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(1999/08)

[ 1999年8月28日(屋形舟で夏を惜しむ) ]
今日は、夏のイベントの最後を飾るUSA(うさワールド)&CFL(クラブ フェイクレディ)合同企画「行く夏を惜しむ 屋形舟ツアー」の日です。昨年は台風の接近で流会になってしまっただけに、お天気が心配だったけども、なんとか大丈夫そう。

16時20分、いつものように渋谷のJ美容室で着付けてもらいます。浴衣は、今年仕立てた鼠地に大輪の黄菊を散らした竺仙、帯はかわいくしてもらった前回と変えて、樺色の縞帯と紫の帯で華やかなで粋な創作2本結びにしてもらいました。一緒に行くY子さんとは17時30分に東急東横店の着物売り場で待ち合わせだったのですけど、10分ほど早く着いてしまい暇つぶしにあちこち見て回っている間に、店員さんに「この帯、どういう結び方ですか?」「帯、ちょっと拝見してよろしい?」と2度ほどチェックされてしまいました。

定刻になってY子さん登場。一目見て「わーっ,すてき!」と叫んでしまいたくなる素敵な着物姿。最近はほとんど見かけない外出着にもなる本格浴衣の濃い水色の絹紅梅。張りがあって透ける生地に夏椿、菊、源氏車、文などの古典柄がとても涼しそう。帯は紗献上をお太鼓に結び、3分ヒモの帯締を赤い工芸ガラスの帯留で止め、帯揚は白地に絞りで赤い円を染めたもの。気品があるはんなりした美しさ、丹念に作り上げた日本の女の美しさがそこにある感じ。

山の手線・総武線と乗り継いで、集合時間ぎりぎりの18時30分に浅草橋駅に到着、大部隊を先にやって待っててくれた今日の幹事のシンさんに挨拶して、もうひとりのゲストFさんを待ちました。やがて藍地のかわいらしい浴衣姿のFさんが現れ、4人で神田川沿いの船元の柳橋「あみ新」に急ぎました。

今日の参加者は20数名、浴衣は半数ほどだったでしょうか。18時50分に出航、両国橋・新大橋・清洲橋・永代橋・佃大橋・勝鬨橋と橋のイルミネーションを楽しみながら大川(隅田川)を下り、東京湾岸の夜景が美しいお台場沖に停泊しました。

メゴチ・キス・エビ・アナゴなど次々に出て来る揚げたての天ぷらを食べながらの楽しい歓談の一時。隣に座っているY子さんとは、久しぶりのデートです。横座りの浴衣姿は、贋娘のあたしにはどうしても表現できない本物の女性の女盛りの美しさ。お酒の酔いと舟の揺れに身を任せながら大好きな素敵な人を眺めることができる幸せに、あたしはとっぷり酔っていました。

蒸し暑さに加えて、今年はお舟が小さかったため揺れがきつく、船酔い気味になってしまった仲間もいて、いつもより大人しい屋形舟ツアーでしたけども、その分、のんびりと下町情緒たっぷりに行く夏を惜しむことができました。

21時に柳橋に戻り、Y子さん・Fさんと別れて、仲間数人と地下鉄で新宿3丁目駅へ向かいました。2丁目方面の店に行く仲間と別れて一人になり、歌舞伎町の喫茶店に入って一息入れました。実は、舟を下りてから急に酔いが回ってやや貧血気味になりフラフラだったのです。なんとか動けるようになったので、いつものように区役所通りの女装スナック「ジュネ」(03-3209-7491)に顔を出してから、風林会館前のニューハーフ・パブ「ミスティ」(03-5273-0805)のお手伝いに行きました。

こうして今年も順子の夏が終わりました。
99/08/31(Tue)

