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(1999/10)

[ 1999年10月11日(日本社会学会シンポジウム) ]
今日は、四谷の上智大学で開催中の日本社会学会の大会シンポジウムに出演する日です。朝7時半に起きて身支度にかかり、10時30分にいつものように渋谷のJ美容室で着付けてもらいました。今日の衣装は、お気に入りの緑の縞に江戸小紋の胴抜き仕立ての着物に枯色と樺色(濃淡の赤茶色系)の大きな波模様の帯。半襟は桜色、帯揚は柿色、帯締はうぐいす色。お堅い学会という場では、どう地味に作っても場違いなのだからということで、開き直って、帯は文庫の上に帯端を被せるように垂らす粋な変わり結びにしてもらい、簪も赤玉の一本差しで、全体として江戸風の粋なお姐さんという感じにつくってもらいました。

JRで四谷駅で下車し5分ほど歩いて、12時20分に上智大学に到着しました。表の仕事の方の学会で何度か訪れたことのある大学にこうした姿で脚を踏み入れるのは、やっぱり何とも言えない感慨がありました。控室に充てられている研究室棟のエレベーターの中で、「事情を知らない人が見たらなんだと思うだろうな? やっぱり、ツケを溜めた教授の研究室にゲイバーのママが乗り込んできたって感じかな」と一人笑いをしてしまいました。

控室で、今回のシンポジウムの企画司会者の山田富秋さん(京都精華大学)と井上芳保さん(札幌学院大学)、報告者の石川准さん(静岡県立大学)・風間孝さん(動くゲイとレズビアンの会)・三浦耕吉郎さん(関西学院大学)、それにコメンテーターの好井裕明さん(広島国際学院大学)にご挨拶しました。皆さんとは6月の京都での事前研修会でお目にかかってますので、私の女装自体には驚かないものの、着物姿にはちょっとびっくりした方もいらっしゃったようです。視覚障害者である石川さんが「三橋さん、今日はどんな(いで立ち)だか説明してくださいよ」とおっしゃって、私の説明に「ふむふむなるほど」とうなずかれていたのが印象的でした。お弁当を食べながら簡単な打ち合わせをして、13時30分の開会時間前に会場の大教室に移動しました。

ところで、社会学の世界では最も伝統と権威のある日本社会学会の大会シンポジウムに、女装者であり研究者ではない(表の経歴は伏せてある)私を出演させることについては、やはり大会委員会内部で異論もあったようですけど、シンポを企画した山田・井上両先生が「余人を以て代えがたい」と推薦してくださり、無事に発表者に名を連ねることができました。ということで、両先生の期待に応えないわけにはいかない事情がありますし、大きな学会のシンポという場で大勢の社会学者の前でトランスジェンダーが発表者として登壇することの社会的意義を考えれば、いいかげんなことはできません。講義・講演を日常の仕事としているプロの話し手であり、人前で話すことには慣れている私も、会場に向かいながら、久しぶりにかなりのプレッシャーを感じていました。

今回のシンポジウムのテーマは「ミスター・ノーマルのアイデンティティを問う」というもので、「ミスター・ノーマル」、わかり易く言えば「俺は普通の男だ」というアイデンティティ幻想を、多角的な視点から暴こうというものです。石川さんが障害学の、風間さんがゲイ・スタディーズの、三浦さんが被差別部落研究の、そして私がトランスジェンダーの立場から、「ミスター・ノーマル」アイデンティティの虚構性を明らかにしようとする試みです。裏番組との兼ね合いで当初は不人気が予想されたものの、会場の大教室の座席は次第に埋まり、開会後には200人を越える聴衆が集まりました。

私の出番は、石川さん・風間さんに続き3番目で「『女装系コミュニティ』における『ミスター・ノーマル』幻想」というテーマで20分ほどの発表を行いました。発表の目的は3つで、第1に新宿における女装系コミュニティの存在と特性ミスター・ノーマルアイデンティティ」を社会学者に紹介すること、第2に「ミスター・ノーマルアイデンティティ」という概念を、女装系コミュニティの有り様に適用することによって、その構成者の意識を分析すると、第3に、それをフィードバックすることにより、社会における「ミスター・ノーマル幻想」の強固な存在とその問題性を指摘することでした。

