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(1999/09)

[ 1999年9月26日(調べもの) ]
今日の午後、3時間くらいかかって、アマチュア女装雑誌『ひまわり』の全バックナンバー(40冊)を見返しました。現在、私が執筆している「戦後日本トランスジェンダー社会史年表」の資料収集のためです。地に足が付いた取材で定評のある同誌だけあって女装関係のお店の開店時期など、数多くのデータを得ることができました。

この年表、すでに4万字を超える詳細なものになっています。ただ、年表というものは、いくら調べても調べ足りない部分が残るので、どこまで書いたら完成ということがなく厄介です。ですから、適当なところで見切って発表しないといけないと思っています。もう1〜2ヵ月くらい補充調査をして、年内には原稿を完成し、来年の3月に中央大学の社会学研究室(矢島正見教授)から出す報告書「戦後日本トランスジェンダー社会史の研究(仮題)」の第1冊に収録していただく予定です。

ところで、『ひまわり』のバックナンバーを見返していると、いろいろな写真や記事が目に入ります。今でも現役で頑張ってる方の初々しい頃の写真もおもしろいですけども、やはり、何時の間にか女装世界から姿を消してしまった人たちの姿が懐かしいです。女装世界から脚を洗っても、お元気で充実した人生を送ってらっしゃるならいいなぁ、と思いました。それにしても、たった6〜7年前を基準にしても、現在でも活動を継続している方は、数えるほどしかいません。つくづく自分自身が歩いてきた長い道のりを思い出してしまいました。
99/09/26(Sun)

[ 1999年9月10日(松岡先生のパーティの夜) ]
今夜は、昨年5月の日本文化デザイン会議(秋田)でお世話になった松岡正剛先生(著述家&編集家)の新事務所お披露目パーティにお呼ばれです。先生は、編集工学研究所所長として編集のプロ中のプロであると同時に学問・芸術にとても広い造詣をお持ちの方です(おまけに今時珍しく「男の色気」を感じさせる「いい男」です。)。秘書の方からご案内をいただいて、「あたしなんかがうかがっていいのかな?」とも思いましたけど、呼んでいただける内が華だし、久しぶりに先生にお目にかかりたかったので、出席させていただくことにしました。

夕方16時半にいつものように渋谷の美容院で着物の着付けをしてもらいました。着物をはじめ日本文化に造詣の深い松岡先生のパーティですから、コーディネートには悩みましたけど、白地に黒で毘舎門亀甲柄をぼかした白の単の訪問着に、藤紫に金で変形市松模様を描いた帯を角出し風の変形お太鼓に結んでもらい、帯締は紫(裏は五色)、帯揚は江戸紫と紫系で統一してできるだけ涼しげになるようにしました。簪は赤玉の一本で、赤坂という土地柄も考慮して、全体に粋な江戸風にまとめました。

地下鉄半蔵門線で青山一丁目まで行き、夕方から風が止まり9月も中旬にかかるとは思えない蒸し暑い中を地図を頼りに10分ほど歩き、赤坂の稲荷坂を上り切ったところに建つ目的のビルの手前に、開会の18時30分ちょうどに到着しました。受付も混雑してるだろうから汗が引くのを待って入ろうと思い、扇子で煽ぎながら汗を拭いていると、道の向こう側から「三橋さんかな?」と男性の声。振り向いて見れば松岡先生!、あわててお側に行ってお祝いとお招きの御礼を言いました。

パーティは、4階建てもビルの全フロアーとテラス、それにお庭を会場にし、推定参加者200名という大規模なもので、先生の広い交友範囲を示す芸術家・学者・編集出版関係者・プロレスラー(前田日明さん)など多彩な方々が出席されてました。お陰で怪しげな女装家がひとり混じっていてもあまり目立たないくらいの盛大なパーティでした。

屋形舟にきてくださった筑摩書房の編集者兼評論家のFさん以外ほとんど存じ上げている方がいらっしゃらないので、パーティの前半は、書庫だけでなく各フロアーのあちこちに設置された先生の5万冊という膨大な蔵書を収めた書棚を見てまわっていました。あたしは、表の仕事柄、人文科学系なら本棚をみるとその持ち主の関心の有り様、造詣の深さというものがある程度わかります。図書館の分類法とは異なった松岡先生独自の、つまり先生の頭脳の中身を反映した配列でならぶ書籍群は、現代の百科全書派といえる方にふさわしい見事なコレクションでした。

