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(1999/11)

[ 1999年11月24日(新潮文庫のインタビュー) ]
今日は、新潮文庫から来年9月発売予定(ずいぶん先です)のインタビュー集『性の哲人たち」の取材を受けてきました。

16時ちょうどに指定の新宿駅東口の談話室「たきざわ」でインタビュアー(著者)の佐竹大心さんにお目にかかりました。この企画、電話で「『性のてつじんたち』という本にでていただけませんか?」とうかがった時、てっきり「性の鉄人」だと思ってしまい、そんな企画に乗ったら「順子ってすげえSex好きらしいぞ。なんてったって性の鉄人だもんな」なんていう噂がきっと流布して困るから、お断りしようと思いました。ところがよくうかがってみたら「さまざまな性に現役としてかかわり、その人なりの哲学を持っている人」という意味の「性の哲人」であるとわかり、それならとお引き受けした訳です。

手渡されたラインナップを見ると、AV監督バクシー山下氏、エロ漫画家山本直樹氏などあたしがお名前を知っている方の他、ストリッパー、スカウトマン、ナンバーワンホスト、ソープランド・オーナーなどが並び、存じ上げている方では縄師の明智伝鬼氏、トランス業界ではニューハーフの松井玲子さん(『花道』の大ママ)のお名前がありました。予想していたより濃いメンバーなんだなぁと思ったものの、性の本質を追求するという企画意図は納得できたので、早速インタビューに入りました。

質問は、あたしの今までの軌跡をたどりながら現在の心境に及ぶオーソドックスな内容でしたけど、あたしの答え方が丁寧過ぎるせいか時間がかかり、予定の2時間をはるかに過ぎて4時間を越えてしまいました。

出版されるのはまだまだ先のことですけど、どういう形でまとめられるのか、楽しみです。

99/11/29(Mon)

[ 1999年11月23日(着付のお稽古・1回目) ]
今日は、着付のお稽古の第1回目です。18時半、お稽古に必要な長襦袢・着物・紐などの小物類を入れた大きな紙袋を持って家を出ました。今日のファッションは着替えやすさを考えて、水色のカーディガンに黒のタイトスカートです。バスとタクシーを乗り継いで、30分ほどでお稽古場であるお友達のMさんのお宅の豪華マンション(ここに毎週火曜日に着付の先生がお泊まりにきている)に到着しました。

一足早くみえていた先生とMさん、それにMさんの旦那様Tさんの4人で近くの中華料理屋さんで夕食を食べた後、20時半からいよいよ着付のお稽古の始まりです。肌襦袢(下着)姿で、まず補正の付け方、次に長襦袢の着付、そして着物を羽織って衿を合わせてお端折り作って伊達締めまで、つまり帯結びの前まで、一気にお稽古をつけていただきました。お稽古が終ったのは、23時過ぎ(う〜ん、普通の娘のお稽古時間じゃないなぁ)、あたしより1段階ほど進んでいるMさんと二人、2時間半みっちり仕込んでいただいた訳です。

先生がおっしゃるには、私の場合、着付けられ慣れているだけ、まったく初めて着物を着る人に比べたら、手順や腰紐の位置がわかっていて、着付け上がった時の自分のイメージ(例えば、衿の抜きや合わせ具合)がしっかりあるので、「早く進めるのよ」「今まで無駄にお金(着付け料)使ってなかったわね」というお話でしたけども、細かい部分(着付のコツ)になると、やっぱり一度では覚えきれません。なぜか胸紐を高く締めてしまうし、衿の修正をする時につい手が衿元に行っちゃうし・・・。まあ、反復練習して身体で覚えるしかないと 思いました。

お稽古が終わった時には、身体が汗ばんで、息が少し荒くなっていました。一見優雅にみえる着付のお稽古がこんなに身体的にハードだったとは思いませんでした。お稽古の途中、けっこうな回数、立ったり座ったりする訳ですけど、 正座から背筋を延ばしたまますっきり立つ、逆に立った状態からすんなり正座 するのが、日ごろ怠惰な生活を送っている身体にはけっこう重労働なのです。

