」とあちこちで言い触らすでしょう(ちなみに、あたしが出た男子高とペアになってる女子高出身の作家のNさんに「順子さんはあたしの女子高の先輩なの」と言い触らすようにお願いしてあるのだけど、まだ効果はありません)。

21時からお稽古に入ります。今日は、いよいよ二重お太鼓に挑戦です。まずは伊達締めまでのおさらいなのですけど、かなり気持ちが早っていて、裾の高さがどうも合いません。なんとかまとめて、いよいよ帯のお稽古になります。前回、帯を巻いて折り上げて紐で固定してしまうところまではお稽古したので、まずそこまでをおさらいします。帯の巻き具合はだいたい慣れてきましたけども、肝心の折り上げの所が今一つ思い出せません。先生に教えていただいてなんとかできました。

さて、ここからが新しいステップです。まずお太鼓の大きさの決めですけども、あたしの場合、帯の長さにほとんど余裕がない(つまり胴が太い)ので、目に見えるところでお太鼓の形を作ってから後ろに付けるという方法ができません。そこで最初から仮紐でお太鼓の帯山の位置を決めて固定してしまいます。それから帯枕を帯に乗せて帯山の位置に挟み入れる訳ですけども、これについては、果たして右手がちゃんとその位置まで上がるだろうか、という不安がありました。先生に教えていただきながら、心の中で(思わず言葉に出たかもしれない)「よいしょ!」と掛け声をかけて思い切って帯枕を背中に背負いました。なんとかまともな位置に収まったみたいです。後は帯揚で枕を包んで仮結びして、たれ先の長さを指で計って手先をまとめて帯締をかけて(帯締の結び方、ちょっと忘れてました)、なんとかかんとか二重お太鼓が出来上がりました。帯枕から後は、先生に手取り足取り(足は取らないけど)なので「ひとりでできた」とは言えないのですけど、ともかく自分で最後までやってみて二重お太鼓がどういう構造でできあがっているのかが、やっとわかりました(まだ朧げなところはあるけど)。それとなんとか用が足りるくらいには手が上がることがわかったのが今日の一番の収穫でした。

最後にお辞儀のお稽古をして(これがまた身体が堅いあたしにとってはなかなかきれいにできないのです)、実技のお稽古が終ったのが23時。お茶をしながら30分ほど「着物クイズ」で理論のお勉強をして、今日のお稽古は終了。その後は新刊の『きれいな着物』をみながら3人でおしゃべりになり、だんだん現実味を増してきた「外出お稽古」のプランを話し合っている内に、いつしか時計の針は1時を指そうとしてました。

帰宅して、服を脱いだ時、右肩が痛いのに気が付きました。お稽古中は気合が入っていたので気が付かなかったのでしょうけど、やっぱりかなりぎりぎりの動きをしていたのだと思います。その後、お風呂の中でマッサージをしましたけども、これだけはもう少しなんとかしないと、これからがきつそうです。
99/12/19(Sun)

[ 1999年12月11日(すごい偶然!) ]
新宿歌舞伎町のニューハーフ・パブ「MISTY」の「お手伝いホステス」を閉店までつとめた後、友達のエルさん(「MISTY」のNo1ホステス)と軽く食事して、「それじゃあ、お疲れ様でした」と別れて、新田裏の交差点(風林会館の前の道が明治通りに出たところ)で抜弁天の方から走ってきたタクシーを拾いました。

乗って「え〜と、明治通りをずっと行って渋谷の並木橋で右折して駒沢通りに入ってもらって・・・」と道順を説明しはじめたら、「たしか目黒区役所が目標でしたよね」と運転手さんに先回りに言われて、もうびっくり!。「この運転手さん、人の心が読めるの?」と疑いかけたところ、「お客さん、以前にも乗ってもらいましたよね」と言葉が続きました。「えっ!・・・いつでしたっけ?」とあたしが応じると、「そんな前じゃなくたしか先週ぐらいに、今と同じ場所でお乗せしましたよ」との話。

状況を思い出してみると、なんと、先週の土曜日の朝、「MISTY」のお手伝いの後、同じパターンで新田裏から乗ったタクシーと同じ運転手さんでした。東京に何台(たぶん何万台?)タクシーがあるのか知らないけど、すごい偶然です。明け方、歌舞伎町や新宿2丁目を出たところでいつも客待ちしているタクシーなら(2丁目の場合などは明らかに「ニューハーフ好き」の運転手が客待ちしてたりする)、こういうこともなくはないでしょうけど、あたしの場合は2回とも流れてきたタクシーを止めたのですから、1分、いえ30秒でもタイミングがずれたら乗ってないはずです。しかも、聞いてみると、この運転手さんは、新宿近辺の営業所の所属ではなく北区滝野川の営業所だそうですからなおさら驚くべき確率です。

