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1年12月23日(日) 京都市KIMONO開発委員会のパーティ
会
場は、原宿の「ジャルダン・ル・セーヌ」、イベントは13時からですが、余裕
をもって12時30分過ぎに到着。
今日は、華やかなお席なので、きものは、群青(青紫)地に、草花模様を描きちょっと中華風の壷などを箔押した訪問着にしました。
帯は銀沙と緑のぼかし、半襟は鳥の子色に白銀糸で花菱模様の刺繍、帯揚は明るい鬱金色、帯締は落ち着いた鬱金色です。
このイベントは、京都市が和装産業の振興を目的に、若手着物作家を組織して始めた「KIMONO開発事業」の主催で、今年が3年計画の最終年度だそうです。
初年度(2000年3月3日)には、京王プラザホテルの大ホールで「14人の雛たちのための物語」と題して、女性文化人による着物ファッション&トークショーを開催するという派手なイベントでした。
ところが、今回は、40名ほどの小さな会場で、小ぢんまりしたイベント。
予算が無くなったのかな?と思ってしまいます。
今回のプログラムは、「時を越えて楽しむ きもの遊び」というテーマで、最初に昔きもの「豆千代」店主の千葉久美子さんの「昔きものの楽しみレッスン」、次が野村道子さん(声優)・松本侑子さん(作家)・千葉さんの座談会「女三人寄ればきものトーク」でした。
座談会の出席者
松本侑子さんと
小ぢんまりとはいえ、本来はレストランである狭い会場に、訪問着、紬、銘仙など思い思いのきもので装った40人近い方が集まると、実に壮観です。
ただ人と人とが接近しすぎてしまって、他人のきものや帯をゆっくり鑑賞する余裕がなかったのが残念でした。
最初の豆千代さんのコーナーでは、豆千代さんがコーディネート・ディスプレイした文字模様のお召について、彼女が「何て書いてあるか読めない」と言っていたので、休憩時間に読んであげました。
文字は「みよ 東海の 空明けて」の散らし書きで、戦前に内務省が公募した「国民歌謡」の代表作「愛国行進曲」の最初のフレーズです。
歌詞はその後「旭日高く輝けば 天地の正義はつらつと 希望はおどる大八嶋」と続きます。
この歌が大流行するのは昭和13年(1938)だそうですので(あつこ女将のご教示による)、このきものも、その頃に作られたものと推定できます。
すでに日華事変は始まっていて、昭和13年の5月には日本軍は徐州を占領し、軍靴の音が日増しに高くなっていた頃でした。
このきもの、どう見ても粋筋向きでした。たぶん、某料亭で近日出征の「○○
君壮行会」が開かれた時、座に呼ばれた芸者さんがこのきものを着ていれば、「戦意高揚」ということで喜ばれたのではないでしょうか。
このようにたった1枚の古いきものからいろいろなイメージが紡ぎだされるのです。
「昔きもの」をお仕事にするなら、そういう知識や感性も磨いて欲しいと思います。
トークは、野村道子さん(「サザエさん」のわかめちゃん、「ドラエモン」のしずかちゃんの声で有名)が、きものにまつわる日中の悲話(戦後、中国に残って中国人になった元日本人女性ガイドが、日本人のきものの着付の乱れを思わず直してしまった話)を紹介して会場がしんみりさせた後、松本侑子さんが、スペイン貴族の館のパーティに、きものを着ていったら「正装の貴婦人」として他の女性たちとは格違いの礼遇をしてもらえたエピソードを楽しく語り、民族衣装を大事にする文化的伝統を指摘しました。
お二人のトークはそれぞれに含蓄があり楽しかったのですが、3人のトークショーとしてはまったくかみ合わず、この点では、主催者の人選がちょっと疑問でした。
最後のビンゴでは、抽選者の松本侑子さんが、木版手刷りの京都の絵図をあたしに当ててくれました。
「順子ちゃん、あたしの愛の力よ」だそうで、あたしはルンルンでした。
ということで、16時にお開き、すぐ近くの「壱の蔵」さんに寄ってお直しをお願いしていた帯を受け取って帰りました。
正直言って、企画的には、最近の「昔きもの」ブームに便乗した感じが否めず、京都のきもの(京友禅)の振興という本来の目的との間にギャップを感じざるを得ません。
まあ、あたしは「片思いのお姉さま」に久しぶりに会いに行くのが、唯一・最大の目的だったので、十分に満足でしたけども。