back
  
モノクロームの昭和

和26年(1951)、戦後の社会混乱もようやくおさまり、日々の暮らしがようや
く安定を取り戻したころでございます。私は、それまで住まっておりました墨田区寺島の「鳩の街」を離れ、新しい生活を始めるべく、東京の南西の郊外、大田区久が原に移り住みました。
住まいは、ご覧のような小さな文化住宅でございます。おや、お客さまがいらっしゃったようでございますね。
ご挨拶が遅れまして失礼いたしました。この家の女主人順子でございます。
今日は、隣組の寄り合いに、わが家をお貸しいたしました。なにぶん暑い時分、少しは風は通る縁側で、井戸で冷やした麦茶などで喉をうるおしていただき、次の隣組長さんを決めていただこうと思います。
こちらが今まで組長さんをしてくださったYUKOさん。踊りとお唄のお教室をされてらっしゃいます。なんでも戦中は、上海でずいぶん売れっ妓だったとか。
こちらが次の組長さんに決まった茜さん。なんでも財産税で白金のお屋敷を手放され、こちらに越してらっしゃったとか。
皆さん、もとのご身分やお育ちはさまざまでも、これからの新生日本は民主主義の世の中、お隣同士仲良くしなければいけません。ということで、記念写真の撮影となりました。
おしまい...