偶然のご縁にお互いすっかり和んでしまい、運転手さんが「食べますか?」とミカンをくれました。あたしも、機会があれば呼んであげようと「名刺いただけます?」と聞いたのですけど、まだタクシーの運転手になって2ヵ月ほどで、3ヵ月の試用期間中は「残念なことにまだ名刺をつくってもらえないんです」との話なので、会社名と名前だけをメモしておきました。

それにしても、たった2ヵ月の勤務で同じニューハーフのおネエちゃんを乗せてしまったこの運転手さん、ついているのか、ついていないのか? ともかく安全運転と商売繁盛を祈ってます。
99/12/14(Tue)

[ 1999年12月7日(3度目のお稽古) ]
今日は、3回目の着付のお稽古の日です。

今日は、先生のご都合で各自で夕ご飯を食べた後で21時に集合ということなので、あたしは、19時に家を出て歩いて5分ほどの駅前の商店街にある行き付けの居酒屋『I』に寄ることにしました。お稽古前なのでお酒は一切飲まずウーロン茶を注文して、串焼(ナンコツとタン)それにもつ煮込みで簡単に腹ごしらえをします。この『I』は元々あたしが洋服を買っていたブティックが居酒屋に転身したお店で(その経緯は、8月11日の日記に書きました)、ご亭主とは馴染みな上に、看板娘のMちゃんとどこか波長が合って仲良くなってしまい、10日に一度くらいのペースで寄ってはカウンターで飲み食いしています。この日もM子ちゃんに「付け睫毛の付け方」をアドバイスしながら、1時間ほどくつろいだ時間をすごしました。

8時に「I」を出て、バス停まで5分ちょっと歩き、20時21分のバスに乗れて、お稽古場のMさんのお宅に20時50分に着きました。今日のお稽古は、先生のご都合で、1時間半の短縮バージョンなので、急いで身支度をしてお稽古に入ります。 当初の予定では、名古屋帯の結び方をお稽古するはずだったのですけど、私が名古屋帯をほとんど持っていない(お稽古にふさわしい名古屋帯がない)ということで、急遽、袋帯の結び方からお稽古することになりました。

今日のお稽古は、先生のご都合で、1時間半の短縮バージョンなので、急いで身支度をしてお稽古に入ります。まず伊達締めまでをおさらいします。かなり早くできるようになりましたけど、まだ、お端折りの整理の仕方の手順でまごついてしまいます。それに今日は髪を和風まとめていったので、衿の抜きがいつもより大きくしないとバランスがとれず、そのところでちょっと苦労しました。 当初の予定では、今日は名古屋帯の結び方をお稽古するはずだったのですけど、あたしが名古屋帯をほとんど持ってなく、したがって、お稽古にふさわしい名古屋帯がないということで、急遽、袋帯の結び方からお稽古することになりました。

いよいよ帯結びのお稽古です。まず、帯板の位置を教わります。「帯板は簡単に付けられるけども、それで帯の高さが決まるから、おろそかにできないのよ」とのお話に「なるほどぉ」と思いました。次に先生に教えられながら、帯を巻いていきます。今まで着付けられていた時は真っ直ぐに立って巻き付けられていればよかったのですけど、自分で巻く時は身体の方を回せばいいということが初めて解りました。自分の感覚で帯を巻いていったら、先生に「ずいぶんきつめに巻くのね」と言われました。身体が覚えている感覚を再現したはずなのですけど、どうも私は今までかなりきつめに帯を巻かれていたみたいです。

ところで、今まで私は、帯は結ばなければいけない!と思っていました。実際に着付けてもらう時、帯を力いっぱいギュと結んでもらうあの感覚は身体がしっかり覚えてます。 ところが、先生は「帯は結ばない方がいいのね。帯は痛まないし、無理な姿勢で無駄な力を使わなくて体にもいいでしょう」とおっしゃいます。最初は「えっ・・・?」という感じで意味がわかりませんでした。先生の方法は、背中心のところで帯の手とたれを一緒に上に折り上げて、紐で固定してしまう方法です。本当にこれで帯が固定できるのか不思議だったのですけど、先生に教えられながらやってみると、あら不思議、結んでないのにちゃんと止まります。先生が帯枕を据えてくださると、ちゃんとお太鼓になる前の状態になりました。「帯はむすばなくていい!」あたしにとってコペルニクス的な大転換でした。