来週は帯結びに入る予定ですけど、ここで難問が・・・。お稽古が終わる時、 先生に「順子さん、手は後ろにちゃんと廻ります?」と言われて、いろいろやってみると、肝心の利き手である右手が上がりません。元々男の子の身体で、女性より柔軟性が乏しい上に、不摂生と運動不足で筋肉がかなり堅くなっていた のです。先生に「来週までに柔軟体操ね」と言われましたけど、1週間でそんなに柔らかくなるはずもなく、来週の帯結びは、大苦戦の予感がします。

お稽古が終った後、お茶しながら3人でおしゃべりしていたら、時計の針が0時をかなり過ぎていました。恵比寿のビデオショップに翌日の講演で使うテープを借りに行くというMさんに便乗して(先生も同乗)、そこからタクシーで帰宅した時には、かなりヘロヘロ状態に疲れていました。身体を使ったのに加えて、かなり神経を集中してことに気付きました。

99/11/25(Thr)

[ 1999年11月20日(早稲田大学で講演) ]
今日は14時から早稲田大学の文学部の「総合講座4:世界文学理論」で1時間半のゲスト・スピーチをしてきました。この講座の中で「ジェンダー論」を取り上げている松永美穂教授(現代ドイツ文学)が、10月1日の赤坂での私の講演会(アート講座)を聞きにきてくださっていて、その後で招聘講師のお話をいただいたのです。その時には、だいぶ先の話のつもりで呑気に構えていたら、11月になってから正式に依頼をいただき、今日の一日講師ということになったのです。

最近は講演とか座談会とかのお仕事はほとんど着物と決めているあたしですけども、今日は学部の1〜2年生主体の若い人にお話するので、着物姿だと余計に引いてしまうかもしれないなぁと思い、洋服にしました。ミズっぽいものがほとんどのあたしの洋服ラインナップの中で、かろうじてマトモに近い、藤紫色のニットのワンピースとロングジャケットのアンサンブルを選び、足回りもベージュにのストッキングに黒のパンプスと地味めにして、お化粧もアイシャドー&アイライン控え目のセミ・ナチュラルバージョン。これで眼鏡をかければ、大学の女性講師に見えなくもないはずです(やっぱり見えない)。

13時に家を出て東急東横線と山の手線を乗り継いで高田馬場へ、ここからタクシーで早稲田大学の戸山キャンパスに向かいました。いかにも大学らしいキャンパスを通過して、お約束の時間に講師控室で松永先生にお目にかかる事ができました。先生は見た感じ30代半ば、有名大学の女性教授というイメージからは遠い、やさしい感じのチャーミングな方です。先生が今日のレジュメを印刷したり、教室変更の連絡に行っている間、ひとりで講師控室で座っていました。早稲田の講師控え室の雰囲気は、私の大学のそれとよく似ていて(つまり伝統的で)、不思議な既視感覚がありました。隣のソファーには、いかにも学問一筋という感じのかなり年配の女性の先生が男性の先生と何やら難しそうなお話をしていましたけども、他の同室の先生たちも含めて、誰もあたしを注視する方はいませんでした。

定刻になり、松永先生と二人で隣の校舎の5階にある教室に向かいました。この総合講座は、1部と2部(夜間)の文学部の合同講座で200人を越える受講登録があり、加えて今日は非登録の受講者も居そうなので、170名定員の教室に変更したのだそうです(大学、とりわけ文学部などの教室割りは、講義課目の場合は、学生がサボることを見越して履修登録定員以下に設定する場合が普通です。)。それにもかかわらず、講義を始めて20分もたった頃には、立ち見の学生も出る大盛況になりました。