お酒とお料理は、質朴ながら季節感を演出したものばかりですてきでした。重陽の節(9月9日)の故事である菊酒(黄菊の花びらをちらしたお酒)に、9月24日の十五夜にちなんで月に見立てた丸い寄せ豆腐に、お月見にゆかりの里芋と栗おこわ、といった具合で、お庭では、たくさんのきのこが焼かれ、薄(すすき)の一叢も運び込まれていて、都会の真ん中とは思えない風流さです。

お庭できのこを食べているときに、何人かの方が、鎌倉の街の低迷を嘆き、復興プロジェクトを松岡先生に頼みたいというお話をしてました。あたしは、昨年、表の仕事で鎌倉に行った時に、同じような嘆きを聞いていたので、聞き耳を立てていたところ、一人の方が「どういうお仕事をされているのですか?」と話し掛けてくださり、話の輪に入ることができました。名刺を交換して話が一段落した後で、最初に話し掛けてきた方(コマーシャル制作会社のディレクター)に「コマーシャルには興味ありますか?」と尋ねられました。あたしはコマーシャル批評のことかと思い「ええ、まあ・・・」と答えると、その方は「さっきから三橋さんの横顔拝見しながら、考えているのですけど、何かいいイメージが浮かんだら出ていただけますか?」と言われました。コマーシャルに出演するという発想が全然無かった私はあわてて「いえ、女装系のコマーシャルは『タンスにゴン』のIZAMでもう十分じゃないでしょうか」と訳のわからないことを言って逃げました。それを眺めていた鎌倉復興運動の先生が「本職は彫刻家なのですけど、モデルをしていただけないでしょうか」と言い出したので、これも笑ってごまかしました(ヌードだったら困るしなぁ・・・)。

パーティはいつ果てるともなく続いています。蒸し暑い中、扇子使いどおしでいろいろな方とお話して、楽しかったけどもさすがに疲れてきました。23時頃に、そろそろ失礼するつもりで、松岡先生にご挨拶に行ったのですけど、10月1日の講演会(性・ファッション・身体)や現在あたしが力を入れているトランスジェンダー社会史研究(異性装の戦後史)のお話してる内に、1階の廊下で立ったまますっかり長話になってしまいました。その時、、おいしそうなプリンが乗ったデザートのトレイが目の前を通過しました。先生に「食べていかれたらいかがですか」というお言葉をこれ幸いにメイン会場に戻ったところ、同じようにデザートにつられて集まっていた30〜40代の女性5名ほどの集団に話し掛けられて、1時間ほどおしゃべりして記念写真まで撮るという具合にすっかり盛り上がってしまいました。最近、あたしが波長が合うのは、もっぱらこの世代の女性でどうも「同一化」がかなり進行しているみたいです。ようやく0時30分に「お先に失礼します」と辞去しました(ということは、パーティ自体はまだ続いてる)なんと開会から6時間が経過していました。

こうした一般社会の大規模なパーティに出席したのは初めてですけども、紹介していただいた方の内、「女装の方です」の一言で引き気味になる方は、男性だと4割、女性だと2割という感じでしょうか。逆に男性の6割、女性の8割は、少なくとも表面的にはまったく普通に接してくださいます。中には「女装家」という肩書きの名刺をお渡しして、しばらくお話してから、「あの〜ぉ、お話うかがっててなんだか頭がこんがらかってきたのですけども、女性の方ですよね」とわざわざ念を押してきた「奇特な方」も二人ほどいらっしゃいました。と言うことは、そこで「はい。女性ですよ」と答えれば、あたしでも純女で通ってしまうということでしょうか? まさかねぇ。やっぱりその二人の「奇特な方」は、菊酒を少し召し上がりすぎていたのだと思います。

やっとパーティを辞去して、タクシーで新宿に回り、おなじみの男性客S氏と「ジュネ」で待ち合わせて2時間ほどお話のお相手して、最後にベースにしている歌舞伎町のニューハーフパブ「ミスティ」に顔を出して、閉店までちょっとお手伝いして、朝ご飯をお付きいして、家へ戻って帯を解いたのは朝の6時半。結局、14時間、着物を着てたことになります。ああ、疲れた!