もう一度、帯を巻くところから折り上げて紐で固定するところまでをおさらいして、今日のお稽古は終りになりました。自分一人ではまだ折り上げの仕方に不安が残りますけど、どうやって帯を締めるのかという点で、かなりイメージが掴めました。次回には、先生に手伝っていただきながらなら、二重お太鼓が結べるかなぁ、という気がしてきました。 お稽古が終った後、先生が「お正月には、自分で着てお外歩きのお稽古ね」と言ってくださいました。私の当初のもくろみは「お花見の頃・・・」だったので、思っていたより順調みたいです。このままのペースで頑張れば「梅見」に行けるかもしれません。
99/12/08(Wed)

[ 1999年12月4日(お手伝いホステスの夜) ]
この日記の数少ない読者(男性)に「新宿の話がちっとも出てこないね」と言われました。そう言えばそうですね。あたしにとって新宿のお店での「お手伝いホステス」は、もう日常になってしまってるので、敢えて書く気にならなかったのだと思います。でも、たとえ1ヵ月に数日分しか書かないという「おなまけ日記」とはいえ、「日記」と名乗っている以上、日常のことも書かないといけないのかもしれません。

お手伝いホステスが日常になっていると言っても、それは意識の上のことで、実際には1週間に1度「出勤」できればいい方で、最近はいろいろ忙しくて月に3回も顔を出すのがやっとという状況です。

12月4日(土)は、そうした数少ない「出勤日」でした。この日は、眼鏡の修理(レンズにひびが入ってしまった)を頼んでおいた「メガネのイワキ・新宿紀伊国屋店」に閉店の20時までに受け取りにいかなければなりません。19時に家を出て、駅の途中の行き付けの居酒屋「I」に寄って一杯やってきたいのを我慢して新宿に直行します。今夜の出で立ちは、金と黒の虎縞模様のプルオーバーに、黒のマイクロミニ、ソニア・リキエルの不規則網目のストッキング、黒のショートブーツ、黒のファーついたカシミヤのケープという「ご出勤」バージョン。19時40分に紀伊国屋ビルに到着して3Fの眼鏡屋さんへ。さすがは新宿で長年営業しているだけあって、ベテランの男性社員は、男名前の伝票で修理依頼されている眼鏡を派手派手のおネエちゃんが受け取りに来ても顔色ひとつ変えずに丁寧に応対してくれました。何冊か買いたい本もあったのだけど、荷物になるので後日にして、紀伊国屋を出たのが20時過ぎ。その時、改めて気がついたのですけど、新宿通りの街頭ディスプレーはすっかりクリスマス・バージョン。「もうすぐ今年も終わりだなぁ、早いなぁ」と思いながら、アルタの裏通りを通って「オカダヤ」へ向かいます。「オカダヤ」で柄ストッキングを3足ほど補充して(ストッキングは、ホステスさんにとっては消耗品です)、その並びの行きつけの回転寿司屋さんに入ります。あたしは「出勤」の夜の夕食は、だいたい回転寿司です。理由は、その日の状況で食べる量が調整できること、比較的低カロリーであること、時間がかからないこと、お値段が安いこと、「女」一人で入っても気楽なこと、ご飯は(麺類などに比べて)腹持ちがいいこと、基本的にお寿司が好きなことなどです。新宿にはかなりの数の回転寿司屋さんがありますけど、あちこち食べ比べた上で、鮮度と値段とで判断して東口と南口に各1店「ここ」というお店を決めています。

いつもよりゆっくりしていたのに(と言っても、回転寿司屋で時間をつぶすには限度があります)寿司屋を出たのが20時40分。ちょっと早すぎるなぁ、と思いながら「お店」へ出ることにしました。歌舞伎町の繁華街の中を斜めに通過して区役所通り風林会館斜め前の入り口の電飾が目印のコリンズビルへ、この歌舞伎町の一等地にあるビルの最上階、8Fでエレベーターを降りて右手のドアが、あたしがお手伝いしているニューハーフ・パブ「MISTY」です。(http://www.geocities.co.jp/Milkyway/2635/)
今年2月にオープンしたこのお店は、オーナーがあたしの主宰するCFLの仲間であること、ママの池田麻里さんがその昔、アマチュア女装雑誌の『くいーん』のフォトコンテストで競った知人であることなどもあって、開店当初から広報面で協力をしてきたお店です。幸いなことに、この大不況下にもかかわらず、それなりの繁盛ぶりで、週末などには、スタッフの手が足りなくなることもあり、そうした時には、あたしでも、まあ「猫の手」よりは役に立つ、ということでお手伝いスタッフになるという感じです。

