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4th Inter Asia Cultural Stadies Conference
(2005.7.22〜24 ソウル:韓国)

現代日本のトランスジェンダー世界

国際日本文化研究センター共同研究員・お茶の水女子大学非常勤講師
三 橋 順 子
(Mitsuhashi Junko)

1.現代日本におけるトランスジェンダーのカテゴリー

現代日本(2005年)におけるトランスジェンダーの状況をイメージ的に示したのが図1、図2です。
 
(1)MTF
MTFのトランスジェンダーの世界は、男性同性愛者の世界(Gay Community)と、ほぼ完全に分離しています。そして、4つの大きなカテゴリーに分れています。
 
第1は、職業的なトランスジェンダー(Professional Transgender)のグループで、日本では「ニューハーフ」(New-Half)と呼ばれる人たちです。彼女たちの主な職業は、飲食接客業(ホステス)、ショーダンサー、セックスワークです。1950年代に基礎が形成された最も伝統的なグループです。
 
第2は、東京の新宿や大阪の梅田などの大繁華街に立地する女装バーを拠点に形成されているトランスジェンダーのコミュニティです。このコミュニティは厳密なメンバーシップのないオープンなもので、MTFを好む男性や一般の男性/女性も出入りすることが可能です。したがって、このコミュニティに所属するMTFは「女性」としての社会性をもつことを求められます。また、MTFと男性との性愛関係もそうした社会的関係性の延長上に存在します。このグループの原型は1960年代後半に作られました。
 
第3は、東京や大阪にある閉鎖的な女装クラブを中心とするコミュニティです。ここは基本的にMTFのみの社交空間で、一般の男性/女性の出入りはありません。自己満足・自己陶酔の世界であり、必ずしも「女性」としての社会性を要求されません。このタイプの女装クラブは1979年に始まり、1980年代に繁栄しました。
 第4は、性同一性障害(Gender Identity Disorder=GID)という精神疾患カテゴリーをアイデンティティとする人たちのグループです。障害をもつ者として社会的に認知され、医療のサポートによって性別適合手術(SRS)を受け、戸籍を変更して法身分的にも女性になることを求めます。言わば、医療に囲い込まれたトランスジェンダーです。日本では1997年頃から活動が始まります。
 
これら4つのカテゴリーは、歴史的に形成されたものであり、相互に分離的で交流は活発ではありません。2003年以降、第4のGIDグループは、政権与党の政治家、一部の医師、法学者の支援を得て急速に主流化し、メディアもこのグループの人たちを主に取り上げるようになりました。その結果として、このグループの人たちの状況は大きく改善されましたが、他の3つのグループへの社会的抑圧は改善されることなく、むしろ強まりつつあるのが現状です。
 
 
(2)FTM
FTMのトランスジェンダーの世界は、女性同性愛者の世界(Lesbian Community)と分離が不十分であり、またMTFに比べて内部のカテゴリー分化も進んでいません。
 
FTMの職業的なトランスジェンダーとしては、「Miss.Dandy」と呼ばれる飲食接客業(ホスト)が成立しています。しかし、MTFに比べるとその業界規模は小さく、1/10〜1/20と推測されます。
 
一方、性同一性障害のカテゴリーでは、最も著名な性同一性障害者(虎井まさ衛 Torai Masae)がFTMであり、日本のGID治療がFTM中心に進められてきたという事情もあって、一定の発言力を持っています。
 
 
2.日本社会におけるトランスジェンダー
 
日本社会には、キリスト教文化圏やイスラム教文化圏のように男性同性愛や異性装に対する宗教的禁忌が存在しません。むしろ、建国神話に女装の英雄(日本武尊 Yamatotakeru)が登場し、女形(Oyama 女装の俳優)が中心的な役割を果たす歌舞伎(Kabuki)が長い歴史と人気を誇ってきたように、性別越境(トランスジェンダー)に比較的寛容な社会的・文化的な伝統があります。男性同性愛や異性装に対する強い忌避感覚は、近代以降に欧米からの知識(精神医学)や思想の移入によってもたらされたものです。
 