99/09/14(Tue)

[ 1999年9月2日(「身体の夢」展) ]
今日は、東京都現代美術館で開催中の「身体の夢」展を見に行きました。12時15分に家を出て東急東横線から地下鉄を乗り継いで東西線の木場駅に着いたのは13時過ぎ。ここから江東区三好にある美術館まで急ぎ足でも10分はかかります。東京都もつくづく不便な所に美術館を建てたものです。
9月に入ったとは言え、まだまだ暑い時間帯にとことこ歩くのは嫌なのでタクシーを拾って美術館前まで行ってもらいました。

今日のあたしのファッションは、クリーム地にグリーンの波模様のタンクトップ・ワンピースにレモン・イエローの半袖カーディガン。せっかくファッションの展覧会を見にいくのですから、暑くなかったらもう少しはおしゃれをしてったかもしれませんけど、機能優先にしました。

「身体の夢」展は、「ファッションor見えないコルセット」という副題が示すように、19世紀、女性がコルセットを締めていた時代から現代、さらには近未来までの女性ファッションの展開を追うことによって、身体とファッションの文化史を明らかにしていこうという企画です(11月23日まで)。実は、あたし、近々「性・ファッション・身体」という講座で講演を依頼されているので(10月1日 赤坂:国際交流基金国際会議場)、その勉強のためにも、見ておきたい展覧会だったのです。

19世紀のコルセットやドレスから、20世紀のファッションをリードした有名デザイナーの作品、さらには近未来のファッションを予測させる前衛的な作品まで、まるでファッションショーのように展示されていてとてもおもしろかったです。会場には、ファッションデザイナーの卵みたいな若い女性が目立ちました。

あたしが一番興味をもって、つまり「いいなぁ」と思いながら眺めていたのは、19世紀のコルセットとドレスでした。実はドレスフェチのあたしは、コルセットでウェストを絞り、バッスル(後ろ腰を高く盛り上げるための道具)で後ろ腰を膨らませて着用する19世紀後半のバッスル・スタイル(日本で言えば「鹿鳴館風」)のドレスを一度ちゃんと着てみたいのです。函館で鹿鳴館風の衣装を着せて写真を撮ってくれるところがあるらしいので、そのうちFLT(フェイクレディツアー)で・・・と思ってます。

展示されていた19世紀代のコルセットの内で最も細いものはウェスト45cmのものです。ただこれはバストも66cmですから、よほど小柄な女性か少女用ではないかと思います。きれいなラインだなぁ、と思ったのはウェスト59cmバストも89cmのワインレッドのサテンのコルセット。素敵だなぁ、と思ったのはウェスト48cmバストも81cmの黒に小花柄のシルク・ジャガードガーター付きのコルセット。ゴージャスでセクシーでした。これだけ制作年代が1907年頃と遅いので、もしかすると趣味的な要素が加わってるのかなと思いました。笑ってしまったのは、ウェスト81cmバスト104cmのブルーグレーのコルセット。当時も中年太りに悩むオバさまがいたことがわかり、なんとなく親近感を感じました。

ところで、現在でも本格的なコルセットをオーダーメイドで作ってくれるお店が六本木にあります。あたしは、昨年、テレビ朝日の番組でコメントした際、ロケーションで借りたお店が偶然そこだったという縁で知ったのですけど、ランジェリーに凝る女性には有名なお店のようです。店主であり制作者であるきれいなお姉さんに「その内、お願いに来ます」と言っておきながら、もう1年半もそのままになってます。と言うのも、せっかく作るのなら、もう少し痩せてから細みのものを・・・、という野心があったからです。でも野心が実現に向かう気配もまったく無く・・・。会場で、ウェスト81cmバスト104cmの太めのコルセットを眺めながら、あたしがオーダーしたコルセットがこうならないようにダイエットに励もうと誓いました。

帰りは、暑さも少し和らいだので、地下鉄都営新宿線の菊川駅まで歩いて都営新宿線に乗り、新宿で少し買い物をして帰りました。

99/09/06(Mon)