今日の私の講義のテーマは「ジェンダー(社会的性別)を考える」。持論である「性の多層構造論」を話した後で、身体がすでにジェンダー化されているので、純粋な身体が社会的性別の指標として機能しているわけではない事、したがって、身体を加工しなくても、ジェンダー記号を操作することでジェンダー・イメージは変容可能である事を、スライドで実例(私の男姿1枚、いろいろな女姿11枚の写真)を示しながら話しました。その上で、ジェンダーは構築されたものであり選択可能なものであること、多様な性やあいまいな性を尊重できる社会を築かなければならないこと、社会的に要請される「あらねばならない性」から脱却して「ありたい性」を選択できることが必要であり大事であることを話しました。

学生さんたちは、ほとんど私語する人も無く、とても熱心に聞いてくれましたけども、呆気(あっけ)に取られているという感じの人も多く、私の話をきちんと理解してもらえたかどうかは疑問です。まあ、西洋文学理論の講義を取ったのに、松永先生が「ジェンダー論」の講義を始めただけでも驚いていたところに、「ニューハーフ」のオバサンが講師で現れて、振袖姿から始まってランジェリー写真やヌード写真まで見せられては、呆然とするのが当たり前でしょう。でもひとりひとりの学生さんが、何か少しでも感じ考えてくれるきっかけになったのなら、成功だと思いました。

99/11/24(Wed)

[ 1999年11月16日(着付のお稽古始めます) ]
今日は夕方から自宅からバスに乗って30分ほどのところにある女友達のMさんのお宅にお邪魔してきました。来週から彼女のお宅をお稽古場にして、着物の着付の先生(Mさんの友人)に来ていただいて初歩から着付を習う事になったのです。今日は、簡単な打ち合わせを兼ねて先生へのご挨拶に出かけたました。

一週間ほど前、Mさんと久しぶりにお会いして、いろいろ楽しくお話していた時に、どういうタイミングだったか、着物の話になり、Mさんが「あたし、着付を習いはじめたばかりなの。順子ちゃんもよかったら一緒に習わない?」と誘って下さったのです。着物を着付けてもらってる回数は、普通の女性よりはるかに多い(年間15〜20回)あたしですけども、自分で着付けたのは、浴衣が数回あるくらいです。以前から初歩からきちんと着付を習いたいという希望はあったのですけども、なにしろあたしの場合は「にせむすめ」という特殊事情があって、街の普通の着付け教室で一般女性に混じって習うのはやはり無理です。だから、Mさんに誘っていただいた時、「これはもう願ってもないチャンス!」と思い、お願いすることにしました。

先生にお目にかかって「ややこしい事情もありますけども、よろしくお願いします」とご挨拶したら、「着物を綺麗に着て下さるという方なら、よろこんで」と言って下さいました。という訳で、来週から火曜日ごとにお稽古です。なにしろ、子供の頃、母親を「ウチの息子は、中学生になっても靴の紐が満足に結べない」と嘆かせた生来の不器用ですから、どこまでやれるか、とっても不安ですけど、せめてお太鼓帯が一人で結べるくらいまで頑張ってみるつもりです。


99/11/19(Fri)

[ 1999年11月8日(アート講座最終回) ]
今日は、10月1日からほぼ毎週、赤坂のアークヒルズで開催されていたアート講座「性・ファッション・身体」の6回シリーズの最終回の日です。この講座、私は第1回の講師を務めたのですけども(10月1日の日記を参照ください)、「講師は他の回も入場無料」という特権を生かしてせっせと通い、今日出席すれば、全6回皆勤ということになります。

今日の講師は、SF評論家の小谷真理さん。小谷さんとは、昨年2月の紀伊国屋セミナーの時にご一緒した縁もあり、ぜひお話をうかがおうと夕方小雨の中を出かけました。今日のファッションは、小谷さんの演題「サイボーグ・フェミニズム −ジェンダーの未来形−」に合わせて、襟元が黒のPVCの紐編になっている金属光沢の銀色のボディコンシャスなミニワンピース。ただし、あまりにも超ミニすぎてお尻が危ないので、下に黒地に銀ラメのミニスカートを履きました。脚は、お気に入りのソニア・リキエルの不規則網目ストッキングに、黒のショートブーツ。全体にパンクっぽいというか、未来っぽいというか、そんな感じにコーディネートしました。