21時前に「おはようございま〜す」とお店に到着。まだお客様の姿はなく、チーママのまいちゃんと、No2ホステスのかれんちゃんがいるだけでした。しばらくしてNo1ホステスのエルさんが登場して、「あれ? 順ちゃん、今夜は早いのね」。眼鏡屋に寄らなければいけなかった事情を話してる内に、最初のお客様がご来店。全員さっと営業モードに切り替わります。22時に麻里ママが出勤して、お客様も徐々に増えて、お店が活気に満ちてきます。このお店は、いかにも新宿の高級クラブという内装とママをはじめとして美形揃いのスタッフにもかかわらず、くつろげる雰囲気と自然体の会話が「売り」。一昔前のゲイバーによくあったハイテンションの「話芸(話ゲイ)」で無理矢理盛り上げるというお店ではありませんから、テンションの低い「話芸」のないあたしでも、「お手伝い」が勤まるのです。

あたしが、どんな会話をしてるかというと、まずカウンター席の右手のお客様が、あたしが「日本顔学会」(http://www.hc.t.u-tokyo.ac.jp/jface/index.html)の会員であることを知っていて(雑誌のエッセーで書いたことがあるので)人間と動物の個体認識の相違について話し掛けてきました。動物は個体認識を視覚的にはせず主に嗅覚で行う、顔面を対象にした視覚認識を行うのは若干の類人猿を除けば人類だけであるので、故に顔の研究は人類学において重要なテーマであり、よって「顔学会」の使命は重いというお話で、あたしも要所要所にコメントを挟みながら、だいたい同意しながらうかがってました。どう考えたって歌舞伎町のニューハーフ・パブのカウンター越しにするような話じゃないのですけども、こういう話にちゃんと対応できるところが「お手伝いホステス順子」の取り柄?なのです。洗い物を片づけてから、今度はカウンター席の左側のお客様のお相手をしに移動します。いきなりお客様に「見ない娘だね、新人?」と言われました。「新人」なんて何年ぶりに聞く言葉でしょう。うれしくて「はじめまして、新人の順子で〜す」とグラスを合わせます。せっかく新人気分でいたら、エルさんが「順ちゃんは2月の開店の時からいるよ。非常勤だから○○さん(お客様の名前)がたまたま会わなかっただけよ」と水を差し、お客様が「だって俺、この店、もう5回目だよ」と言うと、「5回目で順ちゃんに会えたら運がいい方わよ」と応じたので、「そんなに珍しい人なんだ」と言われてしまいました。なんだか天然記念物みたい。

お客様の中には、『ニューハーフ倶楽部』の読者の方もかなりいらして時々「エッセー、いつも読んでるよ」と言ってくださったり、うれしいです。それから、けっこう以前のテレビや一般週刊誌に出たことを覚えている方もいて油断なりません。あたしは、表の仕事柄、1時間や2時間立ちっぱなしでも苦にしないし、洗い物もすばやいし、カウンターに入ってお手伝いしている方が気楽でいいのですけども、お店のスタッフ配置の関係で、ボックス席に付くこともあります。ボックス席の丸椅子でタイトミニの膝を揃えて水割り作ってたりすると、なんだか本物の高級クラブのホステスさんになれたようでうれしいのですけど、そこは素人育ちの哀しさ、本格的な接客のトレーニングができていないので、ボックス席をひとりで座持ちするのは、ちょっと無理があります。麻里ママかエルさんのヘルプに付くくらいがちょうど身の丈に合ってるという感じです。まあ、こんな感じで歌舞伎町の夜がふけていきます。

土曜日の「MISTY」は3時までの営業ですけど、やっぱり少しは尾を引きますし、片づけが終ってお店を出るのはだいたい4時半頃。ママやエルさんたちと近所の中華料理屋さんで、ビール飲みながらお夜食兼朝ご飯をして、タクシーに乗る頃にはもう6時です。タクシーの運転手さんに「お店いかがでした?」と聞かれるのにも、もう慣れました(タクシーの運転手さんは、水商売のママが乗を乗せると、景気についての情報交換をする人が多い)。15分ほどでお家について、お水っぽい服を脱いで、シャワーを浴びてメイクを落し、お肌の手入れをしてベッドに入るのは、だいたい7時半くらいです。