[ 1999年8月11日(元ブティックの居酒屋) ]
あたしの住んでいる所は、美容院とブティックがやたらに多い街なのですけど、駅に続く商店街の一角に「K」というブティックがありました。商売っ気のあまりなさそうな地味な50年配のご主人(男性)が一人で経営していました。看板には「since 1967」などと記されているので地元ではそれなりに老舗のお店のようでした。ただ、一風変わっているのは、品揃えに全然統一性がないのです。ある時は、地元のオバさんしか着ないようなダサい洋服が、ある時は渋谷系のコギャルが喜びそうな服が、またある時はおミズ系お姉さん向きの服がずらりと並ぶという具合なのです。ただひとつ共通するのは、品物はそこそこなのにお値段が安い!ということでした。

何しろ駅への道すがらですから、品揃えの様子は嫌でも目に入る訳で、あたし向きの商品(つまり、お水系お姉さん向き)が入荷した時には、ちょくちょく寄って買い物するようになりました。その内、無口なご主人の方も覚えてくれて、「これならサイズ的に楽ですよ」とか「これならお店でも映えるんじゃないですか」などと話かけてくれるようになりました。こうしてこのお店は、あたしの洋服購入先ベスト3になったのですけど、昨年の春、突然「店を閉めることになりまして・・・」との話。私は「重宝していたのに・・・残念です」と応じながら、やっぱり時代に取り残されちゃったんだろうなぁ、ここのご主人、あまり商売向きの感じじゃないし・・・、とちょっと哀れに思ったのでした。

やがて店舗の改装が始まり、そのブティックの跡は「I」という居酒屋になりました。駅前商店街の中程という好立地のためか、なかなか繁盛している様子です。数ヶ月後のある日の夕方、居酒屋の前を通りかかった時、店の人が提灯を下げに出てきました。紺の作務衣に前掛けをした居酒屋のオヤジをよく見ると、なんとブティックのご主人ではありませんか!。あたしは、ブティックのご主人は店をたたんで田舎かどこかに引退して、全然別の経営者が店舗を買うか借りるかして居酒屋を開業したと勝手に想像していたのですけど、そうではなく、ブティックから居酒屋へ転業しただけだったのです。それ以来、店の前を通るたびに気にはなっていたのですけど、勤め帰りのグループや地元の人で賑わう居酒屋に、いきなり一人で入る勇気が無くて、そのまま月日がたっていきました。

ところが、今日は地元で珍しく連れ(女性)があり、「これこれなんだけど、ちょっと寄ってみたいの」と言ったら、「いいわよ」ということなので、初めてその居酒屋の暖簾をくぐりました。飲み物のオーダーを取りに来たオヤジさんに「お久しぶりです。覚えています?」と尋ねたら、「覚えてますとも、その頃はご贔屓にありがとうございます。いや、寄ってくださってうれしいです」との答え。店主の手が空いた時に、これこれこんなきっかけでブティックと居酒屋のご主人が同じなのに気づいてびっくりしたことを話し「転業が見事に成功しておめでとうございます」と付け加えたら、以前から食べ物と料理が好きで道楽で食べ歩いている内にどうしても自分でやりたくなり、思い切って転業した事情をうれしそうに語ってくれました。そして「またお会いできてうれしいのでサービスです。これからもぜひお寄りください」と追加注文した日本酒を受け升から溢れそうになるまでなみなみと注いでくれました(お陰でその後、お酒が好きなのに弱いあたしは酔っ払ってしまいたいへんでした)。

地元客中心のアットホームな雰囲気の中に、あたしのようなのが入っていくことがちょっと心配だったのですけど、他のお客さんはチラっとこちらを見るものの特別な反応はなく、店に入る時にすれ違ったサラリーマン3人組に「あれ、こんな美人が来るんだったらもっと長居をすればよかったな」(あたしの連れの女性も美人なのでどちらを見て言ったのかは不明)と言われたくらいで、違和感はまったくありませんでした。

おつまみの料理もなかなかおいしく、お酒もまあまあ揃ってるし、お店の雰囲気もいいし、それでブティック時代と同じように「安い!」。とてもいいお店で、あたしはすっかり気に入ってしまいました。実は、ネオンきらめく新宿の街に出かける前に一人で気軽に一杯飲める地元のお店を探していたので、この元ブティックの居酒屋さんとの再会は、あたしにとってとてもラッキーでした。