会場に着いて、さっそく小谷さんにご挨拶。昨年6月、藤本由香里さん(評論家)の出版記念パーティ以来の再開です。講演は、サイボーグとは何か?ということから始まり、本論であるダナ・ハラウェイの「サイボーグ宣言」(1985)以後のサイボーグ・フェミニズムの理論展開をお話くださいました。わかり易く言えば、人間は「情報集積体」、情報という部品から組み立てられているサイボーグであるという考え方です。例えば「女」という存在は、様々な女にかかわる情報の集積として作り上げられている訳です。身体やジェンダーが絶対的なものではなく構築物であるということを、サイボーグという言葉で比喩的に表現しているのです。

最後に、そうしたサイボーグ的身体を「存在」と「意識」という二つの観点から4つに分類して説明され、その内、強く意識されるものの存在は希薄な身体の例として美容整形常習者にとっての「正常な(あるべき)な顔」を挙げられました。ここで思い至ったのは、性同一性障害者にとっての「正常な(あるべき)身体(性器)」も強く意識されるものの存在は希薄な身体であるということです。美容整形を常習とする顔面醜形恐怖症の患者と性同一性障害者の類似性は、既に伏見憲明氏によって指摘されていますけど、小谷さんの解説を聞いていて、改めてそのことを考えさせられました。

講演会が終わった後、企画・司会者の石井達朗先生(慶応義塾大学教授)と小谷さん、それにコンテンポラリー・アート・ネットワーク(CAN)社長の菊丸さんたちスタッフと六本木の洋風居酒屋で打上げ会となりました。小谷さんとは、同世代の「女同士」ということで近況報告から始まって硬軟取り混ぜた様々なお話ですっかり盛り上がってしまい、ようやく腰を上げたのは日比谷線の最終電車ぎりぎりの時間でした。

今回の講座は、いろいろな分野の方のお話を直接聞けて、視野を広げる上でとても勉強になりました。第2回の武邑光裕さん(東京大学大学院助教授)の「サイバー文化と身体」の講演は、現代の最先端のサイバースペースを紹介してくださり、ただただ驚きでした。第3回の今野雄二さん(映画・音楽評論家」の「カウンター・カルチャーとセクシュアリティ」は、グラム・ロックから現代のビジュアル系までをわかり易く解説して下さり、ほとんど知識の無かった分野だけにありがたかったです。第4回の平田孝子さん(香水コンサルタント)の「香りとモードの20世紀」では、20世紀の香水の歴史を回顧しながら実際に20数種類の香水を嗅がしていただいて、純粋に「女の子」として楽しい講演でした。また、自分の香りの好みがはっきり掴めたのも収穫でした(クラシカルなフラワー系の香りが好き)。仲良しの松本侑子さん(作家)と連れ立って聞きに行った第5回の笠原美智子さん(東京写真美術館)の「ヌードとジェンダー」は、意欲的な展示活動をされている方だけあって熱のこもったお話でした。レズビアンやゲイ(とりわけAIDSとの関連)、あるいは障害者の写真家が、写真という技法を通じてどのような意識で活動しているのか、たいへん勉強になりました(なぜトランス系の写真芸術家は出現しないのでしょうか?)。また、二次会でもいろいろなお話をうかがうことができました。

今回の講座通い、毎週ほぼ同じ曜日の同じ時間に同じ場所に通ってお勉強するというのは、順子にとって初めての経験で、なんだか、カルチャーネエちゃん(オバサン)になった気分でとても楽しい経験でした。自分が社会の中で「女」として普通に過ごせることは、やはり私にとって大事なことなのだと改めて思いました。これからも、機会があれば、積極的に出かけて行っていろいろ勉強したいと思います。

99/11/10(Wed)