なにしろ新宿の「女装系コミュニティ」という会場の聴衆のほとんどの方が、まったく予備知識のないテーマなので、理解しやすいように、その実際と特性を示すモデルケースとして「ある夜のA男=A子」という実話に基づいて構成した「物語」を提示して、それをベースに分析を加えていく方法をとりました。そして、新宿の「女装系統コミュニティ」を支える二重の虚構性(男が女を演じるという虚構と素人がホステスを擬態する虚構)とその虚構世界の共演者としての男性客の役割を構造化し、さらにその虚構世界の根底に存在する「表の世界ではノーマルな社会の構成員」という女装者と男性客の共同意識こそが「ミスター・ノーマル幻想」に通じるものであることを指摘しました。

私の発表が終わった直後、30人ほどの聴衆が会場から出て行くという現象がみられましたので、「人寄せパンダ」としての役割はある程度果たせたかなと思います。また、4人の研究発表の内で、なぜか私だけに会場から拍手が起こりましたから、発表内容の学問的意義はともかくパフォーマンスとしては、一定の成果があったと思います。

今回、このシンポジウムに参加させていただいて、いろいろな面で勉強になりました。女装すること、あるいは女装世界の実際を記録し分析し、それを一般社会あるいは社会学をはじめとする研究者にしっかりした形で提示し、同時に私たち女装者が自分自身のことを考える材料とすることがやはり必要だと思います。こうした女装・女装世界を学問分析の対象にすることについては、女装世界内部に強い反対があることは承知していますが、女装が、日本の社会を語る上で、マイナーではあっても見落とすことができないひとつの文化事象であることを提起するためには、誰かがやらなければいけないことだと思います。言葉を変えれば、石川さんたちが構築した障害学や風間さんたちが作り上げつつあるゲイ・スタディーズに対応する、トランスジェンダー・スタディーズが必要だということです。私のこれから研究は、その礎を築くためのものでなければならないと決意しました。

今回こうした有意義な機会を与えてくださった井上・山田の両先生と日本社会学会にこの場を借りて心からの感謝を表したいと思います。

21時にシンポジウム参加者の二次会を終え、地元の居酒屋で一息入れたあたりから、急激に心身の疲労を感じました。やはり緊張していたのだなぁ、とつくづく思いながら家路につきました。
99/10/30(Sat)

[ 1999年10月2日(「性・ファッション・身体」の講演会) ]
今日は夕方から赤坂のアークヒルズで「性・ファッション・身体」の講演会の講師を務める日です。16時にいつものように渋谷のJ美容室で着付けてもらいます。今日の衣装は、小豆色の地に更紗模様の華やかな小紋に銀緑の帯を合わせました。帯揚は江戸紫、帯締は濃い桜色。講演会の講師ということで、あまり水っぽくならないように、それでいてあまり地味にならないように、帯は角出し系の小粋な「銀座結び」にしてもらいました。

地下鉄銀座線で溜池山王駅まで行き、17時過ぎにアークヒルズ20階の国際交流基金の会議室です。主催のコンテンポラリー・アート・ネットワアークの菊丸さん(女性社長)と企画者で私を起用してくださった石井達朗先生(慶応義塾大学教授:演劇論)にご挨拶して待機します。100人は入る会場ですけども、金曜日の18時からという中途半端な時間帯設定ということもあって会場の入りは今一つです。おまけに、声をかけておいた知人のマスコミ関係者が昨日突発した東海村のウラン臨界事故の取材のため、一人も来ていただけず、仕方がないこととはいえ、ちょっと寂しかったです。

18時過ぎに開会、結局60人ほどの方を前にお話することになりました。私が受け持ちは、全6回の講演シリーズの第1回目で、テーマは「トランスジェンダー −性別、セクシュアリティの境界−」です。簡単な自己紹介の後、最初に30分ほど「性」をどのように考えるかという「性の多層構造論」とジェンダーをトランスするとはどういうことなのかという「トランスジェンダー論」を簡単にお話して、その後で今日の本論である「TGの視点からみた身体・ファッション・性別論」をお話しました。

内容的には、次のような点を指摘しました。純粋な身体は医学的にはともかく社会的には存在しないこと、社会的に機能している身体はジェンダー化された身体であって原型としての身体ではないこと、身体がすでにジェンダー化されている以上、身体の性と社会的性を対置すること、たとえばトランスセクシャル対トランスジェンダーのように、は無意味であること、衣服(ファッション)による身体の隠蔽と誇張は日常的に行われており、したがって社会において性別の判断は純粋な身体(例えば外性器)を指標になされているわけではなく、ジェンダー記号をまとったトータルなイメージ(ジェンダー・イメージ)を指標に行われていること、故に、ジェンダー記号を操作することによって、身体の加工を行うことなくジェンダー・イメージを容易に変化させることができること、などです。