そう言えば、以前、女装世界の先輩のM子姐さんに「女装娘も地元で飲めるようになれば一人前」という話を聞いた覚えがあります。その時は意味がよく解らなかったのですけども、今、少し解ったような気がします。あたしもいくらか一人前に近づけたということでしょうか。
99/08/17(Tue)

[ 1999年8月7日(東京湾納涼船2) ]
JR浜松町駅から浜離宮を右手に見ながらトコトコ歩いて竹芝桟橋に着いたのは、集合時間の1時間前の17時。時間が余ってるので、桟橋を見下ろす公園で接岸するお船や東京湾の景色をウーロン茶片手にのんびり眺めていたら、何やら人が並び出しました。「これ何の行列ですか?」と尋ねると「納涼船の行列です」との答え。それじゃあ、ということで、あたしも列に並びました。やがて集合時間の18時、仲間たちも全員集まり18時40分に乗船となりました。早くに並んだかいがあって、上甲板の舷側の絶好のスペースを占めることができました。

まずは仲間たちと乾杯、その内にお船が動き出し、しばらくは、湾岸の夜景を眺めながらビールとお摘みでおなかを満たします。やがて、演奏し始めたバンドの音楽に促されるように藍染めの江戸風の浴衣を粋に着こなした美樹姉さんが席を立ち行動開始です。頃合いを見て探してみると、後部甲板に陣取った10数名ほどのオジさんグループの輪に入っているのを発見。側へいくと「おネエさんもどうぞどうぞ」と座らされてしまい、結局、例によって即席コンパニオンということになりました。

オジさんのひとりに「おネエさんたちはおとなしいね。去年一緒になった女装の人達は、並んでいる時から音入りでいろいろデモンストレーションしてたよ」と言われたので、「はは〜ん、E館の連中はそんなことをしてるのか」と思い、「それはたぶん亀戸の素人の女装クラブの人達で、あたしたちは新宿ですから」と答えました。「新宿って2丁目?」「いえ、歌舞伎町です」。これも定番のやり取り。一般の人は、ゲイと女装との区別があやふやなので、女装者を見るとゲイタウンである新宿2丁目を連想してしまうのです。

会話が一段落すると今度は写真撮影、次から次へとオジさん7〜8人とツーショットです。ところでオジさんたちは、この写真をどう使うのでしょうか。たぶん、奥さんや会社の同僚に「どうだい、いい女だろう。俺もまだまだモテるんだぜ」と見せびらかして、ちょっとの間、ヤキモチやかせたり、うらやましがらせたりしておいて「でも、この娘、実は男なんだよ」と種明かしをして楽しむのだと思います。まあ、それでもいいかな、と最近は思えるようになりました。家庭や職場のちょっとした潤滑財としてお役に立つのも異性装者の社会的機能のひとつなのかもしれないなぁ、なんて・・・。20分ほどオジさんたちのお相手をして、身入りはビール1杯、太巻き寿司2ケ、鳥の唐揚げ1ケ、煮物若干でした(なんて安いコンパニオン!)。

陣地に戻ってみると、フロアーではちょうどリンボー・ダンスのコンテストが始まっていたので、酔った勢いで挑戦しました。最初の110cmは司会者に「ビューティフル!」と誉められながら軽くクリアー。ところがバーが一気に90cmまで下がった2回目は、帯結がつかえて腰が十分に反れず、胸の膨らみでバーを落としてしまい、あっけなくリタイア。これでも少年時代は身体が柔らかくてリンボー・ダンスは得意だったのになぁ(いったい何年前の話?)。

リンボー・コンテストが終わる頃には残り時間30分となり、フロアーは終盤のディスコタイムに突入です。暑さと人いきれの中、浴衣姿で疲れ知らずに踊り続ける美樹姉さんを感心しながら眺めていたら、陽気なオバさんのグループに「おネエさんも一緒に踊ろうよ」と踊りの輪に引き込まれてしまいました。30代後半から40代くらいのオバさんたちと向き合い、手を取り合いして楽しく踊ること数曲。汗が噴き出て息が上がるまで久しぶりに思い切り踊ってしまいました。

