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長い歴史の中で形作られた日本の伝統衣装である着物は、染めと織り、色彩と意匠、そして着付けと着こなしが作り出する総合芸術です。
 
着物好きだった母の影響からか、着物の美しさ、着物姿の華やかさに子供時代から惹かれるものがあった私が初めて着物を着たのは、今から13年前の1991年。いろいろ事情が有ってとても遅い着物との出会いでした。貸衣装の藤紫の振袖を着付けてもらい、姿見に映った着物姿の自分を見た時、私は着物のすばらしい魅力と可能性を身をもって知ることができました。
 
そして、ようやく自前の着物を持てたのが9年前の1995年。それ以来、着物の世界にとっぷりとはまってしまいました。

最初に着た着物
(1991年)
最初に買った着物
(1998年)

 

それにしても、たった9年間でよくもまあこんなに増えたものだなぁと、我ながらあきれてしまいます。最初に買ったのが、黒地に金で竹模様を描いた付下げ、次が緑の縞模様の小紋、3つ目が黒地に扇模様の小紋、4つ目がなぜか黒地銀ラメの大振袖、その次が・・・。切りがないので、主なラインナップは「着物写真館」を見ていただくことにしましょう。
 
ともかく、和室の壁際には、桐の小箪笥からあふれた着物と帯の山ができている状態です(時々崩れます)。「収納場所もないし、お金もないし、もう着物を買うのはやめよう」と何度心に誓ったことか・・・。それなのに、それなのに着物屋さんをのぞいた時に「あっ、あの反物があたしを呼んでるわ!」、この帯が「『連れて帰って』と泣いてるわ」と思ってしまうのです。
 
買っても買っても欲しくなる着物の魔力、着物好きの方なら解っていただけると思いますけど、それもまた着物の魅力なのかもしれません。
年がいもなく買ってしま
った大振袖

(1997年)

 

1999年11月から友人の小谷真理さん(SF&ファンタジー評論家)のお誘いで着付けのお稽古を始めました。教えていただいたびは牧紀子先生。ほぼ毎週1回、時間は夜の10時から12時過ぎまで、先生1人に生徒2人のハードな個人教授でした。
 
身体が固くて腕が背中に回らず、帯枕をヨイショと入れる時に腕がつって大騒ぎ、半襟付けの練習に針を持たせれば指に刺してばかりで、あやうく「血染めの半襟」になるし、せっかく二重お太鼓を覚えたら背幅が広くて全然似合わない、などなど悪戦苦闘の1年間を経て、ようやく自分で着付けられるようになりました。
 
自分で着られるようになると、着る回数もぐっと増え、最近は浴衣を入れれば年間100〜120日くらい着ています。
友人の結婚式に出席
(1999年)
先生(右)と弟子
(2001年)

 

着物を着る機会が多いので、買った着物はタンスの肥やしにならず、仕事に遊びに大活躍しています。イベントやパーティにお呼ばれの時はもちろ
ん、年に数回ある自分の講演会やトークライブの時も必ず着物を着るようにしています。
 
2000年度に中央大学で講師をした時にも2回ほど着物姿で教壇に立ちました。最近では学会や研究会などの地方出張も着物です。たしかに支度はたいへんですけど、好きな着物のことだから苦になりません。
開店祝いのお花の前で
(1999年)
新宿歌舞伎町のパブ『MISTY』で
(1999年)
日本社会学会シンポジウム上智大学
(1999年)
大阪ドーン・センターでの講演
(2000年)
群馬県尾島町での講演
(2003年)

 

着物遊びの一番の楽しみは、着物仲間のお友達とのお出掛けです。美術館を見学したり、街を散策したり、アンティークの着物屋さんを巡ったり、おいしいお料理屋さんでお食事したり。私たちの着物姿に周囲の人の視線が集まるのも、ちょっと快感だったりします。
 
2〜3カ月ごとにある京都での研究会に出席した翌日、関西の着物友達と昼食をご一緒するのも、楽しく幸せな一時です。
 
そして、お江戸の名残を感じる東京下町や、1200年の歴史を伝える京都など、着物の似合う景色を背景に写真を撮るのも楽しみのひとつです。
浅草寺ほうずき市
(2000年)
上野公園でお花見
(2000年)
横浜三渓園で夜桜
(2001年)
京都東山の料亭で
(2002年)
隅田川の屋形舟で
(2001年)

 

着物での最初の旅は、2000年3月でした。着付けの先生とお稽古仲間の4人で、2泊3日の京都旅行でした。「行きも帰りも着物、洋服は一切持っていかない」という初心者には厳しいルールでしたけども、着物姿で京都を歩く長年の夢が実現できた忘れられない3日間でした。
 
その後も2001年10月に信州須坂、2002年11月には東北花巻へ、そして2003年11月には柳川〜別府〜湯布院〜阿蘇というコースで九州に遊び、2004年10月は信州〜飛騨路と、着物での旅行にもすっかり慣れました。
嵯峨野で
(2000年)
信州須坂で
(2001年)
花巻で
(2002年)
湯布院で
(2003年)
飛騨高山で
(2004年)

 

着物を着ているうちに、着物のことがもっと知りたくなりました。とりわけ、着物が生活の中でしっかり息づいていた時代、そして最も多彩なデザインが開花した大正〜昭和初期の着物に興味を惹かれます。
 
その手初めに、自分の故郷で作られていた秩父銘仙のことを、子供時代の思い出とともに文章にまとめてみました。この文章は、幸いにも編集者の目に止まり、改稿して『KIMONO道 第2号』(2002年12月 祥伝社。その後、『KIMONO姫』に改題)に掲載されました。
 
なかなかまとまった時間が取れませんけど、着物が衣服として活きていた時代の残像を求めて、これからも少しずつ勉強を続けていきたいと思っています。
KIMONOMICHI2
『KIMONO道 第2号』

 

私は、胴長短足の古典的日本人タイプですから、もともと着物向きの体型だったようです。それでいて背丈(168cm)も横幅もあるし、顔立ちが派手なので、大きな柄でも、派手な色使いでも「着物負けしませんよ」と着物屋さんによく言われました。
 
普通のお嬢さまや奥さまには、なかなか真似できない大胆なコーディネートと、私のトレードマークになりつつある角出し結びの帯が作り出す、ちょっとレトロで粋なお江戸風の着こなしは、私の個性としてこれからも大事にしていきたいと思っています。
長火鉢の前で
(1998年)
京都北野天満宮で
(2003年)

 

まあ、どんなに気張っても、私の場合、そもそも存在自体がアウトローですから、まともな着物世界からお声がかかることはないでしょう。
 
でも、「気軽に、楽しく、着物を着る」というモットーを忘れずに、同じ考え方の着物仲間とともに、できるだけ長く着物とのお付き合いを続けていこうと思っています。どうかよろしくお付き合いくださいませ。
産土神の秩父神社で
(2004年)