こうして「お手伝いホステス順子」の長い夜が終ります。
99/12/02(Thr)

[ 1999年11月30日(2度目のお稽古) ]
今日は、2回目の着付のお稽古の日です。

黄色と黒のカーディガンに黒のタイトスカート、ナチュラルメイクという小地味な格好で、18時30分過ぎに着物一式の入った大荷物を持って家を出ました。徒歩5分ちょっとのバス停から18時48分発の都営バスに乗ると乗車時間15分ほどでお稽古場であるMさんのお宅のマンションの前の停留所に着いてしまいました。今日は直通バスの時刻を事前に調べておいたし、道路も空いていたのでドアツードアで25分しかかからない便利さです。いくら好きなお稽古と言っても、通うのに1時間以上もかかったら、やっぱり続かないだろうなぁと思いました。

まず、Mさんと先生とあたしの3人で(Mさんの旦那様はお留守)、近所の洋食屋さんに出かけて腹ごしらえです。あたしは、おろしボークソテーを食べたのですけど、さっぱりしてておいしかったです。

お部屋に戻ってきて20時45分、おもむろにお稽古が始まります。1回目にお稽古着に使った塩沢紬(白)がやたらとゆったりした仕立てで、 お端折りするのがたいへんだったので、今回から茶と黒の縞のお召紬に変えました。こちらの方が汚れも目立たないし。ところがこのお召に袖丈が合う長襦袢が緋色なので、お稽古着としては妙に色っぽい感じになってしまいました(Mさんはなぜか喜んでくれたけど)。

まず前回の復習で、肌着に補正、長襦袢を着付けて、着物を着てお端折り作って伊達締めまでの過程を2度おさらいしました。私の場合、普通の女性と異る事情があるので、体型の補正には念を入れなければならないのですけど、先生がコットンをガーゼでくるんだ補正具を作ってくださりだいぶ楽になりました。やっぱり細かい手順をかなり忘れています。なんとか伊達締めまで形になったところで、お端折りのきれいな処理の仕方を教えていただきました。先生の手順を見ていると、なるほどぉ、と思うのですけど、いざ、自分の手になると、思うように動かないのが情けないです。これも繰り返して覚えるしかないと思いました。

次に、帯に入る前に、帯揚げと帯締めの結び方を伊達巻を帯に見立てて、予習的に教えていただき
ました。帯揚げの折り方、結ぶ前の形の整え仕方、そして結んで帯に入れ込むまでを、正座した状
態で先生に教えていただき、自分で2、3度練習しているうちに、脚がしびれていました。手の方に意識が集中していたので、気付かなかったのです。仕方が無いので、次に帯締の結び方は立った状態で教えていただきました。ところが、先生の手際を何度見ても、どことどこでからまって結んでいるのかよく解りません。やってみるしかないので、自分で何度も試行錯誤している内にやっと手順というか理屈が飲み込めました。ただし、今回は予習なので、きっちり締めることは意識しないで結び方だけを意識してればよかったのですけど、帯の上に結ぶ時にはそうは言ってられませんから大変です。 人に着付けてもらっていた時に「帯締めが緩い」などと文句を言っていたのが、思い出されます。

20時45分から23時過ぎまで約2時間半のお稽古が気持ち的にはすごく短く感じられます。でも身体の方は、お稽古が終る頃にはかなり息が上がっていました。 今日は、復習にたっぷり時間をかけたので、帯を巻くのはお預けになりましたけども、3回目はいよいよ名古屋帯の結び方です。それまでに右腕のリハビリを少しでもしておかなければ・・・。

お稽古が終った後、たまたま用事があってみえていたMさんの秘書役の女性がとてもおいしい紅茶をいれてくださったので、それを飲みながらおしゃべりしている内に、すっかり遅くなってしまいました。帰り道、タクシーの運転手さんに「大きなお荷物ですね」と話し掛けられ「着付のお稽古だったんです」と答えると、「えっ!こんな時間にですか!」と驚かれてしまいました。それもそのはず、時計の針は、もうすぐ夜中の1時になろうとしていました。


99/12/01(Wed)