その後で「ジェンダー・イメージ操作の実例」と題して、私の写真12枚をスライド映写しながら、身体を加工しなくても男性イメージから様々な女性イメージまでを表現できることを説明しました。スライドの中には、かなりHっぽいランジェリー姿の写真やヌード(入浴写真)も有ったのですけども、一番恥ずかしかったのは、話の都合上、清水の舞台から飛び降りるつもりで初公開したYシャツ・ネクタイ姿の男性モードの写真でした。後日、私の男姿を知らなかった二人の女友達から「男性モードもすてきです」「あまりにも順子さんとイメージが違うのでびっくりしました」というメールが届いて、このお二方にだけはやっぱり見せたくなかったなぁ、と苦笑いでした。

全体としてそれほど斬新な話をした訳ではなく、むしろ当たり前のことを話したつもりですけども、やはりトランスジェンダーの実物が話すことのインパクトは十分にあったようで、会場の雰囲気や質問の内容から、私の言いたかったことがある程度、会場の方に伝わったかなぁ、という手ごたえは感じられました。セクシュアリティに関して最近考えていること、つまり、セクシュアル・オリエンテーションの明確な存在を前提にした議論への疑問やセックス・ファンタジーとセクシュアル・オリエンテーションの乖離の問題など、を話す時間が無かったのは残念でしたけども、まずまずの出来栄えだったかな、と思いました。

閉会後、石井先生たちと食事をしながら懇談しも22時にお開きとなり、私はタクシーで新宿へ移動し、講演会のポスターを貼ってくれた「ジュネ」と「MISTY」に挨拶に立ち寄りました。「MISTY」でくつろいでいた時、麻里ママがふざけてお客様に「友達の銀座のクラブのママです」と私を紹介したら、「やっぱり銀座のママは(貫禄が)違うねぇ」と言われてしまいました。確かに私、着物の時は、髪形の関係もあってかなり実年例相応の雰囲気になり、自分で言うのもなんですけど、洋装の時と違って貫禄が出ます。それにしても「銀座のクラブのママ(みたい)」と言われのは、女装者冥利に尽きると言うものでしょう。

明日は、朝の9時から息子の保育園の運動会に行かなければならないので、いつものように閉店までお手伝いせずに、2時半にタクシーを拾って新宿を後にしました。

99/10/28(Thr)

[ 1999年9月30日(Y子さん&女王様との会食) ]
今日は、仲良しのY子さん(作家)の取材を兼ねた夕食会にお付き合いしました。

取材インタビューをお願いしたのは、現役のSMの女王様!。Y子さんは「支配と服従」をテーマにした小説を執筆中で、あたしもできるだけの情報提供やレクチャーはしたのですけど、残念なことに根っからマゾ娘のあたしには、女王様の心理はわかりません。そこで、やっぱり本物の女王様に話をうかがうのが一番ということで、今夜のセッティングをした訳です。

会食の場所は、表参道に面したビルにある日本料理屋さん。19時にあたしが一番乗りしてみると瀟洒な雰囲気の小ぢんまりしたお店で、テーブルとテーブルの間の間隔もあまり無く、果たしてこんな所でSMの話なんかしていいのかな、と一瞬心配になりましたけど、仲居さんが案内してくれたのは、4人用の個室スペースで、これなら大丈夫と安心しました(大丈夫じゃなかったんだなぁ、これが・・・)。

やがて、日ごろおしゃれな彼女にしては控え目なファッションでY子さんが到着、少し遅れて女王様がご来臨されました。女王様は170cmを優に越えるスレンダーな長身、モデル並みの抜群のスタイル。ライトベージュのジャケットに黒の細身のパンツという一見さりげないファッションながら、ジャケットから覗く真っ赤なビスチェと高く結い上げた髪が、ただ者ではない雰囲気を漂わせています。ちなみに、あたしは、袖と背中の上部がシースルーで胸元が大きく開いた黒のミニワンピース、アクセントとして(というかマゾ娘の象徴として)胸の谷間の左側(おっぱいの裾野)に、真っ赤な薔薇のタトゥーを貼ってます。