[ 1999年11月5日(奈良一人旅) ]
7時半に目覚しをかけておいたの8時半まで寝過ごしてしまいました。この旅行に出るまで、けっこうハードなスケジュールで疲れがたまっていたので「まあ仕方ないわね」という感じで、ゆっくりシャワーを浴びて化粧にかかりました。昼間の外出なので、アイメイクを控え目にします。ファッションは、茶と黒のアニマル模様のプルオーバーに黒のタイトミニ、ピエ・ド・グラスの二重網の網タイツに黒のショートブーツ。風が冷たそうなので茶系のニットのショールを羽織りました。

朝食はあきらめて、10時半にホテル(大阪東急イン)を出発し、地下鉄御堂筋線で難波へ。運良く近鉄の奈良行き快速急行をつかまえることができて、12時前には奈良に到着しました。駅からは、車の往来が激しい登大路を避けて商店街のアーケードに入り、少し行って小さな路地を左折します。急な坂道を登ると興福寺の北円堂の前に出るこの道は、あたしの大好きなルートです。昨年から継続している興福寺の回廊の発掘調査を覗き見して、五重塔を間近に左に見て境内を抜け、「塔の茶屋」の脇を通る道に入ります。茶粥で有名なこの茶店は、母親が健在だった昔、いっしょに訪れた思い出の場所です。そのまま真っ直ぐ進んで、奈良公園に入り、春日神社の塔跡を右手に見て、お目当ての「正倉院展」の会場である奈良国立博物館新館に着きました。

天平文化の精華を今に伝える「正倉院展」は、毎年この時期(10月下旬〜11月上旬)に開催される奈良博の名物展覧会で、あたしも毎年欠かさず、たぶん20数回通っていると思います。おネエちゃんで見学するようになったのは昨年からですから、順子としてはまだ2回目です。会場は混んでいるものの、昨年から増築されて広くなったせいか、以前の混雑からすればだいぶ楽になりました。今年の目玉出品物である「鳥毛立女屏風」から始めて最後の「景雲一切経」まで、一応、専門分野ということで、2時間ほどかけて丁寧に見ていきました。6扇並べらられていた「鳥毛立女屏風」に描かれた女性の衣服は、唐風の女性のファッションの典型とされていますけど、比較観察すると、襞(ドレープ)の取り方や領巾(ひれ=首にかける長い布)の有り様などデザインが微妙に異なる事に気付きました。こうした点は「女の子」視点になるまで気付きませんでした。展覧中に明日の学会で顔を合わせるはずの某大学の先生が会場にいらっしゃるのに気付き一瞬ドキっとしましたけども、そこは日本女装界有数の変身度を誇るあたし、「わかるわけないもんねぇ」でした。

14時に奈良国博物館を後にして来た道を戻ります。興福寺の境内に入る直前の横断歩道で信号待ちをしていたら、6〜7名の年配の女性の集団の内の1人に「すいません。猿沢の池はどちらに行ったらいいのでしょうか?」と尋ねられました。「真っ直ぐ行って五重の塔の前を左に曲がって石段を降りた右手です」と教えてあげましたけど、なぜあたしに尋ねてきたのか謎ですけど、あまり深く考えない方がいいのかもしれません。五重塔の下を抜ける時、修学旅行の男子中学生数人が通路(2段ほどの石段)を塞ぐように座っているので、仕方なく「ごめんなさい」と言いながらちょっと跳ねて脇を通過しました。そしたら、後ろで「ラッキー!」の声。スカートはタイトだから覗けたとは思えないのですけど、なにしろ彼らは地べたに座ってて視線が低かったから・・・。でも、お姉さんのスカートの下がチラっと覗けてラッキーと思った中学生たちよ、世の中はそんな単純なものじゃあないのよ。それから、猿沢の池に下りる石段のところで観光人力車のお兄さんが「どちらまでですか?乗っていきませんか?」と声をかけてきました。チラッと見るとなかなかのハンサム、筋肉質の身体もあたし好み、一瞬、乗ってあげようかなぁ、と思いましたけど、時間的に厳しいので「ごめんなさい。これから『平宗』さんへ行ってご飯食べたいから」と断りました。ちょっと残念。

