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* 別篇 *
  
〜お江戸深川のあやしい女たち〜

本橋を東へ、大川(隅田川)を永代橋で渡った川向こうお江戸の巽(東南)
深川は、もともと大川の河口にできた砂州を、江戸の街の掘割を浚った土砂や町屋から出る塵芥で嵩上げした新開地です。
『江戸東京めぐり−江戸電車路線図』 人文社 2003年1月
(朱丸の場所が、この物語の舞台である深川佐賀町。原図は文政11年の江戸図に現在の鉄道路線を載せた『江戸東京めぐり−江戸電車路線図』 人文社 2003年1月 による)
舂米商上総屋の女房「おゆう」
ですから、この江東の地には、地縁。人の縁が絡まった江戸の街中には住みにくい、ちょっと訳アリのあやしい人たちも、数多く住み着いていました。
 
たとえば、この人、深川佐賀町の舂米商上総屋の女房「おゆう」。
妙に色気があったり
夕暮れ時に裏路地にポツンと立っていたり
一見、堅い商家の女房のようですが、妙に色気があったり、夕暮れ時に裏路地にポツンと立っていたり、何やらあやしい雰囲気があります。
油問屋多田屋の女将「あかね」
そう言えば、「おゆう」がいつ、どこから嫁いできたのか、近所の人に聞いてもあやふやで、前歴不詳なのです。

「おゆうちゃん、いるかい」と明るい声で縁側から顔をのぞかせたのは、隣家の油問屋多田屋の女将「あかね」です。
差しつ差されて
彼女も、見かけこそ、ごく普通に見えますが、やはり誰に聞いても、いつから油問屋の女将に納まったのか、はっきりしたことがわかりません。
そもそも、堅気の商家の女房が、真っ昼間から差しつ差されるで昼酒なんて、あやしいにも程があるというものです。
稲荷寿司を商う「お紋」
もう一人、あやしい人を紹介しましょう。派手な着物姿で路上で稲荷寿司を商う「お紋」。
商売物を食べてはいけません
武家のお内儀だったという噂もありますが、やはり前歴が定かでありません。いつのころからか、この油堀の端の路上で稲荷寿司を売っていたそうです。愛敬たっぷりの口上で、売れ行きも上々とか・・・。これこれ、いくらお腹が減ったからといって商売物を食べてはいけませんよ。
女三人で屋台の天婦羅屋で買い食い
このあやしい女たち、「おゆう」「おかね」「お紋」は、大の仲良しで、よく連れ立って遊んでいます。だけど、女三人が屋台の天婦羅屋で買い食いなんて・・・、お行儀が悪い。
あやしくない人の家
杵屋於志津こと「お順」
しか〜し、こんなあやしい人が多い深川にも、あやしくない人は住んでいます。
たとえば、「姐さん、いる〜ぅ」と「おゆう」が遊びに来たこの家の主、長唄の師匠、杵屋於志津こと「お順」。
夕暮れ時の堀端の柳の下に立ってたり
船宿相模屋の前で見知らぬ男たちとなにやら相談してたり
「お順」もあやしい三人組とは仲良しですが、夕暮れ時の堀端の柳の下に立ってたり、船宿相模屋の前で見知らぬ男たちとなにやら相談してたりするくらいで、これと言ってあやしい振る舞いはありません。
家もこのとおり質素
ちゃんとお稽古をつけています
身なりもとても地味で、家もこのとおり質素な「女」の一人住まい。長唄を習いに来る「お紋」にもちゃんとお稽古をつけています。
あなたも、あやしい女たちの仲間に入りませんか?
ともかく深川は、風光明媚、人情厚く、しかも人の過去をとやかく詮索しない街です。猪牙舟で大川を遡った所にある花の吉原で、ちょっとは名の知れた花魁が、人知れず第二の人生を送っているような街なのです。たとえ過去に何があろうとも、今が楽しく充実してればそれでいいじゃありませんか。
 
あなたも、あやしい女たちの仲間に入りませんか?
おしまい...
配役(ご出演、感謝!)
舂米商上総屋の女房「おゆう」 : YUKOさん
油問屋多田屋の女将「あかね」 : あかねさん(←そのままじゃん)
堀端の稲荷寿司売り「お紋」 : 小紋さん
長唄の師匠於志津こと「お順」 : 順子