そろそろ帰港予定の21時です。グループの集合写真を撮って、すばやく撤収。下船する時、さっきお相手をしたオジさんたちが「俺たち来年も8月第1土曜だからさ」と言ってきたので「じゃあ来年またね」と応じて、今度は一緒に踊ったオバさんたちに「楽しかったです。ありがとうございました」と挨拶したら、オバさんのひとりが「あっ、思い出した!おネエさんたち、上野でお花見してたでしょう」と言い出しました。「ええ、あたしたち上野公園で毎年の4月の第1土曜ですけど」と答えると、「やっぱりそうだわ。じゃあ来年のお花見でまた会えるのね」と喜んでくれました。

納涼船の楽しみは、こうした一般の人達との交流にあると、あたしは思います。確かに一般の人達にとってあたしたちは「物珍しい」のかもしれません。だけど、拒絶したり嫌悪したりする反応に出会ったことはほとんどありません。日本の大衆社会は、異性装者を受け止めるだけの柔軟性を備えているのです。これってけっこうすごいことだし、大事なことだとあたしは思うのです。

熱気にあふれた船上から地上に戻って心なしか風が涼しくなったみたいです。あたしは、美樹姉さんとイベント初参加のS氏と共にタクシーで新宿歌舞伎町「ミスティ」に向かいました。時間は21時30分、踊り疲れてはいるけれど、夜はまだまだこれからです。


99/08/11(Wed)

[ 1999年8月7日(東京湾納涼船1) ]
今日はクラブ・フェイクレディの夏の定番イベント「東京湾納涼船・カリビアンナイトクルージング」の日です。東海汽船の大島航路の定期船が17時過ぎに帰港して23時半の出航までの間に、お船丸ごとアルバイトをするこの船上ビアホールの楽しさを、あたしは女装クラブ時代に教えてもらいました。船という閉ざされた空間で2時間を共にすることで、一般の方とあたしたち女装者との距離が近くなり、ビールの酔いも手伝って和気あいあいの交流が生まれるからです。

という訳で、あたしとしてはかなり思い入れのある企画なのですけど、今年はクラブ・フェイクレディの広報媒体をインターネット環境に移したばかりのせいか、あるいは女装者の嗜好が変わってきたせいか、7人(女装4・女性1・男性2)という少人数での挙行になりました。女装人口が増えたような気がしても、それは夜の世界の話で昼間から堂々と外へ出られる人の数は相変わらず少ないし、まして真夏、クーラーの効かない船の甲板という厳しい環境に耐えられるだけのメイク・テクニックをもってる人はさらに少ないのです。それに若い女装娘たちにとっては、大衆的な船上ビアホールよりも、高いお金を出しても空調の効いたおしゃれな船室でフランス料理をいただく「サンセット・ディナー・クルージング」の方がお好みなのかもしれません。

15時半、いつものように渋谷のJ美容室に行き、着付けをしてもらいます。今日の浴衣は、濃淡の鼠地に大輪の黄菊をいっぱいに描いた「竺仙」(浴衣地のブランド)、数日前に仕立て上がったばかりの初下ろしです。着付けの担当の方に「花火が一斉に開いたみたいな感じですね」と言われたようにかなりインパクトのある柄ですけども、着付けてみると濃淡のぼかしが入っている分、ちょっと抑さえた感じになります。帯は、かわいらしさを添えたいので黄色の上に赤の縞帯を重ねた2本巻の変形文庫結び。「派手で、粋で、女らしい」順子の着物コンセプトそのままのコーディネートです。着付けが終わってビルの1階に降りてきた時、花屋さんにあたしの浴衣とよく似た黄菊があるのに気づき「一本下さい」と買い求め(210円)、「髪に刺すので」と短くカットしてもらいました。それを持って渋谷東横店の「ハイネット」に駆け込み、落ちないようにしっかりセットしてもらいました。これで準備完了、山の手線で浜松町に向かいました。(続く)