猿沢の池の畔から奈良の街屋に入ったところにある「平宗」は、奈良の名物「柿の葉寿司」の老舗で、あたしは「正倉院展」の後のご飯は、いつもここに決めています。柿の葉寿司の盛り合わせと赤出を注文して、出て来るまでの間に地方発送の伝票を書きます。いつものように留守宅、九州に嫁いでいる妹の所、そしてここのお寿司が大好きだった母の霊前に備えるために田舎の実家の3個所に送ります。盛り合わせ(8個)を食べ終っても、なんとなくお腹が物足りないので鮎寿司を追加注文しました。考えてみれば朝ご飯抜きだったのです。のんびりしていたら、15時になってしまいました。今日はもう1個所行きたいところがあるので、お支払いを済ませて急ぎ足で近鉄奈良駅まで戻りました。

近鉄を西大寺で下車して、駅前でタクシーに乗り、まず平城宮資料館へ寄ります。車に待ってもらって資料館のショップで新刊の図録と資料の購入だけして(展示は見慣れているので省略)して戻ると、運転手さんが「お買い物だけですか?」と声をかけてきました。派手っぽいおネエちゃんの行動としては奇妙に思えたのでしょう。その後、秋篠寺まで行ってもらったのですけど、道すがら運転手さんが「お店は大阪ですか?」と話し掛けてきました。「えっ、なんでおミズだと思うのよぉ、大和古寺巡礼の一人旅のOLのつもりなのにぃ」と思いながら、「東京なんです」と答えます。「東京はどちらですか?」「新宿の歌舞伎町です」(嘘じゃなくちゃんと歌舞伎町の某店の名刺持ってます)と会話が続き、「歌舞伎町ですかぁ」と感心した様子です。やっぱり地方に行くと「歌舞伎町」のネームバリューは大きいです。続いて「遺跡とかお寺とかお好きなんですか?」と尋ねてきたので、「自分でも好きだし亡くなった母が好きだったので」と答えました。話好きの気さくな運転手さんでラッキーだったので、お寺を拝観する間も待機しててもらい、帰りもお願いする事にしました。

秋篠寺は、奈良時代末期に光仁天皇の勅願によって建てられた奈良時代最後の官寺です。今は、平安時代の仏像を数多く収めるお堂がひとつ残っているだけですけど、このお寺の魅力は、いかにも大和の古寺らしい天平の香りをかすかに止めた明るく落ち着いた雰囲気と芸術の神である妓芸天像です。あたしは、学生時代に一人で、その後、母と二人で訪れたことがあり、今回が3度目の拝観でした。境内の雰囲気も堂内の仏像も、15年前と少しも変わらず、限り無い懐かしさを覚えました。



99/11/09(Tue)

[ 1999年11月4日(大阪出張) ]
11月4日(木)から7日(日)まで、関西方面(大阪・奈良)に行ってきました。

表(昼)の仕事メインの出張だったので、おネエちゃんで遊べたのは、4日の夜から5日の夜までの30時間ほどでしたけども、2晩とも堂山の「マグネット」にお邪魔して、3月以来、久しぶりに大阪の仲間達と会って、いろいろな思い出が散らばっている夜の堂山の街を散策して、大阪の夜を楽しんできました。

5日の昼間には、昼の仕事でも縁が深い奈良へ、おネエちゃんで日帰り一人旅をしてきました(別掲)。また、6日(土)の深夜には、お兄さん姿で十三の「ルージュ」へ、7日(日)には、やっぱり男姿で、今までなかなかご挨拶にいけなかった「スィッチ」を表敬訪問してきました。

大阪滞在中、ずっとお世話をいただいたゆうりん(鳥原優子さん)に心から感謝します。


99/11/08(Mon)