現代日本においても、少なくとも個人レベル(とりわけ女性)では、性別越境に比較的寛容な感覚は今なお広く存在します。伝統芸能となった歌舞伎は現在でも人気がありますし、大衆的な演劇でも女形は根強い人気があります。夜の東京の観光バスツアーで最も人気があるのは、ニューハーフのダンスショーをメインにしたコースです。また、女性を中心に熱烈なファンを多くもつ宝塚歌劇(Takarazuka)は、男役(男装者)がトップスターです。
 
日常的にも、トランスジェンダーが一般の店で買い物をしたり、飲食をすることを断られるようなことは、少なくとも都市部においてはほとんどありません。奇異の目で見られることはあっても、あからさまに侮辱的な言葉を浴びせられたり、身体的な危害を加えられるようなケースは稀です。日本にやってきた諸外国のトランスジェンダーが「日本はトランスジェンダーにとって最も安全な天国(Paradise)だ」と言うのも一面では間違いありません。
 
しかし、法律、行政、医療、就労などの面では、トランスジェンダーに対する対応は大きく遅れています。法律や行政は、最近までトランスジェンダーの存在をまったく認めていませんでした。医療は1997年になってやっと性同一性障害の治療を承認しましたが、現在でも十分な治療体制は確立されていません。就労面での差別は特に甚だしく、トランスジェンダーが一般企業や公務員に就職するのはほとんど不可能です。
 
このように日本社会には、トランスジェンダーに対して比較的寛容な伝統的な大衆文化と、トランスジェンダーに対して拒絶的・差別的な公的システムや企業社会という二重構造が存在するのです。
 
21世紀に入って、性同一性障害者への社会的認知が進むにつれて、状況は徐々に改善されているかのように見えます。2003年7月に「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」(GID特例法)が成立し、今まで事実上不可能だった戸籍の性別変更の道が開かれました。
 
しかし、この法律は、対象が性同一性障害者に限定されていたり、子供のいる当事者を排除する条件が付されていたり、問題点が指摘されています。この法律の成立過程を分析すると、トランスジェンダーの人権を擁護するという観点は希薄で、あいまいな性の人たちを「障害者」として医療的に囲い込み、戸籍を変更させることで、男性/女性いずれかに固定し、性別二元制に回収することで、問題を解決しようとした法律であることが明らかになります。
 
つまり、性的マイノリティの人権を認める方向ではなく、性的マイノリティの一部をマジョリティに取り込むことで無化(存在を消去)しようとする発想に立つものなのです。その証拠に、21世紀になっても、性同一性障害者以外の性的マイノリティーの置かれている状況を改善しようとする施策はまったく取られていません。ゲイ/レズビアンや非医療系のトランスジェンダーに対する社会的偏見は、依然、根強いものがあります。
 
トランスジェンダーは、歴史的にも地理的にも、あらゆる社会に存在します。ヨーロッパを除く世界の多くの地域では、偏見や差別はあったにしても、特有の社会的機能を持ち、社会の構成員としての役割を果たしてきました。その役割は、宗教的職能、芸能的職能、共同飲食的職能、性的サービス職能、男女の仲介者的職能など多岐にわたっています。それは日本の前近代においても同様でした。トランスジェンダーは、ひとつの体系をもった文化として日本社会の中に存在してきたのです。
 
医療サービスを求めるトランスジェンダーには、必要な医療が提供されるシステムが構築されなければなりません。それは当然のことです。日本の医学界が、今までの怠慢を反省し、トランスジェンダーに対する医療サービスシステムを整備しつつある姿勢は大いに評価すべきでしょう。しかし、だからと言って長く豊かな文化的伝統をもつトランスジェンダーを、精神疾患、あるいは「障害者」という形で囲い込み、性別二元制に回収し無化しようとする施策は、トランスジェンダー文化の破壊につながるものあり、私は一人のトランスジェンダーとして、またトランスジェンダー文化の研究者として、許すわけにはいかないのです。
 
日本社会が長いトランスジェンダー文化の伝統を踏まえ、同性愛者やトランスジェンダーに寛容な伝統を生かして、真の意味で性的マイノリティの人権を認め、性的マジョリティとの共生社会を築けるかどうか、今、その岐路に立っていると言えるでしょう。