99/08/10(Tue)

[ 1999年8月4日(お買い物外出) ]
5年前「たそがれ日記」を書き始めた季節は秋だったので、それなりに風情のある書き出しができました。ところが、今回の「新・たそがれ日記」は何の因果か真夏に書き出さなくてはなりません。今日も東京の最高気温は34度、梅雨明けからもうずっと真夏日(最高気温が30度以上)が続いてます。今、外出から帰って一息入れて文章を考えているのですけど、「暑い!」という言葉しか頭に浮かんできません。だから、暑い話から書き始めます。

さっき外から帰ってきた時は、顔から体から水をかぶったみたいな状態でした。汗かきの体質は男の子時代からで、悲しいことにいくら頑張って「女」しても汗腺の数だけは減らないのです。この季節だけは、お絞りで豪快に顔の汗をぬぐえた頃が懐かしくなります。そんなに汗をかいてメイクが崩れないのかと思う方もいらっしゃるでしょうけど、そこはまあダテに長年おネエちゃんをやってません。あたしのメイクはもともと耐水メイクなのです。

さて、これだけ暑いと、何も着たくなくなります。でも何も着ないで外に出ると警察に捕まってしまうので、最低限の布地だけを身に纏うことになります。という訳で、今日はまだまだ暑い盛りの15時半、豹柄のキャミソールドレス(丈はちょっと長目で膝上15cm)、生足にサンダルという涼しいファッションでお買い物に出かけてきました。

まず、地元商店街のブティックをめぐって、夏物最終バーゲン品を物色。あるブティックでマリンブルーから紫へとグラディエーションする光沢感ある色合いのボディコンシャスなミニワンピースを発見。たぶんあまりに派手派手なため売れ残ったのだと思いますけど、これこそまさに順子ちゃんのための色合い!。ただこのお品、布地が胸元でクロスするカシュクールデザインで、それなりの胸の膨らみがないと似合わないタイプです。少し迷ったけども、毎日飲んでる天然エストロゲンたっぷりの「カゴメざくろジュース」のお陰か、最近、少し膨らんできたような気がするので思い切って購入しました。ちなみにお値段は正価17800円が3900円の激安!。毎度のことながら服の値段ってなんなのでしょう?。

次は電車に乗って池袋へ。「三松池袋パルコ店」で仕立てを頼んでおいた浴衣を受け取りました。去年の夏の終わりに見切り値段で買っておいた鼠地に大き目の黄菊を描いた「竺仙」(浴衣地の高級ブランド)の反物を仕立てたのだけど、うっかり頼むのが遅くなってしまい、かなり無理を言って今週末のイベント(納涼船)に間に合わせてもらったのです。

それから渋谷に戻って、東急東横店の「花王ソフィーナ」のショップで夏用の化粧水とファンデーション、同じフロアーの「ハイネット」でウィッグ・コンディショナーを補充しました。そして向かいのビルにあるJ美容院に行き、先週(隅田川の花火)浴衣を着付けてもらった時に預けておいた荷物(着替えた洋服)を回収しました。

これで今日の用事はおしまい。あわただしい外出でしたけども、一月に一度くらいは今日のようにお店が開いている時間に出かけて、買い物や雑用を片づけないと「おネエちゃんライフ」が維持できないのです。

18時、暑い中を動き回って喉が渇いたので、東急プラザ1Fの喫茶店で、アールグレイのアイスティとフルーツ・タルトで休憩しました。周りはデートの待ち合わせのカップルばかり。でもいいのです。負け惜しみじゃなく、あたしは、遅い午後、ひとりでお茶を飲んでるのが似合う女になりたかったのですから。たとえ、周囲の人には「あっ、オカマがお茶飲んでる」と思われて、こうやって「女一人」、喫茶店の窓から見える夏のたそがれ時の渋谷の街を眺めながら、のんびり夕方のお茶してるのが、あたしにとっての幸せな時間なのです。


99/08/06(Fri)