ビールで乾杯するのもそこそこに仕事熱心なY子さんは、MDをセットして女王様へのインタビューを開始します。女王様もかたじけない事に「ちょっと古いものなのだけど具体的なイメージがあった方がいいと思って」とおっしゃって、以前、御自分が出られたSM雑誌のコピー数枚をテーブルの上に広げられます(女王様は律義なご性格とみえて、掲載誌の奥付けまでコピーされてきました。それを覗き見ると、1988年の発行で今から11年前のものです。どうりで写真の女王様のお顔がかわいらしいはずです。さっき自己紹介された時、女王様は「23歳です」とおっしゃってましたから11年前だと・・・、ん?)。一気に話がはずみかけた頃、仲居さんが先付け(会席料理で一番最初に出て来るお料理)を持って入ってきました。ところがテーブルの上は、男奴隷に馬乗りになってスパンキングする女王様etcの写真のコピーが広げられた状態。あわててあたしがテーブルの上にスペースを作ってあげましたけど、かわいそうに仲居さんは「先付けでござ・・・(います)」で固まってしまいました。しばらくして、松茸の土瓶蒸しを持って彼女が入って来た時には、「あの、お浣腸プレイって、どのくらい入れるのですか?」「そうねぇ、人によって違うけども、100ccの浣腸器で最低3回以上、普通は500ccくらいかしら。それ以上だとイルリガートルを使う事が多いわねぇ」「イルリガートルってなんですの?」と女王様とY子さんは浣腸プレイのお話の真っ最中。仲居さんを上目遣いで観察すると、必死に平静を装ってはいるものの、目が完全に吊り上っちゃってます。そうだろうなぁ、こんな珍しい客を担当したの、まず間違いなく初めてだろうし、と同情していると、その後、お料理を運んでくる仲居さんが次々に代わるのに気付きました。どうも想像するに「ねぇねぇ、あたしの担当の個室のお客様、SMの女王様にインタビューしてるわよ!。しかも一人はニューハーフみたいなの」と担当の仲居さんが仲間にしゃべり、「え〜っ、見たい見たい!次はあたしが運んでいく!」という事態になってる様子です。

お料理は手が込んだものが多くお味も上々で、インタビューも順調に進み、デザートを食べた所で、一応この場はお開きということになりました。私たちが席を立つと、出口に仲居さんたちに加えて白の調理着姿の板長さんまで総出でお見送りです。確かに会席コース3人分は上客でしょうけど、ちょっと大袈裟な感じがします。やっぱりあたしたちを見に出て来たのでしょうか? 異様な雰囲気に気付いたY子さん、エレベーターの中で「ねぇ、順子ちゃん、ここお料理おいしかったけど、あたしもう恥ずかしくて来られないわ」と言います。「気付くの遅いのよぉ!、お姉様」。

時刻は21時半をすぎたところ。女王様が説明しくださったSM系のフェティッシュ・ファッション(ラバー、レザー、PVCなど)の素材感や用具のイメージを掴みたいというY子さんの希望で、タクシーに乗って女王様のご案内で、南青山の「AZURO」に向かいました。「AZURO」が曙橋にあった頃には何度か訪れていますし、実は、その昔、「AZURO」主催のフェティッシュ・パーティに出席したことのある私ですけども、移転してからは初めての訪問でした。店内におしゃれに展示された様々な衣装や用具、書籍を眺めている内に、しばらく縁遠かったSM世界が懐かしくなりました。そんな思いに浸っていると、Y子さんが「ねぇねぇ、順子ちゃん、なんでガスマスクが並んでるの?」などと質問してきます。あたしがレクチャーすると、彼女は「ああ、そうなんだぁ」と言いながらメモを取ります。こんなにSM世界のことを知らなくて、果たして女王様を主人公にした小説が書けるのかなぁ、と心配になるのですけども、こうした熱心な取材姿勢とその取材した素材を巧みに使ってストーリーを組み上げる豊かな構想力、いわば何もない所から魅力的な物語世界を作り上げる能力こそが、第一線で活躍す作家として彼女のすばらしさなのです。

「AZURO」の見学を終えて、3人で青山通りまで歩きました。女王様とあたしは、もう1軒行きたいところですけど、小説の素材を山ほど仕入れてイメージが頭から溢れそうなY子さんは、飛んで帰ってワープロに向かいたい様子。女王様のお酒のお相伴役はあたしが引き受けることにして「さあ、後はおネエ様の腕の振るいどころよ。頑張ってね」と見送り、あたしは、女王様と二人で新宿に向かいました。
99/10/14(Thr)